こたつdeみかん

みかんの国産まれの吾輩が綴る八百八町江戸日記

吾輩、四万十川へ行く の巻 vol.3

2005年04月30日 | 旅~ゆけ~ば~
【連邦の白い悪魔 in 四万十川】

30日、初漕ぎの日である。
帰って来ない人がいるかも知れんので、先に同行者の紹介をしておこう。

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『Azマーニ』・・・♂ 誇り高き真の大阪人。
『Akiさん』・・・♀ まったりほんわか。
『まいうー』・・・♀ 東京駅八重洲口で命名。絶対音感モジュール実装。
『餅さん』・・・♀ 立てば芍薬,座れば牡丹,歩く姿は百合の花なのに、宇宙の力を借りて三角オムスビを作ろうとするジェダイマスター
『Yukoさん』・・・♀ 今日も煌めく斬鉄剣。シミジミ呑む傾向がある。
『ONO君』・・・♂ 大阪・名古屋・東京の夜の帝王。その携帯メモリには何が・・・?
『吾輩』 ・・・漢 半分はご飯、半分はやさしさで出来ているらしい。
******************************

めいめいにカヤックが割り当てられた。
大抵の者は赤色の舟であったが、Azマーニには黄色い巨大戦艦"ヤマト"、吾輩には青白い舟"ダンサー"が割り当てられた。吾輩、事前の申告にて「経験者」と申告したゆえの割当である。

吾輩、経験者とは言うものの、フロリダ州タンパにてカヌーに足繁く通ったと言うだけの事で、本格的に習った事は無い。だがまあ、泳げるし、体力あるし、2分潜水可能。あと吾輩ならばなんとかなるであろうという気合のみである。


皆のカヤックにはラダー(舵)が付いているのだが、吾輩の舟にはラダーが付いておらん。水抜き穴も無いし。また喫水がかなり浅い。これにより、水上機動の自由度は高く設定されるものの、進行方向を定めにくくひっくり返りやすい・復帰もしにくいという欠点を持つ、扱い辛いピーキーな機体となっておるのだ。

その扱いづらさは乗って即感じた。クリクリ回るわ、真っ直ぐ進まないわ、一漕ぎ毎に浸水・・・こいつは苦労しそうである。
だが、白い機体はエースの機体というのはガ○ダムに始まる日本古来の伝統。この栄誉は甘んじて受けねばなるまい。

・・・っと、即沈没。
エースの最初の撃墜マークは自分であった・・・


晩飯は昨日通り手が込んでいてσ゜д゜)ボーノ!

夜と言えばゲーム、と言う事で人生ゲームに興ずる。
ゲームと言えば吾輩。吾輩はゲームにおいては手加減を一切しない。結果は言うまでも無いが吾輩の圧勝。
生まれつき運命の女神にベタ惚れされておる吾輩は、基本的には無敵なのだ。
んが、情け容赦無さすぎて相当恨みを買った模様。
(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル
明日の朝日は見られるのであろうか・・・

吾輩、四万十川へ行く の巻 vol.2

2005年04月28日 | 旅~ゆけ~ば~
【旅立ち、そしてTV出演】

28日、出発当日。"いつものように"早々に仕事を切り上げて、旅の支度。

6名の猛者が集合し、2台の夜行バスで高知へ出発。とはいえ分乗したのは吾輩だけ(笑)
吾輩、瞬間入眠の達人ゆえ乗車後の記憶は無い。

29日未明、四国に上陸。
同日 朝、高知駅に先着。30分の後、もう一台のバスが到着し合流した。
高知駅合流のメンバー1名を合わせ7名が集結完了。

愛媛は温順な気候で押しなべてマッタリしたものだが、太平洋に面しておるせいか日差しも空気も南国風味が利いておる。とはいえ四国生まれの吾輩にとっては、まあ見慣れた感じの街並みであり空気。里帰りに近い感慨を抱いた。


高知駅から電車を乗り継ぎ、目的地であるユースへ向かう一行。
トロッコ列車に乗った時の事。TVカメラをぶら下げた2人連れが乗り込んできた。

このトロッコ列車は四万十川に沿う形で走っており、川と山、そしてこの時期、川に渡しかけられるたくさんの鯉のぼりの織り成す景観を楽しむ事が出来る。GWと言う事もあり、そのレポートに来ているらしい。


吾輩の隣に座るTVクルー。
「すいません、インタビュー使わせて貰っていいですか?」
・・・特に断る理由もないゆえ、吾輩TV出演決定。
「ありがとうございます。どこから来ました?とか簡単な質問ですので」
吾輩、了解である。脳内で想定問答シミュレーション開始。

レポーターはしばらく景色を見ながらの独白レポート。そして乗客全員にカメラをパン。
そしてインタビュー開始。
配置としては吾輩の左隣にレポータ、その正面には小学生の女の子と母親が座った4人体制である。
まず女の子に振った。

○○○○○○○○○○○
レポ「どこから来ました?」
女児「岡山から来ました。」
(まあ、無難だな[ココロの声])

レポ「へ~このトロッコ列車に乗りに来たんですか?」
女児「この本を読んで、行きたいなって思ってたんです。」
・・・と小説を差し出す。(笹川久三著『四万十川-あつよしの夏』)
(ぬぉあっ!小道具持参かぃ!!しかもストライクかつマスコミが一番嬉しそうなネタを!!プロかコイツ?[ココロの声])

レポ「じゃあ、良かったね来られて。どう?実際見て?」
女児「気持ち良いし、とても綺麗だし、来られて嬉しいです(笑顔)」
(ヌウ・・・着地も綺麗にまとめて高得点・・・[ココロの声])
○○○○○○○○○○○

準備の良さと動機の純粋さで、空前のハイスコアを叩き出したがきんちょ。
だが吾輩、愛媛県代表として負けるわけにはいかん!
吾輩も「この本を見て・・・」と言いたい所だったが、今吾輩が持っているのは村上龍の「半島を出よ(下)」 "北朝鮮コマンド"と"四万十川"では「この本を見て・・・」の後に続けようが無い。
ともあれ吾輩だって、想定問答シミュレーション完了である。何を聞かれてもあたふたする事は無い。
いざ尋常に!勝負!

○○○○○○○○○○○
レポ「どこから来ました?」
吾輩「東京からです。」
(想定の範囲内です[脳内ホリエモン])

レポ「東京から!このトロッコ列車に乗りに来たんですか?」
吾輩「いえ、この先でカヌーで川下りをするんで、そのついでに。」
(想定の範囲内です[脳内ホリエモン])

レポ(正面の母子を見ながら)「カヌーですかなるほど~、ご家族でいいですね~」
吾輩「Σ(゜Д゜;エーッ! 」
(・・・想定の範囲外です[脳内ホリエモン])

父性豊かで器も人間も大きい吾輩であるが、小学生の妻子持ちに見えますか・・・

吾輩「独身・彼女募集中ですヨ・・・。・゜・(ノД`)・゜・。」
というか、実際連れて来ているお父さんが気の毒である。
○○○○○○○○○○○

聞くと山陽放送のクルーらしい。せっかくオチ付きで出たのにからして、山陽方面に住んでる知り合いがいない。使われたのか使われなかったのか、どうだったのか等々確認できんのは残念よのう。
(後日談有り)

そんなこんなしているうちに目的駅到着。迎えに来たワゴンに乗ってユースへ向かう。
うちの婆さん家を彷彿とさせる山奥に着いた。もとい、着いたというよりは"帰って来た感"が強い。旅行と言うよりはもう完璧に帰省気分であるな。

晩飯が恐ろしく手が込んでいた事には驚いたσ゜д゜)ボーノ!
丸一日移動に費やした事も有り、瞬間入眠。
(ρw-).。o○

吾輩、四万十川へ行く の巻 vol.1

2005年04月27日 | 旅~ゆけ~ば~
【2回目の、戦士の休息】
GW、今年は2日間の休みを繋げると10連休という超大型連休。
子供達にとっても、疲れ果てた企業戦士達にとっても、嬉しい休息である。

