日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

教授の言葉と本質

2019-12-24 23:23:10 | 日記
トボトボと思うことは人は本質が中々に解らないし、理解しがたいものなんだなということを改めて認識させられる。そんなことが常に頭にある所為か、フッと教授の言葉が頭を二度目に過る。

一度目は感じて体験した事を思い出したとき、そして再びは今回の様に本質を考えている時に、フッとした時での再度の思い。

どんな言葉かといえば、教授は「数学を学習している時の偶に、書かれているモノから、言葉ではない言葉が聴こえてくる気がするということ。」それから「それは本質に触れた時に、多い気がする。」と語って居た。

話を初めて聞いたときはそんな馬鹿な。という衝撃的であると同時に、当時はそういえばそんなことが過去にあった様な気がするが・・っと思い出せずに居た。けれどもそれが確率の所であったとは何とも言い難いもので、辛い過去と共に思い出されるとは色々に拗らせているなと自身でもイヤになるな。

それでも鮮明に思い出したのは初めて確率を本格的に学習していた時に「何処かからの声として、今起こっている事はある程度に起こる事なんだ、起こる事なんだ・・・」と繰り返し言われている気がすることだった。

当然に、オカシイなと思いながらも、その声が聞こえそうになる度に、「あれ?何だ??」「なんなんだ??」っと誰もいない筈の席の後ろの空を幾度となく振り返ったりしていた過去の経験。

と言う事で本質に触れているんだろうと思いたい。(笑)


追記 しかし、色々な記憶と絡まっているなぁ。心理学をやって居なければ正気でいられたかな。

コメント
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