山歌。最近はすっかり廃れてしまって、知る人も少なくなっている。Mr.Dashのように30代で何曲もレパートリーがあるのは、もうかなりレアな部類だろう。
以前にアウトドア雑誌「BE-PAL」が山歌に関する情報を募集したとき、調子に乗って返事したら思いがけず掲載されてしまったこともあるが、みんな、そんなに知らないのかと、載った自分が一番驚いた。ウチの山岳部のG女史などは、Mr.Dashの車に乗るたび、山歌のCDを聴いて笑い転げている。
山歌の中では、山好きでない人でも、知っている歌がある。「雪山賛歌(雪よ岩よ~)」とか、「山男の歌(娘さんよく聞けよ~)」とか。それが「穂高よさらば(歌い出し同じ)」や、「岳人の歌(星が降るあのコル~)」になると、ちょっと「通」しか知らないようになる。
そういった、「××民謡」的な歌のほか、フォークソング全盛時代に、高石ともやとナターシャセブンが歌った「思い出の赤いヤッケ」や「八ヶ岳」も、知っている人は知っている。
しかし、Mr.Dashがしみじみと気に入っているのは、1990年にさだまさしが出したアルバム「夢ばかりみていた」に収録されている「十六夜」。焚き火を囲んで酒を飲み、知らず知らず、
饒舌になって不器用な恋の話をする友人の歌だ。
人間、静かな山の夜に、焚き火を囲んだり、ランタンのか細い光だけに照らされると、心が裸になるというのは、実はよくある。さだまさしは、それを巧みに題材にした。Mr.Dash自身、大学時代に銭原のキャンプ場でキャンプ指導をしていた頃、ファミリーキャンプに来たお父さんの人生反省談に付き合わされたこともあるし、逆に、あろうことか、ちょっとつらいキャンプで後輩の前で涙を落としてしまったこともある。
しかし、焚き火のそばで歌を歌うことも、実に楽しい。最近では六甲山のYMCAや、大峰の七面山のひとときが思い出される。
明日は、七面山で一緒に歌い騒いだ「わるさ~」氏とポンポン山に行く。焚き火はできそうにないが、鼻歌ぐらい歌いたくなることはうけあいだ。
以前にアウトドア雑誌「BE-PAL」が山歌に関する情報を募集したとき、調子に乗って返事したら思いがけず掲載されてしまったこともあるが、みんな、そんなに知らないのかと、載った自分が一番驚いた。ウチの山岳部のG女史などは、Mr.Dashの車に乗るたび、山歌のCDを聴いて笑い転げている。
山歌の中では、山好きでない人でも、知っている歌がある。「雪山賛歌(雪よ岩よ~)」とか、「山男の歌(娘さんよく聞けよ~)」とか。それが「穂高よさらば(歌い出し同じ)」や、「岳人の歌(星が降るあのコル~)」になると、ちょっと「通」しか知らないようになる。
そういった、「××民謡」的な歌のほか、フォークソング全盛時代に、高石ともやとナターシャセブンが歌った「思い出の赤いヤッケ」や「八ヶ岳」も、知っている人は知っている。
しかし、Mr.Dashがしみじみと気に入っているのは、1990年にさだまさしが出したアルバム「夢ばかりみていた」に収録されている「十六夜」。焚き火を囲んで酒を飲み、知らず知らず、
饒舌になって不器用な恋の話をする友人の歌だ。
人間、静かな山の夜に、焚き火を囲んだり、ランタンのか細い光だけに照らされると、心が裸になるというのは、実はよくある。さだまさしは、それを巧みに題材にした。Mr.Dash自身、大学時代に銭原のキャンプ場でキャンプ指導をしていた頃、ファミリーキャンプに来たお父さんの人生反省談に付き合わされたこともあるし、逆に、あろうことか、ちょっとつらいキャンプで後輩の前で涙を落としてしまったこともある。
しかし、焚き火のそばで歌を歌うことも、実に楽しい。最近では六甲山のYMCAや、大峰の七面山のひとときが思い出される。
明日は、七面山で一緒に歌い騒いだ「わるさ~」氏とポンポン山に行く。焚き火はできそうにないが、鼻歌ぐらい歌いたくなることはうけあいだ。