とはいえ吾輩、疲れ果てるも何も、つい4月頭に個人的超大型連休を楽しんできたばかり・・・いや、もとい、あれは吾輩の漢を磨く為の辛く苦しい旅・・・レジャーや休養などでは決して無かった!!
サカキバラ・ゴウ曰く「それはそれ!これはこれ!」である。フッフッフ

とはいえ、さっさと予定入れて逃げないと「この間休んでたヨネ?」と仕事が飛んでくる可能性が極めて高い。かつ10日間部屋に死人のように転がってるなど真っ平御免である。
せっかくの長期休暇を無駄にする手は無い訳で、単発モノは有り得ない。やはり遠出である。

①国内は基本的に年中高い。
⇒Defaultの値として高い。シーズン時には"高い事"よりは"取れない事"がネック。
②海外はシーズンで大きく変動
⇒倍近くに跳ね上がる事もザラ。ちなみに先だって吾輩が行った4月頭は激安であった。
③そしてGWは"シーズン"に当たる。

以上3点を勘案するに、海外は消える。なぜならば、ちょっと外すだけで安く行けるものを高く行く道理が無いからだ。しかもこの間行ったばかりであるし。
ターゲットは国内に限定。


色々検討しておったら"四万十川カヌーツーリング"というのが浮上してきた。
◎カヌー・・・吾輩水中水上では戦闘力が上がる。カヌーはTampa仕込みである。
△諸費用コミで10万少々・・・高い、がまあ日数を考えればギリ許容範囲か?
○高知・・・実家に近いし、行った事もある。

"四万十川カヌーツーリング"企画、進めてみる事にした。


吾輩、同期連中にて人を集めるべく手当たり次第に声をかけてみる。

とはいえせっかくのGW、ベテラン独り者の吾輩じゃあるまいし、世の若人は各々想い人やら家族やらと予定が詰まりまくっておるだろうて。羨ましい話だ。
しかも金がちと張るし、カヌー漕ぎ続け+夜行バス絡みと結構マッチョ系の旅となる。
吾輩「まあ1・2人も集まれば御の字か」と思っておった。

ところがどっこい集まる集まる、7名も集まってしまった。
ム、"しまった"などと言うと失礼か・・・吾輩、奇特な友人に恵まれておるのぅ。

吾輩、東欧ぶらり旅 の巻(12)(終)

2005年04月08日 | 旅~ゆけ~ば~
【Round19:旅の終わりに】

こうして吾輩の東欧ぶらり旅は終わりを迎える。
今回は"結果的野宿"もなく、"結果的サバイバル体験"もなく、"日本に帰れなくて困ってる老人*6を救ったりする事"もなく、芸術にドップリ浸った非常に文化的な旅であった。
普段満たしてやれない審美欲求を存分に満たす事が出来たし、吾輩の抱いていた東欧への憧憬に十分応えてくれたと言えよう。
欧州はやはり便利が良い。フニャフニャ爺さんになっても来れる国である。

だが吾輩、死ぬ前に"世界の不思議"は全て見ておきたいのだ。
行きたい、かつ今の吾輩にしか行けない場所はもっと他にある。次はそういう所を潰すとしよう。

**************

旅は楽しい。血の流れる音が聞こえる。
普段、公私共に"のへーっ"としてる吾輩であるが、地球の裏側に居る時の吾輩の身の内には、得体の知れないチカラが沸き立っている。
同時に、ここでは自分が"外国人"である事や、地球の裏側で、違う時間の流れの上に、知己の輩がいつも通り生活している事に不思議な感慨を抱く。
目にするもの出会うものはいずれも新しく、雄大で、繊細で、薫り高く、伸びやかで、美しい。
吾輩の果てない探究心に応えてくれるものばかりだ。歩みを止めたくないと思う。

だが、吾輩、旅に行くたびに思うのだ。「日本に帰りたい」と。

無性にある人の顔を見たくなったり、旅の空での土産話を友に聞かせたくなったり、犬の頭を撫ぜたくなったり、見慣れた風景を見たくなったり・・・多くは"コメのご飯を食いたい"という理由であるが(笑)
「死ぬ時は宇宙の果てに向かってひたすら飛び続ける宇宙船の操縦席」と決めておる吾輩であるが、でもきっと、その瞬間が来た時には思い出すのであろうな。

帰る場所があるという事は、帰りたい場所があるという事は、素晴らしい事である。

吾輩、東欧ぶらり旅 の巻(11)

2005年04月08日 | 旅~ゆけ~ば~
【Round17:バベルの塔と神の兵法】

早起きOK 朝飯OK いざ行かんウィーン美術史博物館へ。
ウィーン美術史博物館はリンク西側方面、市外中心から程近い。嬉々として入場。
絵画、彫刻、工芸、古楽器などの他、エジプト、ギリシャ、ローマなどの古代美術も充実。フェルメール・ベラスケス・ルーベンス・レンブラント・ラファエロなどの誰でも名前くらい聞いた事のある巨匠の傑作、さらに世界最大のブリューゲルコレクションを所蔵している。
「極上ダゼ(≧∇≦)b 」

時間帯のせいなのか館内の空気はキーーーンと音がするほどに静かで、美術鑑賞に最高のコンディションである。素晴らしい時間が流れる。
程よい硬さのソファが随所にあり、また二階にカフェテリアが設置されており、そらもう優雅にのんびりと時間を過ごす事が出来た。

欧州の作品展示の仕方を見る度に、日欧の美術品と鑑賞者の関係性の違いを感じる。
日本の美術館はたかだか数百万の美術品ですらガラスケースで後生大事に囲っておる
一方、欧州の美術館では美術品と鑑賞者の間には何にも無い。ン十億円級の絵画が、手の届く距離にあり、鑑賞者と絵画とを隔てるものは無く、あってもロープ一本に過ぎない。例えゴッホの自画像であろうと、である。
そこまで信頼されたらば、一個の鑑賞者として真摯に向き合わざるを得ない。一見何も無いように見えるが、作品と鑑賞者の間には"作者への敬意と畏怖という緊張感"があると言えるのかも知れん。

芸術とは受け取り手がその素晴らしさを感じ取ってこその物である。
作者の筆遣いを感じられる位の距離で見られる欧州、芸術品をガラスで隔てて単眼鏡が必要な程遠くに据える日本と、どちらが良い環境かは言うまでも無い。

とはいえ、日欧問わずフラッシュばしばし焚くおばさんとか、ややもすると触りそうなガキンチョとか居る訳だ。
吾輩なら…ガラスで囲って銃携帯の警備兵配置で踏み越えたら射殺である。相当額の保険をかけているんだろうが、館長いい度胸であるな。


さて、ブリューゲル作品は絵の端々に至るまでストーリーが流れており、多くの人物がそれぞれの行動を取っている。よく見る事で「ウォーリーを探せ」的な楽しさがある。日本式の展示では十分に味わえない作家といえるだろう。
ブリューゲルコレクションの中に「バベルの塔」があった。会社にてとある困ったさんのプレゼン資料一枚目でドアップ見せられて面食らった事もある思い出深い作品だ。現物を見られてとても嬉しかった。

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"バベルの塔"の伝説を知っているだろうか?旧約聖書 創世記11章にある。
概略を述べると以下のような話である。
①むかーしむかし、人々は皆は同じ言葉を使っていた。みんな仲良し。
②相互協力によりどんどん人類発展。神様びびる。
③ある時、人の王が"神の国に届く塔の建設"を提案。建設ドンドコ進む。
④神様怒る。雷で塔を破壊。人々の言葉を乱した。
⑤人々は互いに争うようになり、神を脅かすような力を結集する事は無くなった。
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吾輩子供の時分にこの伝説を知り、遥か紀元前の昔にも情報戦の重要性が説かれていた事に大いに感心したものだ。

