カゼミチ

日々のったりとした日記。

ふと思ったんですが、

2014-04-13 18:48:13 | Weblog
かわいそうってなんだろうなと。
えーとですね、相手の状況をかわいそうと思い何としてあげたい気持ち。

相手に対する一瞬の同情と会話のつなぎとしてのかわいそう発言はやっぱ違うよなあ。

発言だけのかわいそうが一番意味がわからない。
自分がかわいそうと感じた相手は、自分自身のことをかわいそうと思ってない。
そうなるとかわいそうなんて言葉はお門違いですし、何言ってるんだろ。勝手な事を好きに言うなあと思うだけかなと。
好き勝手にかわいそうと思い、相手の状況をどうにかしてあげたいと思う気持ちすらないかわいそう発言は意味がないし、
口に出すべきではないと思う。
状況を改善してあげることができないとしても、相談とか何かしらの行動って起こせるでしょうし。
ただ単に上辺の口だけのかわいそう発言は控えるべきではないかと思う。
ですが、自分はこの人をかわいそうと思う。
自分の気持ちを知ってもらいたいからかわいそうと発言するなら、それも必要なことかなと。

でもこれって一方的なこちらの感情なわけで。
結局のところ、相手が自分自身をかわいそうと思っているわけでないならかわいそうと思う気持ちはなんなのか。
そもそもかわいそうってなんだろうかと。

って文章にそのまま書いたらわけのわからんことになりました。
結局かわいそうってなんなんだろ。
一つ一つを例題として出すことはできますけどね。
かわいそうな状態にあると思っているのが、相手か自分自身かで違うわけで。
どっちがかわいそうと思った結果、その人の状態はかわいそうになるのかもわからない。
「かわいそう」と感じているのが当人でも第三者がかわいそうと思わなければかわいそうではないのか。
「かわいそう」と感じているのが第三者であり、本人はかわいそうと思っていないんのであればかわいそうな状況ではないのか。
結局お互いがかわいそうな状態と思って初めて「かわいそう」が成り立つものなのなか。

わけわかんなくなってきたので、ちょっと辞書で調べよう。
憐れと言われたほうがまだすんなり納得できる気がしてきた。
コメント
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