日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

伯父さん・・ 継ぎ 3

2013-11-20 00:56:58 | 日記
大分纏まってきた。やっぱり、長くなるなー。


どれだけ大きい存在であったのかが分かるが、でも結局大事にして居たものはモデルガンぐらいしかくれないものな。まあ、小さな果物ナイフの様なものくれた時は嬉しかったけどね。


本当は娘があそこを別荘替りでも使用して子供が出来たら使ってあげるのが一番伯父さんは喜ぶだろうし、自分の思い出の記憶をいいものに変える意味でも必要だと思うんだがな…。




それは別にしても伯父さんは話せば自分なりの考えを私の気持ちを理解した上で、適切な迷いを払ってくれるように語ってくれるんだよな・・。



でも、段々と酔っ払って来るから適当だよっていって、はぐらかして来るんだよな(微笑) 特徴的な引き笑で(哀笑)


まあ、伯父さんらしいと言えば、伯父さんらしいけど(微笑)


戦中戦後を観て来たから、相当心が遣られただろうからな…。田原総一郎もそうらしいし。。
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私にとっての伯父さんへの継ぎ2

2013-11-13 23:56:09 | 日記
news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/snk20131113524.html?fr=rk


Twitterでも書いたがこの悲惨さの原因はまず初めに両親の離婚があるだろう。


小学校の時の離婚から始まる、個人への影響。それでも社会が救うシステムなりが有れば彼は新しい付加価値や消費者としての生む存在足り得るが、この状態では経済的にもマイナスでしかない。


昔、同様の事を思って想像したこともある。自分にもそれに近い状態に陥って居たからだ。


こうなった時、自分に出来る事は何であろうかと。


結果は結婚を安易にしてはいけないということだ。


人は寂しさや、孤独や、共有したいという欲求、また認められたいという承認欲求、愛し愛されたいという欲求すらも現代では耐え忍ばねば為らないという世界なのだ。とても苦しい世界だと思う。


心理学の猿のボルビィの実験は有名だが食より、抱き心地が良い方に何時もいるのである。


この文章中の彼も、きっと耐えられたのは愛する妻が居たからだろう。そうでなければ、自殺者の仲間入りだろう。                        

このように忽ち、奈落へ落とされるのが現代なのだろう。



だから、小学校の頃の夢が他の何者でもない「結婚」したいという夢だった。周りからは馬鹿にされ、からかわれたが。そんなの直ぐに出来るじゃんっと。



このことが、今まで混乱していた伯父さんの話とも繋がるのである。


親戚の女の子が好き曲がMr.Childrenだった。

当時はどうして好きだったのか理解出来なかったが、全般を聴く内に理解できたのが今も記憶に残っている。


話したその時は今度聴いてみると告げた彼女の表情が階段で微笑んだ気がする。その後別の時に話の続きに成ったし。


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感覚そして過程 継ぎ1

2013-11-12 00:42:25 | 日記
漸く分かってきた。私にとっての伯父さんと、そして伯父さんの下の子の妹。


昔からお腹の調子が悪いという話と、亡くなった姉の話が浮かび、心理を勉強して居るから分かること、それから、私の父に関連すること。

別の事であの授業での警察に協力している女性心理士の態度。

私の妹と話して思い出した話。


姉のその子と話していて、そうは思わなかったとか、お互いに気付いて居なかったことを話したりして笑いあって、共鳴し合って、何だか同時並行に2つか3つの話をしてるのに、それが関連しあっている事を一つを軸に話すような感覚。あの時は楽しかったなぁ・・。


あの感覚は何だか前に見た、絵画が好きだった校長先生が児童の事を思い、それを生かして飾ってあった、小学校の空中回廊の映像を思い出していた。


そんな感覚中での映像を人に感じるなんてそれ迄は無い事だったな…
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冷蔵庫(追記修正) 再追記20180711

2013-11-05 13:18:43 | 日記
 彼にといっても役ではあるが、惹かれるのは憧れるという方が正しいが、その中の言葉で選択という話が合った。


(再追記)後で読み返すと当時は当たり前の場面だったのに誰だか分からなく成るので、憧れる彼とは勇者の事であるはず。


 その言葉が胸に刺さる。傷ついた時と困ったとき。人は選択を誤る。確かにという感じだ。自分が正にこれに尽きていると思う。肝心な時の選択。


亡くなった伯父さんの家に行った時のことだ。何をしに行ったかといえば犬を引き取りに行った。

 犬が居ることは知らなかったが、一度父たちが山荘の深い森ともいえる家に行った時に犬の鳴き声がして、何日もご飯を食べていないという感じだった。

 
 可愛そうだということで引き取りに行ったのだ。勿論、うちでは飼えないので、そういう算段をしたり色々である。


 なにしろ父は伯父さんを嫌っていたので、こちらにまで影響があるとは思っていなかった。勿論、私も影響があるとは思っていなかった。だが私は嫌ってはいない。ただ金が無いのではあるが。



いつの間にか離婚もしていたらしい。



犬を引き取りにいった後に、私は靴とドッグフードを忘れた。故に、もう一度次の日に行った。


 その時に、改めて見ると家はそれは酷い状態で一見すると、人様が見てもお化け屋敷だし、私が見てもお化け屋敷に見えるほどだ。こんな状態で生活をしていたのかという程だ。

                              


その時は未だ電気が流れていて、冷蔵庫もテレビの主電源も点いていた。冷蔵庫のその前に小学五年生の頃の妹の未だ生きている娘の写真が貼ってあった。冷蔵庫から物を取るときいつも見ていたと思われる写真が貼ってあった。




その写真は娘の写真があるの?っと尋ねた時に何時も財布に持っていたものと同じだった。散乱する写真集の束に、製本されたアルバム。

部屋を見渡すと伯父さんの生きていた視線と気持ちが、痛いほど伝わってくる。これは心理を勉強しているから尚更なのだろうか?自分でも分からない。




台所の散らかり様と、全く使われていないガスレンジ、斜めに成った簡易式ガスコンロ。これで食事をしていたのだろうか。足元には調味料の器が散乱している。


そして黒くなった浴槽と黒く成った洗い場。そこに入ったもう一つの冷蔵庫。




動いていて写真が貼ってある冷蔵庫がどうしても、開けられなかった。



電気が入っていたのでそれほど腐ってはいなかったであろう。でも、開けられなかった。



開けられなかった理由はリアルな生活実態が見えるという、その現実と実態に耐えられなかった為と、もう一つはその写真が本当はその冷蔵庫を開けるのは娘である気がしたことであった。



自分は許可なしに冷蔵庫を開けることが出来ない。昔、母方の家で注意され叱られたことがあるから冷蔵庫を開けるという行為には特別な意味がある様に感じる。昔は許可を取るのも許されなかったし、開けることすら許されなかったからだ。



だが、前述前半の選択の意味と後半の意味も超えて見るべきでもあったのかもしれないと思う時もある。何故って生きている伯父さんには二度と会えないのだから。。



たしかその時は火葬する前だったから、それを開けてしまうと認めるという行為に繋がるという意味が合ったのかもしれない。



蛇足  自分にとっての伯父さんという記事がどうしても纏まらない。ということを付け加える。
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