「敵の三分の一を力で討ち、三分の一を諜報で惑わせれば、残り三分の一は自ずと滅ぶ」と兵法にある。
雷(力)と言語の撹乱(諜報)を駆使し、人類を自滅の道へ誘った。実に優れた兵法である。
思えば、キリストもマホメットもブッダも、人々の安寧をそれぞれに考えただけで、大きなベクトルを同じくしている訳であるから、アラブ世界とキリスト教世界の千余年に及ぶ泥沼の争乱も、言葉さえ通じれば・相互に正しく理解し合える素地さえあれば、その多くは回避できたものなのかも知れん。
げに恐るべきは神謀鬼策、哀れな人類、である。


【Round18:甘味と望郷】

美術史博物館での濃厚な時間を終え、想定したミッションの全てを完遂した吾輩。明日はいよいよ帰国の途、という事でお土産を買いに行く事にした。
吾輩甘い物があまり好きではないので良く分からんのだが、ウィーン名物らしいので"ザッハートルテ"に決定した。
HOTELザッハーの位置はリンク南側から程近い。帰り道だしちょうど良い。
記述によると
・HOTELザッハーのある天才菓子職人が作ったチョコレートケーキ
・秘伝のレシピが流出し、コピー商品が発生。商標を巡って「甘い7年戦争」と呼ばれる裁判になった事もある。
・観光名所の一つとして観光客でにぎわっている。
吾輩が到着したのは日も沈みかけた夕刻。
カフェで茶をシバいておる客はそこそこ居るが、観光客の群れの姿は無く良い感じだ。せっかくであるから吾輩も茶をシバくとしよう。
記述によると「手加減無く甘い」との事。重ねるが、吾輩甘い物好きではない。だが"郷に入ってはサルも木から落ちる"という。
席に通され、注文完了。程なく到着したザッハートルテとメランジェを食す。

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【ターゲット分析】
[名称]ザッハートルテ
[外部]上部・背部のチョココーティング装甲の厚さ1.5~2mm、ツルリと黒光りの光沢有り。
[内部]スポンジ部は高さ3.5~4cm、深いこげ茶色。下部から1.5cmの部分に2mmの赤黒い層が挟み込まれている。アンズジャムと思われる。
[備考]横に生クリームがたっぷり添えられている。
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戦闘開始・・・あまぁぃょう・・・ 。・゜・(ノД`)・゜・。
チョコ部分、ザラメでも混じってるのか?ジャリジャリ音がする。スポンジ部分もヘヴィーに甘々である。アンズジャムが僅かに甘酸っぱさを醸し出すが、一口で吾輩の舌は昏倒しておる。甘過ぎると舌が痛くなるとは・・・これは予想以上であった。

メランジェで口直しをする。隣の人は砂糖をドバドバ入れていたが、吾輩ノンシュガー。
ザッハートルテとはこういうものらしい。そして本来の味わい方は、添えられた"無糖"の生クリームと合わせて調整しながら食すのである。多めに合わせて再挑戦。

・・・ホウ、殺意すら感じた甘味が旨く緩和されている。甘味の洪水の為に感じ取れなかったアンズの酸っぱさが、生クリームに乗る事で広がりを見せ、主張しておる。上部のザラメについても甘味が緩和された事で初めて、食感のアクセントとして楽しむ為の存在である事を理解できた。こいつは単体で食うものではないのだな。一個完食までに生クリームお代わりを頼んだのは言うまでも無い。
お土産にいくつか購入しておいた。


さて甘く苦しい時間を終え、吾輩、晩飯を食いつつふと思う。
「そろそろコメのご飯が食べたい・・・カレーと納豆と味噌汁とコーンスープが食いたい。」
大体旅も終盤になると日本に帰りたくなる。吾輩はコメを求め、コメも吾輩を呼ぶのである。地球の裏に居てもアナタが恋しく思えるのである。

・・・コーンスープはメニューにあったので頼んで食っといた。

吾輩、東欧ぶらり旅 の巻(10)

2005年04月07日 | 旅~ゆけ~ば~
【Round15:ウィーン偵察】

吾輩が最初に着いた東欧の国であり、かつ最後に訪れる事になった国オーストリア・ウィーン。

吾輩が行きたい国に長らくノミネートされていた。なぜか?
世界にその声望高きウィーン美術史美術館とベルヴェデーレ宮殿があるからである。
数百年に渡り欧州に覇を唱えたハプスブルグ家が集めに集めた芸術コレクションが鎮座している。

吾輩を知る人間に聞かれたら笑われそうだが、実は美と芸術をたいそう好む男である。
先だってフランスへ行った折の事。ルーブル・オルセー・オランジュリーと行くつもりだったのだが、ルーブルは定休日/オランジュリーは改装中と言う事で、大きいトコはオルセーにしか行けない事に・・・"その瞬間は"不満を感じたものだ。
だがオルセーのあまりの巨大さと所蔵量に面食らった。行った事があれば分かると思うがオルセーのみで既に到底回りきれるサイズではなかったのだ。いやはや欧米人の蒐集熱とは恐ろしい。
その学習もあり、今回吾輩は美術館以外に時間を割く事はつもりはない。残った2日、缶詰めになれば、存分に見られるはずだ。

毎度思うのだがEU加盟国は国境通過が楽でよい。世界中EUに加盟してしまえばよいのに。バスを降り電車を乗りついでホテルへ向かう。吾輩のホテルは遠すぎてCityMapに載ってなかったりする。終電逃したら歩いて帰るという訳には行かない距離、ちと不便。

荷物を置いたら即出動である。だが既に20時を回っており美術館は閉館しておる。ここを吾輩は市内観光に充てる。無駄の無い行動である。

ウィーンの町をイメージして貰おう。
例によって都市中心部には協会(聖シュテファン寺院)があり、リンク(昔の城壁・現在ウィーン中心地を囲む環状道路)が走る。
リンクに囲まれた1区と呼ばれる地域には、歴史的建造物が多く保存されている。そこから放射状に道が伸びそれに重なる波紋のように丸く道が走る。
北にドナウ川が流れ、町並みからちょっと離れた所でウィーンを囲むように深い森が広がっている。シュトラウスのワルツでも有名な「ウィーンの森」だ。
山手線のように大きくぐるり一周路面電車。こいつに乗ればウィーン市街の見応えある建築物がほぼ網羅可能。都市内の交通費が安い。1週間地下鉄/バス/路面乗り放題券で1000円程度。
吾輩はリンク沿いに走る路面電車で右回り。乗り放題券ゆえ途中下車しまくり夜のウィーンを闊歩する。
整備が行き届いてとても散策しやすい。小汚い東京ラビリンスとは大きな違いである。

市立公園⇒フォティーフ教会⇒ウィーン大学⇒ウィーン市庁舎⇒国立オペラ座⇒自然史博物館⇒美術史博物館⇒聖シュテファン寺院
夜景を楽しみながら、街の作りを体で確かめる。前述したように、実際動く時に便利が良いのである。
飯を食ってホテルに帰った。



【Round16:クリムト参りとウィーンの森散歩】

翌朝、ベルヴェデーレ宮殿へ向かう吾輩は、ついでにシェーンブルン宮殿に立ち寄った。朝の時間も無駄には使わんのである。
ハプスブルク家の夏の離宮であるこの宮殿、1000室以上あるらしい。面白い事にあまり廊下が無く、部屋と部屋が直結しておる。次の間・次の間といった塩梅だ。
また、一部屋毎にテーマが決まっており、漆器で出来た部屋やら陶器で出来た部屋やらユニークな作りだ。

他の家族と並んで、マリー=アントワネットの幼少期の肖像があった。
多少美化されてる分を差し引いてもガキンチョの時分にこれだけ可愛いのであるから、花の盛りにはさぞや美しかった事であろう。

ベルヴェデーレ宮殿へ向かう。上宮・下宮に別れており、間には庭園が広がる。
吾輩が行った折は、宮殿上部の彫刻据付工事をしておった。いんちき英会話によると、彫刻を洗浄・修復していたのだそうな。
排ガスと酸性雨の為に大理石の彫刻が黒ずみ・腐食してしまうのだ。げにMotorizationとは罪なもの。

