黒い瞳のジプシー生活

生来のさすらい者と思われた私もまさかの定住。。。

羽柴秀吉と柴田勝家

2011-02-20 23:57:06 | 思索系
大河ドラマ「江 ~姫たちの戦国~」。
このたびの話題は、「清洲会議」と
主人公の母・お市の方の再婚――
やはり本能寺の変が起こった1582年より
年が改まっていないので、このたびの江の年齢は
およそ9歳ということになる・・・と
今まで私は計算していたところだったが、
新人物往来社が去年の末に発行したばかりの
『江史跡紀行』(監修:小和田哲男)の年表では
1582年の時点で10歳というふうにカウントしている
ので、私もこのたびよりこの本にならって
年齢をカウントしていきたい。


「清洲会議」とは、織田家の後継者を決めるための
会議である。果たして後継者は信長の次男・信雄か
それとも三男の信孝か――ドラマによると、
この点が清洲会議のさしあたっての焦点であった。
ドラマではお市の方が信孝に「そなたと信雄が
いがみ合っているからサルめにスキを
つかれたのじゃ」――というふうに言っている
シーンがあった。同じNHKでいつか放送された
「歴史秘話ヒストリア」によると、
たしかこの三男・信孝は本当は信雄よりも
ちょっとだけ早く産まれたのであるが、
信孝の母親の身分が信雄の母親の身分よりも低いから
という理由で三男ということにされ、長じてからも
次男・三男の違いによる信長公の差別があったりして、
信孝は実績を積むことで父・信長に認めてもらおうと
努力していた――と説明していただろうか。
ただし、ウィキペディアの信孝の項では
信孝の母の家柄は決して信雄の母の家柄に劣らないと
しているし、信孝のほうが本当は兄だとする説を
疑うような見解も記されている。
なお、ウィキペディアの「清洲会議」の項によると
信孝は「清洲会議」に欠席していたという。
「清洲会議」は信孝の人生にとってその命運を
左右する非常に重要な会議だったはずなので、
「ここはどんな無理をしてでも必ず出席するぞ」と
意気込んで不思議はないところである。
どうして欠席したのかは私の知る由もないが――
もし信孝にそんな意気込みすら無かったとしたら
信孝の育ちの良さゆえということになるかもしれない。
いずれにしても、この「清洲会議」によって
信長の後継者は「三法師」なる幼児に決まり、
重臣筆頭の座も柴田勝家から秀吉に取って代わった
(ウィキペディアの「清洲会議」の項による)。

それまで重臣の筆頭であったという柴田勝家は、
実に信長の父・信秀の代から織田家に仕えてきた
古株のようである。
このたびこの柴田勝家を演じるのは、よく見ると
とても優しい目をしておられる大地康雄さん。
大地さんの演じるキュートな「鬼柴田」が
これからどのように描かれていくのか、
今のところ「真面目な人なんだろうな」という
印象しかないけれど、仮にも「浅井三姉妹」の父に
なる人ならおおむね好ましいように描かれるだろう。
なお、ドラマの勝家は従来から言われているように
信孝の仲介でお市の方との結婚が決まったが、
興味深いことにウィキペディアの勝家の項によると
最近は秀吉の仲介で結婚した説が有力になっている
という。一体、勝家から重臣筆頭の座を奪う事が
秀吉の「ムチ」なら、お市の方との結婚の仲介は
秀吉の「アメ」という解釈になるのだろうか??

勝家が秀吉の仲介で結婚した説が真実だとするなら
「賤ヶ岳の戦い」での「お市の方をめぐる恋の鞘当」
といった色彩が薄くなってしまうけれど、
そんな色彩が無ければ無いで、私には真実らしく
思える。というのも、信長公亡き後の秀吉と勝家は
いずれも有力な織田家重臣だったので
たとえお市の方を一切権力争いに巻き込まずとも
必ずや雌雄を決さないわけにはいかない運命だったの
ではないかと思うからである。
また、勝家が秀吉の仲介で結婚した説が真実であれば
お市の方は愛する夫を直接死に追いやった男に従って
勝家と結婚したことになる。
そうなると、お市の方が信孝の仲介で結婚したと
想定するよりも一層お市の方の立場の弱さを
感じずにはいられないが、一方で悪いけどやはり
「さもありなん」と感じずにいられない――
このドラマで「男の言いなりにはならないお市」を
描こうと思えば、従来の「信孝仲介説」を
採用するのが妥当だということなのだろう。


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