かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 8(ロシア)

2020-02-22 20:13:06 | 短歌の鑑賞
馬場あき子の外国詠1(2007年10月実施)
   【オーロラ号】『九花』(2003年刊)135頁~
    参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、Y・S、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:K・I まとめ:鹿取未放

 ◆この一連は、なにげなく詠まれているようにみえて、歴史について、現代や現代の国の関係に
  ついて深く思いを凝らしている洞察力のある歌々である。2001年7月の「ロシアの帝都と
  黄金の環・吟行の旅九日間」には私も同行したため、一首鑑賞からはみ出して蛇足を加えてい
  る部分が多いが、懐かしさの故と思ってお許しいただきたい。


8 繰りかへしゴルビーが好きだといふ時を高揚しをりロシアガイドは

         (まとめ)
 ゴルビーはゴルバチョフ大統領の愛称。1931年生まれ。1985年、ソ連共産党書記長。1986年のチェルノブィリ原発の大事故による社会的政治的危機を打開し、国の停滞を打破しようとペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を推し進めた。マルタ会談で東西の冷戦を終結に導き、アフガンから軍を撤退させた。1990年、ソ連大統領就任。同年、世界平和に貢献したかどでノーベル平和賞受賞。しかし、ゴルバチョフみずから導入した経済改革と共産党組織との乖離によって体制に大きな揺らぎができ、1991年、クーデターによりゴルバチョフは拘束され、その後は連邦の求心力が弱まりソ連は崩壊、ゴルバチョフは退陣した。(この項、ウィキペディア等を参照)
 馬場一行がロシアを訪問したのはそれから10年後の2001年、エリティンも既に去ってプーチンの時代だった。ソ連崩壊後の国はどうであったか、ガイドの言動を通して一国の変遷を詠っている。現ロシアの国情についてはさまざまに取りざたされているが、崩壊後厳しいインフレに見舞われたことは記憶に新しい。しかし、この旅行中われわれにロシアの素顔を見ることは叶わなかった。ある地方都市の市場はわれわれの再三の懇願にもかかわらず見学することを拒否されたし、地方に行く街道沿いの道ばたでは給料不払いで現物支給のタオルやぬいぐるみなどを売っている人々を随分と見かけたりもした。ともあれ、このロシアガイドは現体制に批判的であるのかゴルビーを繰りかえし褒め称えているのであった。O(オー)さんという愛嬌のあるガイドさんで、痩せていたため私は密かに「折れ釘のO(オー)さん」とあだ名していたのだった。ガイドだから当然なのだが日本語が堂に入っていてタイミングをみはからっては日本のことわざを巧みにおりこみ、われわれは拍手喝采したものだった。(鹿取)


コメント
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