さてグスタフ=クリムトである。ここの上宮にはクリムト作品がずらりなのだ!
吾輩お気に入り+ご存知の「接吻」を始め、「ソーニャ・クニップス」「水蛇I」「アデーレ・ブロッホ=バウアー」「ヴィオレットの帽子」「アッターゼーの風景画」・・・と、趣味の世界へ逝ってらっしゃいといった風情である。ぬぁああ。とはいえ、多分分からんだろうから深くは書くまい(笑)
「言葉は多くの場合、真実を隠す事しか出来ない」昔の人が言ったとか言わないとか。こういうものは見ないと分からん。

市電に乗って北へ北へ。
グリンツィングにて下車、バスに乗ってKahlenberg山頂を目指す。
ここはシュトラウスのワルツ「ウィーンの森の物語」でも有名な"ウィーンの森"。
山頂には展望台があり、ウィーンを一望する事ができるそうな。

んが、疲れていた吾輩は車中居眠り。慌てて起きて、違うバス停で降りてしまった。Kahlenbergの2つ手前。時間もあるし天気も良い。原っぱがあったので寝転がる。ここからでもウィーンを一望できた。ここはここで良い。

Kahlenberg山頂に到着、展望台に登る。なるほどウィーン一望だ。んがちとガスっぽくなってる。先刻の方が綺麗であったな。
今日のミッションは完了である。せっかくだし、グリンツィングまで歩いて帰った。

吾輩、東欧ぶらり旅 の巻(9)

2005年04月07日 | 旅~ゆけ~ば~
【Round13:BEER!ビール!麦酒】

ご存知の通り、チェコと言えばビールである。
ちなみに吾輩、そんなに酒が好きという訳ではない。お茶と牛乳の方が好きである。
だが、海外となると話は別である。水道水はまずアウト、ジュースは変な色で甘すぎるし、ミネラルウォーターは高い上にミネラル強すぎておいしくないし冷えてない事も多い。
という事で、吾輩どこへ行っても安くて冷えているビールを飲料水代わりにしている。吾輩にとってビール程度のアルコール度数は水同様の為、酔っ払う心配も無い。

さて、バドワイザーというアメリカのビールを知っているだろうか?
あれの元祖が"ブドバイザー・ブドゥバル"というチェコ製のビールである。
立ち寄ったBARで隣の客から聞いた面白い話を教えよう。
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むかーしむかしのことじゃった。あるところにビール会社があったとさ。
自慢の商品"ブドバイザー・ブドゥバル"はチェコでは大人気、世界展開を狙ってアメリカへと進出した。
ところが、その時の協力会社が"ブドバイザー・ブドゥバル"の製法をコピーして"バドワイザー"と銘打って販売したところ、世界的大ヒット。
"ブドバイザー・ブドゥバル"を英語読みにしただけの商品名・製法もほぼコピー・しかも大もうけ。
ビール会社はたいそう怒って商標権侵害で訴えた。

長ーい長い裁判の後、「ヨーロッパに"バドワイザー"を輸入してはならぬ」という大岡裁きが下った。
こうして、ヨーロッパは"ブドバイザー・ブドゥバル"、それ以外の全世界は"バドワイザー"という住み分けになったそうな。
********************************
ともあれコピー商品が世界を制覇してしまったという哀愁漂うビールなのである。

ブドバイザーの他にもピルスナー・ウルクェルや他の地ビールもたくさんある。
つまみのソーセージが安くて旨いので、酒が異様に進んでしまうのは玉に瑕であるな。
アメリカのビールは『ビールの水割り』不味くて飲めたものではないが、吾輩、チェコのビールは好きになったのう。


【Round14:書き割りの街とビール醸造所】

さて、プラハを離れた吾輩、バスで一路オーストリア方面へ。
国境近くのチェスキークルムロフという町で下車した。

オレンジ色の屋根の連なるこの町並みは世界遺産に登録されているそうである。
吾輩、すっかり世界遺産めぐりであるな、今回(笑)
町は非常にこじんまりとしていて、2時間もあれば全て巡れるサイズである。

この町でおもしろかったのは、建物の装飾。
遠くから見ると、建物に立派な装飾があるように見える。
だが近づいてみると、なんとそれは壁に描かれた絵なのだ。
丁寧に陰影を付けて起伏を表現しているばかりか、手の込んでいる事に彫像まで絵である・・・セコッ
これは王宮でも同様、いやむしろ悪化(笑)
王宮の門の横の堀の中には、なぜだか巨大な熊がいる。
ヒグマかグリズリーか?ともあれ巨大。ゴロゴロ転がっているからアレは絵ではなさそうだ。

これは、ルネッサンスの影響らしい。
当時ここを治めていた貴族がルネッサンスにひどく憧れて、町をルネッサンス様式にすべく開発を始めた。
しかしメディチ家ほど莫大な財がある訳ではなく、資金に困窮。
ルネッサンスへの思いを捨て切れなかった彼は、「それっぽければまあOK(≧∇≦)b」という事でカキワリにすることを思いついた。
こうしてカキワリだらけの町が出来上がった。それがいつしか世界遺産登録されるのだから面白いものだ。
日本各所にあるトンでもテーマパークも、300年くらい経てば世界遺産になるのかも知れんな。

さて、日本ではゴロゴロするのが好きな吾輩だが海外では異様に健脚、まして小さな町である。一時間そこらで町を巡り通してしまった。
ここへ来たメインディッシュへ向うとする。

もともと来るつもりは無かったのだが、プラハ以降の予定を立てる為の情報収集の中で、気を引くものがあったのだ。
ここチェスキークルムロフは世界遺産である。なおかつ、冒頭の話にも繋がるのだがここにはエッケンベルガーというビールの醸造所があるのだ。500年前からあるとかなんとか。
世界遺産だし、ビール工場もあるし、と言う事で来た訳だ。

ビール工場は町の北西端にある。
町中は例によって観光客はウジャウジャであったのだが、工場周辺に観光客然とした者は誰もいない。ちと離れてるから観光コースには入ってないと言う事であろう。
せっかくなんだから飲んでいけば良いものだが、吾輩にとっては好都合である。
だが、工場の外見はボロボロで廃屋と見紛うばかり。壁崩れてるし、窓割れてるぞ・・・大丈夫か?
しかし窓の向こうには機械と蛍光灯、機能はしているらしい。

建物に入ってビアホールへ直行。エッケンベルガー13%を注文した。
『13%』吾輩は最初ラベルに書いてあるこの数字を見て『アルコール度数』だと思い、凄いビールもあるもんだと感心しておったのだが、実際13%というのはバリング指数と言うもので、元となった麦汁の糖分濃度を表す。
さてお味の方は・・・ムウ・・・旨い・・・とても旨い。吾輩、普段ビールを旨いと思ったことあまり無いのであるが、これはおいしかった。
客はまばら。新聞読みながらビール飲んでるおっさんが3・4人いるだけの店内。店員も手持ち無沙汰なのか、談笑している。平和である。
吾輩もサッカー中継を見つつ、しばし飲んだくれた。

バスでウィーンへ。

吾輩、東欧ぶらり旅 の巻(8)

2005年04月06日 | 旅~ゆけ~ば~
【Round12:プラハ城攻略戦】

本日は市内観光にいそしむ事にした。
とりあえずはプラハ城を目指す。
昨晩渡ったカレル橋へ到着。カレル橋は歩行者天国である。天地に隠れなく日当たりの良い、明るい観光地だ。
橋は本来片方から片方への移動を可能にするのが役目であり通過点に過ぎないものだが、みやげ物屋や似顔絵描き・大道芸人、左右に居並ぶ銅像、橋から見える景色、立ち止まる理由がここにはたくさんある。それゆえ、大勢の観光客に満ちている。吾輩もその1人。試しはしなかったのだが、街角で見かけるたび似顔絵を一度描いてもらいたいのぅと常々思っておる。今度試してみよう。

居並ぶ銅像の中に、聖ヤン・ネポツキーという聖人の像がある。
昔話にはこうある。
****************
彼、ヤン・ネポツキーは僧侶である。ある日王妃が懺悔にやって来た。ある告解を行い、ヤンはそれを赦した。
そこへやって来たのは王様。自分の奥さんが懺悔したと聞いて、何を告白したのか?とヤンを問い詰めた。そらまぁ自分の妻が自分に言えない様な秘密を持ってると聞けば、王様ならずとも気になる所だろう。
しかーし、そこは懺悔のルール。奥さんは"神"に告白したのであって、それをバラすのはルール違反である。ヤンは断固拒否した。

嫉妬と猜疑心と王としての矜持が入り混じっている王に理屈は通用しない。めっちゃ怒った。なんとヤンを皮袋に詰めてヴァルタヴァ川に投げ込んでしまえ!と兵士に命令。兵は命令通り、ヤンをぶっちめて皮袋に詰めて川に放り込んだ。
哀れヤン。だがその折、5つの星が水面に現れるという奇跡が起きたのだそうな。それからヤンは川の守護聖人として、あがめられる様になったのだとさ。
****************
だが実際、ヴァルタヴァ川は何度も氾濫してプラハは水浸しになっておる。そらまあそういう目にあって、川の守護もないもんだ。ほんとの歴史では、プラハ大司教が王ともめた際に連座で捕えられ、拷問の末殺されてしまったのだそうな。悲惨な人である。

聖ヤンの像の足元には『告解する王妃』『川に投げ込まれるヤン』の図がある。王女と犬の部分が金ピカになっている。犬の方を触って願い事を言うと叶うらしい。吾輩もいろいろとよーくお願いしておいた。フフフ・・・

カレル橋を越え、徒歩でプラハ城へ向かう。プラハ城と旧市街地区は世界遺産に指定されている。
昨夜の登山の折、ライトアップされたプラハ城が見えておったが、昼間はまた違った風情がある。
衛兵だ、イギリスの衛兵みたいな奴。直立不動で気配を感じさせない。雨がちと降っているせいか、小さな小屋みたいのの下に立っておった。

吾輩、学生の時分にガードマンのアルバイトをやった事があるのだが、ジーーーーッと立ちっぱというのは、あれでどうしてしんどいものだ。
足がうっ血して痛くなる上、関節がバカになってカックンカックン。この状態では引ったくりが起きても走って追いかけられんし、車が突っ込んできたら避ける事も出来ない。デクの棒である。
「有事の際に動けない体では意味が無いではないか、何で立ちっぱなしじゃないといけないのか?これが人間の仕事と言えるのか?」と思った事もあったが、もう二度とする事もつもりもないからまあよかろう。
んが、この人ら衛兵は軍人である。吾輩のような泣き言の通用する世界の住人ではない。鍛え方も違うであろうからして、有事の際にもきっとキビキビ動けるのであろう。トイレもひたすら我慢である。

マティアス門をくぐり、聖ビート大聖堂へ向かう。プラハ城を見た時に遠目にも鮮やかな尖塔は、この大聖堂のものである。入るのにも金が要るし、写真を撮るにも金が要るらしい。渡る世間は金ばかりである。

大聖堂にはステンドグラスが付き物であるが、一枚だけ明らかに異質な味を醸し出しておるのがある。ミュシャ作のステンドグラスである。アルフォンス・ミュシャをご存知であろうか?作品に溢れんばかりのファンタジー感は、吾輩の想像力をこれでもかと触発したものだ。ミュシャはチェコの人だそうな。ミュシャ作品自体は知ってたのだが出自までは知らんかったな。大聖堂を後にして、王宮へ向かう。
ヴラディスラフホールに入る。板張りの床といい音の響きといい、体育館さながらである。

ホールの横に小さな戸があり、その先にテラスがある。
世界史で学んだ「ドイツ三十年戦争」と言うのを覚えているだろうか?ドイツを舞台にヨーロッパ全土を巻き込んだ大戦争である。その発端となったチェコのプロテスタント貴族がオーストリアの代官を窓から突き落としたという事件、それはここで起きた。
歴史好きの吾輩としては是非見たい・・・が、鍵がかかっている。
ぬう・・・

しかしこんな事で諦める吾輩ではない。吾輩得意の"日本語風味のイングリッシュ伊予弁添え"でその辺を歩いていた警備の兄ちゃんにテラスを見たい見たいと伝えた。

「シーズンじゃないから、閉めてる(英語)」「開ける事は出来ない(英語)」
ぬう・・・頑固者め・・・、あれこれとしつこく食い下がる吾輩。
「・・・ハァ・・・ちょっと待ってろ(英語)」

兄ちゃんは仕方ないという素振りを見せて去り、数分の後、鍵束を持って帰ってきた。
どうやら開けてくれるらしい。何事も試してみるものだ。

戸をガチャガチャと開け、その先のテラスの鍵もガチャガチャと開け、中へうながされた。
「飛び降りちゃダメだぞ(笑)(英語)」
兄ちゃんは外に出て、小戸をバタンと閉めた。吾輩、特別扱いラッキーである。
テラスからはプラハの町が一望。オレンジの屋根が連なっている。右手には展望台と昨晩吾輩が下った山道が見える。
ここから投げ落とされたら確かに死ねそうだ。足から落ちても腰まで砕けそうである。

テラスでしばしボヘーっとした後、戸を出ると兄ちゃんが立っていた。他の観光客が入れないように番をしていたらしい。兄ちゃんがテラスの戸締りをしている時に他の観光客が戸をくぐって行ったが、あっさり追い出されて来た。漁夫の利得ようなどと甘い甘い、ちょっと優越感である。
サンキューサンキューと握手をして離れた。

プラハ城の一角には「黄金の小道」と呼ばれる通りがある。古くは王が雇った錬金術師達が住む通りだったらしい。ドラクエがリアルならこんな感じなんだろうなといった雰囲気である。・・・なのだがアジア系がうじゃうじゃしてて、一見すると日本の地方都市の第三セクターが作ったチンケなテーマパークの様相を呈している。欧州の景観を破壊するにはアジア系外国人を集めるのが一番である。まあ吾輩も怪しげなアジア人の1人ではあるのだが。
店を冷やかしつつほげほげ進み、プラハ城を後にした。

さて、ミュシャがチェコ出身である事を知り、当然あるであろうという類推の下にミュシャ博物館を見つけて、訪れた。
民家と見紛うばかりに小さかったが、展示作品はいずれも一見に値するものばかりである。
画集を見てると一つ気に入ったのがあったので、もしポスターかリトグラフのレプリカでもあったら多少高くても買っても良いかなーと思ったのだが無かった、残念。

さて、どこへ行っても日本人観光客がとても多い。中年~初老のジーさんバーさんだらけ。ツアーなのだろうか、よほど金余り暇余りの様子。富裕老人の年金は打ち切って然るべきと思うのだがどうであろう。
ぞろぞろ群れてふらふらしている様子は獲物感満点であるし、日本人ご一行様は世界各地でカモられているのであろうな・・・
だが、彼等は早朝や夜半になると一気に姿を消す。似たり寄ったりのスケジュール下で動いておるからな。
吾輩の活動時間帯とは一線を画すゆえ、まあ気にする程でもなかろう。

明日はいよいよプラハを離れてオーストリアへ向かう。旅も終盤である。

吾輩、東欧ぶらり旅 の巻(7)

2005年04月05日 | 旅~ゆけ~ば~
【Round10:千の塔の街】
程なくチェコへ到着。吾輩やっぱ体力少なくなってるのだろうか?
疲れてるのか眠たくて仕方が無い。
バスでホテルに着いた後、まあ出歩ける時間ではあったが、寝てしまった。
明日の為の充電である。・・・と思ったが、思い直してやっぱり起きた。
死んだ後に幾らでも眠れる、立って歩け歩けである。


チェコの首都プラハは「千の塔の街」とも言われる。とにかく尖塔が多いのだ。
昔話やゲームの世界がそのままといった風情。
街の雰囲気を言い表すならば"魔法のかかった街"魔法使いの店とか有りそうである。

吾輩、死に体に鞭打って出た夜の散策であるが、すぐに力が沸いて来た。
夜景がとみに美しい。幻想的ですらある。
大抵の都市は無機質感が否めないが、プラハには中世の味わいの濃い街角が多い。
夜になり、街に闇夜が流れ込むと、その魔法が更に強まるようだ。
街の形はブダペシュトに近い。真ん中を走っているのはヴァルタヴァ川である。

街の夜景を一望すべし!という事で山の上の展望台を目指す事にした。
目指す展望台はプラハ城の南側の山頂。

ヴァルタヴァ川に出た。対岸に見えるのは世界遺産プラハ城。
カレル橋を渡る。カレル橋の左右には15対の聖人像が立っていて、フランシスコ=ザビエルの像まである。
夜のカレル橋の上から見るプラハ城。絵になるのう。
疲れた脳もあってか、ハイテンションの吾輩。すげーとかうおーとか奇声を発しつつ進む。


【Round11:千の塔の街で破綻】

しかし吾輩の旅、破綻は付き物である。
目的の展望台、山である。
頂上までケーブルカーが走っているのであるが、走ってない。
どうやら店じまいしてしまったようだ。

「仕方が無い」吾輩、徒歩で山を登り始める。
登山路は左右に大きく蛇行しながら緩やかなスロープを描いている。
しかし吾輩はスロープ無視。山頂に見える展望台目指して一直線に進む。しかも駆け上がる・・・疲れてるのに。

いつしか道なき道へ。うおーとか負けるかオラーとか言いながら、ガンガン踏破。
ゼーゼー言いながらやっと着いた展望台。ここから見える風景は格別であろう。

「ありゃ?・・・閉まってる。」
ガ━━ΣΣ(゜Д゜;)━━ン

展望台閉店、疲れ百倍である。・゜・(ノд`)・゜・。
まあ落ち着いて考えれば、そもそもケーブルカーが止まっている時点で、
その上にある展望台だけやってる訳が無いのだ。

「日本では7時くらいだろうか・・・
吾輩がチェコで山駆け登ってガックリしながら下山してるなんて
誰が想像するであろう・・・」などと思いながら下山。

駆け上っている時は気付かなかったが、
山からゆっくり降りている時に吾輩の視界を満たした眺望は、
それはそれは美しいものであった。

人生の教訓のようであるな。

ホテルに戻って電池切れ。就寝。

吾輩、東欧ぶらり旅 の巻(6)

2005年04月05日 | 旅~ゆけ~ば~
【Round8:次の行き先はドコ?】
ホテルに帰って次の行き先を検討。
旅の初めには、ポーランドとかチェコとかスロバキアとかルーマニアとか色々考えていたが、別に国数を稼いでも仕方ない。
ゆっくり散策する為にはやはり1泊か2泊はしたい。
機内泊+移動+オーストリアでも2泊くらいすると考えると、もう1ヵ国くらいだのう。

現在地はハンガリー。地理的に隣接しているという意味ではスロバキアかルーマニア・クロアチア・セルビアモンテネグロ。
また問題なく帰国に至る為には、オーストリアに隣接していて欲しい。するとスロベニアも有りか?
しかし、クロアチア・セルビアモンテネグロ・スロベニアは吾輩所持の地球の歩き方にほとんど載っていない。拠り所となる情報の無い場所に行くのはリスクが大きい。
すると畢竟、スロバキアである。
だが、吾輩そういうありがちの結論はあんまり好む所ではない。手元にある情報で判断すべし、という事で地球の歩き方を熟読。

ビール旨そう・世界遺産・最終目的地であるオーストリアにも隣接という事で『チェコ』に決定。
翌日の夕刻のチェコ行きの飛行機予約を入れ、就寝。

【Round9:ドナウの膝】
さて今日は朝早くから行動開始。SzentendreとEsztergomを見物に向かう事にした。
それぞれブダペシュトからドナウ川を遡る事20kmと60kmの位置にある。
Esztergomではドナウベンド(ドナウの膝)と呼ばれる風景が見られるそうな。それを目指して程よい小旅行である。

郊外鉄道を用いてSzentendreへ。
本によると、ブダペシュトに近い事もあって観光客が凄い量来るらしい。んが、吾輩が来たのは早朝。住人がちらほら居るくらいである。
中世の色を濃く残す風情ある町並み。細い路地も多く吾輩好みである。何があるって訳でもないがテクテクと散策。
現地の猫としばし戯れた後、朝飯を食った。店の外に出ると、なるほど観光客がウジャついてきた。

吾輩、人を見物しに来た訳でもないので、ドナウの川原で一人ボヘーっとバスが来るのを待つ。
Esztergomへ向かう。

Esztergom着。駅の前の小山にフェーセーケセジハーツという幅も高さも100mを超える巨大な大聖堂がそびえ立っている。大聖堂の中も外観通り巨大。
この聖堂の裏っかわにドナウが流れており、そこからドナウベンドが見えた。ドナウが90度くらいカックンと曲がって流れているのだ。川の向こうに見えるのはスロバキア。
一通り見物の後、大聖堂の地下というのか、小山の麓といえばいいのか、にあるレストランで飯を食う。ウェイターの言う所によれば、ここはかつて聖堂所有のワイン倉に使われていたのを改装して作ったそうな。

電車に乗って90分、ブダペシュト西駅へ。60km走って350円とは安いのう。そのまま空港へ向かう。
旅慣れてるのか運がいいのか、時間も乗り継ぎも何もかもが計算通りに運んでゆく。
安いし、おみやげにフォアグラ買おうかな?と思ったが、吾輩の知り合いにフォアグラ好きの人がいないので、まあいっかと。
小さい飛行機に乗って、さらばハンガリー、いざチェコへ。

吾輩、東欧ぶらり旅 の巻(5)

2005年04月04日 | 旅~ゆけ~ば~
【Round7:信仰深い東洋人 in Hungary】
さて、もう日も傾き始めた。地下鉄に乗って市街へ。市街中心部にある聖イシュトバーン大聖堂の見物に行く事にした。

ご存知の通り、ヨーロッパの街の真ん中には大抵大きな教会があり、吾輩はキリスト教信者ではないが、とりあえず見物に行く事にしている。

そして、吾輩が協会に行くとミサになるのが恒例(笑) アイスランドの教会、フランス・パリのノートルダム寺院・マドレーヌ教会・モンサンミシェルなど、教会を見物していて、椅子に腰掛けて地図見てたらいつしかミサのど真ん中といった塩梅だ。
キリストさんは吾輩をよほど勧誘したいらしい。

吾輩は自分が信者じゃないからといって他人が大事にしている儀式を台無しにするような行動は取らない。"郷に入っては郷に従え"、フランス語?で賛美歌を歌ったり、隣のオッサンと握手したり、隣の婆ちゃんとハグハグしたりと、周りのマネをしながら精一杯頑張るのである。


さて、聖イシュトバーン大聖堂に行ってみたらば凄い警戒態勢である。警察・軍隊・黒服SPだらけ・・・TV中継車も来ている、なんだこりゃ。
入り口の方に回ると、人人人、人の山である。入りきらないくらい来ている。しかもまだ集まってきている。思い至るのはローマ法王の死。追悼ミサでもやってるのだろうか。
中の話がマイクで外にも聞こえてくる。「PrimeMinister・・・」総理大臣が来てるのか?という事は他のVIPも居るのだろう。警戒具合に納得である。

せっかく来たのだから教会内部を見物したいが、入れない。 まあ所詮はミサ、待ってれば終わるだろうと思い、大聖堂前の広場の真ん中くらいにあぐらで座った。
18時に近くなり、日はもう沈みかけている。・・・ぬう、眠たくなってきていつしか寝てしまった。

と、ちょんちょん、と肩をつつかれた。目を開けると目の前に小さな子供がおる。年のころは3歳くらいか?この子がつついたらしい。何の用だろう?
子供が手を差し出す。握手?握手を求められているらしい。座ったまま子供と握手を交わす吾輩。はにかみながら去ってゆく子供。 すると、もう1人5歳位の子供が近づいて来た。そして手を差し出す。よく分からんが、その子とも握手を交わす吾輩。そしてダッシュで去ってゆく。
子供らはちょっと離れた所にいる母親らしき女性の側に駆け寄り、吾輩に手を振りながら去って行った。

???意味がわからん・・・と思いながら、再び元の姿勢に戻る。
と、視界の端に妙なものを捕らえた。こちらにカメラのファインダーを向けた男性である。
???何故に吾輩???
撮ろうとされていると思うと、なんか今の姿勢を崩せなくなってしまった。と思うと"今の姿勢"が逆に意識できるようになった。

吾輩は今、ローマ法王の追悼ミサが行われている大聖堂前の広場の真ん中に座っている。
あぐらをかき、荷物を腹側に抱え、両肘を自分のふとももに当て、前傾姿勢。
手は合掌の形である。その合わせた手を鼻筋に当てて頭を支えている。そして目をつぶっている。

そして気付いた。「吾輩、めっちゃ追悼してるやん」
そう、外から見ると『追悼ミサに来たが入りきれないので、せめてと大聖堂に向けて手を合わせ、凄い長時間じっと瞑目して法王の死を悼んでいる、信仰深い東洋人』と言った風情である。
後に分かった事だが、ハンガリーではキリスト教徒は多くなく、無宗教の人がほとんどらしい。キリスト教徒にとっては数少ない仲間の上、信心深い東洋人というレア物を見つけて物珍しかったのだろうか。

「あの人はメッチャ信仰深い人なんよ。見てごらん、ずーっと手を合わせて法皇様の死を悼んでる。あんたらちょっと行って握手して貰って来なさい。」
とかなんとかお母さんに言われて、3歳弟は素直に握手を求めに来て、5歳兄はちょっと照れ臭がりながらもそれに続いた、というストーリーなのではないか(笑)

吾輩、東欧ぶらり旅 の巻(4)

2005年04月04日 | 旅~ゆけ~ば~
【Round6:温泉めぐり】
ハンガリーには温泉が多い。ブダペシュト市内も温泉だらけである。
吾輩、郷里の道後温泉に始まり、モンゴルでもアイスランドでも温泉に入ったほどの温泉好きである。
朝8:00からやってるようだ。なんかもう今日は温泉巡りだけで良かろうと心に定める。

ブダ地区のブダ城の南に"ゲレールトの丘"というのがあるのだが、その側にゲレールト温泉というのがある。
ブダペシュトで一番有名な温泉らしいのでまずそこへ行く。
地下鉄と路面電車を乗り継いで30分ほどで到着。5つ星のホテルが併設されていた。
ぬう、料金表は英語表記も付いていたが吾輩の英語力ではあまりわからんかった。
帰り客の様子などと合わせて考えると、どうやら前金で払い、時間に応じて返金があるようだ。プールとお風呂があるらしい。吾輩は勿論お風呂の方希望である。水着がいるらしいのだがレンタルの水着というのは白フンドシである。しかもちっさい。借りるのもアホらしいなーと思いトランクスで入ってしまう事にした。インチキ英語のやり取りの後、施設内へ。

温泉内部は実に庶民的な"銭湯"といった感じである。白フンドシのオッサンだらけである。ただでも濡れて透けてるのだが、布がとても小さい為に具がはみ出しまくりである。水着の意味が無い。チラリズムの功罪というのだろうか・・・丸見えの方がまだいいと思うのだがどうだろう(笑)

さて、32℃と36℃の2つのデカイ湯船とサウナと謎の部屋があった。
温度の違いの意味は良く分からんかった。かなりぬるい風呂とぬるい風呂といった感じか。
サウナはメッチャメチャ熱い上に手加減無用のスチームサウナ、呼吸が苦しすぎるぞ。

サウナをメインに湯船を行き来しつつ、のんびりと過ごす。
謎の部屋が気になる所である。入り口すぐ側まで近づいて中の様子を見る。
謎の部屋はドアなどは無く、それほど大きくない。人間大の台が3つほど並んでいるだけの部屋である。
しばらく見ていると、一人のオッサンが入っていって台に寝転んだ。
・・・と、フンドシ装備の禿でぶっちょのオッサンが突然に登場。吾輩から死角になっていた部屋の角に待機していたようだ。
想定外の至近距離登場+オッサンの風貌のインパクトに、吾輩、体全体でビクッ!っとしてしまった。
でぶっちょオヤジが寝転んだオッサンの体のマッサージを始めた。どうやらマッサージルームのようだ。

しっかし、ほぼ全裸・あまつさえ小さいスケスケフンドシ着用のオッサン2人のマッサージ風景。ぬう。

タイで古式マッサージ受けてすごーく気持ちよかった思い出はあるが、さすがにほぼ全裸フンドシのおっちゃんに体を揉みまくられるというのは、あまりに上級編過ぎる。
吾輩、チャレンジ精神はある方である・・・が、トラウマになった上、お婿に行けなっては困る。今回は遠慮しておく事にした。

結局4時間近く居た。3つ4つ行ったれとか思っていたが、2つがいい所かな?まあ数ではあるまい。
地下鉄に乗って、英雄広場へ行く。動物園と遊園地があった。遊園地は子供用と大人用があるとの事、大人用遊園地・・・意味深である(ってオッサン臭いかw)。
テケテケと散策の後、英雄広場の側の温泉へ。
ここは外側が宮殿みたいな温泉であった。内部もゲレールトに比べるととても綺麗であった。新しい、といった方が適切なのか?
現地の人らしきオッサンが話しかけてきたので、インチキ英語で世間話を楽しんだ。フンドシとトランクスの男が握手する光景。文字通り裸の付き合いであるな。

吾輩、東欧ぶらり旅 の巻(3)

2005年04月03日 | 旅~ゆけ~ば~
【Round5:ブダとペシュト】
やってきましたハンガリー17時。日が傾いておる。空港からバスに乗り市街地へ。
市街中心部からちょーーっと離れたホテルへ到着。まあ、安いからこんなもんだ。
例によって吾輩の命の綱は「地球の歩き方(東欧)」である。が、アバウト過ぎて個別の散策には役立たないようだ。
ホテルでMapを入手。読めないが何とか勘で解読。今後もこういう旅になるであろう。

ブダペストの街の作りをイメージして頂こう。
①丸を一個描く。これが街とする。
②丸の真ん中くらいを通る形で上から下へ一本大きな川を通す。これがドナウ川。
③割れた丸の左半分がブダ地区。右半分がペスト地区。円の中心、ブダ地区側にかつての王城がある。
ブダ+ペストでブダペスト。とても分かりやすい。
"ブタペスト"かと思っていたら発音が違うようだ。"ブダ"と"ペシュト"との事。
ブタ地区は比較的金持ちの住む旧市街地。ペシュト地区は経済活動が盛んな新市街地である。
吾輩の宿屋はペシュト地区の北の方。市外中心までは3kmくらいあるのだろうか。西に300mくらい歩けばドナウ川である。

旅の疲れもそこそこに、日が落ちて暗くなったブダペシュトの街へと散策に出る。特に目的は無いが、強いて言えば晩飯と明日の探検の下調べと言ったところだ。
地下鉄が近くに走っていたが、ドナウ川まで歩いて川沿いに南下する事にした。
川幅は差し渡し150mくらいだろうか、水量も多く、屋形船みたいのが行き来しておる。川の左右の街がライトアップされておりとても美しい。
"くさり橋"に到着。ブダとペシュトを結ぶ橋が何本もかかっているのだが、これが一番古いらしい。川面に映って綺麗である。

さて、そもそもの低生命力状態+長時間フライトの疲労もあって、歩くのも億劫になってきた。腹減ったし。
地図上の距離と実際の感覚は掴めたので、当初の目的は達成できたと考えてよいだろう。
余談だが『地図上の距離と実際の感覚』というものは旅の上ではとても大切である。分かる人はまあ感覚で大体分かるし、吾輩も分かる人間ではあるのだが、時間があればきちんと試す事にしている。これを掴んでおけば、電車とかタクシーとか歩きの場合のシミュレーションを頭の中で行える。かかる時間と疲労を正確に予想し、リスケジュールも容易。無駄無く移動する事ができるからだ。

その辺のレストランに入る。
困った。メニューがハンガリー語である。読めない、まったく読めない。もっと大通りのレストランの方が英語のメニューもあったろうにと後悔。
仕方が無いのでビールだけ頼んでメニューの解読作業に入る。まあ解読といってもメインディッシュの在りかを探すだけなのだが。
とはいえ重要。飢えてる吾輩は肉がガッツリ食いたいのである。適当に頼んでサラダとサラダとスープとスープとか持ってこられても困るのだ。

メニューの並びは、日米欧問わず大体規則性がある(と思っている)。
最初が前菜でサラダやスープ、次がメインディッシュで肉・魚・パスタ等の並び、その後は一品系のおつまみ、年号書いているのはワインとか酒。印が付いてるのはお勧めか異常に辛いもの。値段の多寡は料理の量とか材料の種類・・・であろう、と勝手に見切って3品注文。

ビールとパンとチーズをモシャモシャ食べつつ待ってると、最初にやってきたのはスープであった。にんじんたまねぎジャガイモと春雨みたいのが入ったコンソメ味、まあ正解の部類であろう。
次に来たのは揚げパンみたいのである。食ってみたが、揚げパン味、ぬう・・・。
と、あまり間をおかず三品目がやってきた。多分肉である。8×4×1cmくらいの厚いコンビーフみたいのが4切れ、甘い匂いのするソースがかかっている。
食べてみた所、甘い。どうやら葡萄のソースのようだ。果実も混じっている。しかし肉が良くわからん。なんかコッテリと広がる、今まで食った事が無い食感と味。
こういう時は地球の歩き方を読むのだ。と見ていると『ハンガリーはフォアグラが有名』との記述を発見。フォアグラといえばフランスだと思いがちだが、ハンガリーのフォアグラ生産高は世界最大だそうな。

吾輩初フォアグラ、世界三大珍味制覇完了である。キャビアとトリュフはかつて食った事あるが、キャビアは塩辛いプチプチに過ぎず、トリュフは妙な匂いの花かつおと言った塩梅であんま印象に残ってない。フォアグラが一番うまいな。サイズの問題なのかのぅ?
スープと揚げパンとフォアグラを平らげ、2000円?くらい。

帰りは地下鉄を使って帰ろうと思ったら、23:30くらいで終電らしい。Σ(゜Д゜;エーッ!
仕方が無いので歩いて帰る。行きは川沿いだったので帰りは真っ暗闇の市街地を伝って帰った。

吾輩、東欧ぶらり旅 の巻(2)

2005年04月03日 | 旅~ゆけ~ば~
【Round3:旅のはじまり】
吾輩が生まれて初めて海外に渡ったのは会社の新人研修。同期の女の子にからかわれて(笑)、モンゴルへ旅したりもした。あれから3年、渡航した国は5つに増えた。世界は広い。
持って行くのは普通のスポーツバッグ一個と荷物も実にコンパクト。航空券とホテルの手配を終えて出発を待つばかり。旅の準備も手馴れたものだ。

吾輩今まで成田まで成田Expを用いていたのであるが、吾輩の家からだと京成線を使った方が安く早く行ける事を最近知った。ぬう。
初京成線で成田へ向かう。中々快適の上、早い。もっと早く気付けばよかったorz
今回乗るのはオーストリア航空、格安航空券としては当たりの会社である。だが避け得ない宿命として、吾輩がとても座りたい"窓際"ではなかった、ガッデム。
スッチーの制服は赤いフェルトの寝巻きみたいのであった。
フライト時間は12時間。出掛けに買った村上龍の「半島を出よ(上)」を読み、「ブリジット・ジョーンズの日記」を見る。酒飲んで寝た。

【Round4:吾輩、オーストリアに立つ。そして発つ。】
12時間の旅を終え、ウィーン空港に立った吾輩。んが、即乗り継ぎ。
吾輩の第一の目的地はハンガリーなのだ。
オーストリアは日本からのハブ空港として活用。その後はチェコとかスロバキアとかポーランドとか行ける所をうろついて、オーストリアは帰りしなに見物するつもりである。
ドイツ語も英語も良く分からんのに"つもりである"などと、偉そうな事が言えるのもひとえに経験によるものか(笑)

数時間のフライトの後、ハンガリーに到着。吾輩の東欧ぶらり旅はここから始まる。

吾輩、東欧ぶらり旅 の巻(1)

2005年04月03日 | 旅~ゆけ~ば~
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素晴らしく久しぶりの更新である。
順次Upして行こう。
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渡る世間で「我慢していればいつか報われる」という事はほぼない。
大抵、いい様に使われてポイ。
声を上げて行動せねば何も起こらないのだ。

プロジェクトの任期が3月末で切れる事もあり、4月以降の契約の話が始まった。
短い期間であったが初めて平和なプロジェクト、仲間にも恵まれノンビリ過ごせた。
さて、一仕事終えたら仕事用電池の充電期間が欲しい。

吾輩の職の常として、前もって約束しておいた休暇(土日含ム)が守られる事は稀である。
①PJT期間中に長期休暇を取ると、進捗に影響が有り過ぎて無理。
②OKが出た所で、その後の自分の仕事が詰まりまくって後が面倒。
③約束した人が約束履行時に辞めてる事多し。
④約束した人が約束履行時に忘れている事極めて多し。
故に、プロジェクトの節目というのが長期休暇の狙い目なのである。後腐れも無い。

【Round1:休暇の獲得】
契約相談時のやり取り
上長「えーと、4月1日からの・・・」
吾輩「あ、すいません。俺3月末で日本離れてるんですよ。」(何故か"確定的未来言い切り型"、だが少なくともその時点、そんな渡航予定は無いし、休暇申請も承認もされていない)
上長「え?」
吾輩「帰って来るのが11日ですね。12日から動けます。あ、でもこの際、その後に研修を8日間入れたいと思ってるんです・・・となると、実際に動けるのは4月25日からですね。そういう方向で調整して頂けますか?」
上長「???」
吾輩「どうでしょう?研修受けていいですかね?年初の計画にも入れてましたし、始まっちゃって途中で取るとプロジェクトに迷惑かかりますからね。」
上長「??・・・えーと、じゃあ研修受けてから25日に入るって事で」
吾輩「はーい。ありがとうございました。」

休暇取得(口約束)完了である。話の焦点を研修参加にすり替え、吾輩が"長期休暇を取る事"を既成事実化してしまっているのがミソである。

【Round2:どこへ行こうか】
さて長期休暇が決まった所で、どう過ごすかの算段を立てる。
だが制約条件がいくつかある。
①期間は最大10日くらいだが旅行出立想定日まで1週間を切っている・・・要ビザの国が黄色信号。
②吾輩、空前の財政危機下にあって予算難。
③生命力ボルテージ低め。激しい気候とか強行軍日程はちと辛い。

"せっかくだから秘境"・・・①②③全てが阻害要件となる。ぬう。
"どこにも行かない" ・・・①②③を完全に満たす案だが論外。暇過ぎて死ぬ。
"国内旅行" ・・・うーん。ヤダ。
"実家に帰省" ・・・うーん。もっとヤダ。

ぬう・・・検討が進まない。
注目すべきはどこだろう。吾輩は③に着目した。つまり今回は癒し系か知的好奇心を満たす旅の方が適するという事であろう。

色々検討した後、ヨーロッパに行く事にした。
対応する理由は
①ビザが不要。交通機関も発達していて移動も容易。
②航空券が安かった。(実家への往復航空券より安い。・゜・(ノД`)・゜・。)
③博物館や美術館、建物も見るべき場所も多い。

目標は東欧。行ってみたいなぁと前々から思っていた。