団塊の世代のつぶやき

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★道路行政と利権のお話  まさかここにも関生

2019年02月18日 | 辻元 関西生コン

  公共工事の談合は日本にとっては必要悪として役に立っていたと教えてくれたねずさんが、道路行政について書いてくれています。

  車道と歩道の間のコンクリート・ブロックが利権に絡んでいるのじゃないかとの話題です。
  
  コンクリートとなると、どうしても高槻のブロック塀を思い出します。そうなると、その利権の裏にまさかあの関西生コンが絡んでいるのじゃないかと考えてしまいました。

  これも、辻元憎しの思いが募って、こんな発想が浮かんでしまうのかも。とは言いながら、腹黒い奴等のことですから全く無いとは言えないでしょう。もし、こんなところまで奴等の手が伸びていたとしたらと考えると、どこまで日本は朝鮮に食い物にされているかと恐ろしくなります。

  何時ものように、全文をリンク元で読んでください。今回は、短いです。

   ねずさんのひとりごとより    2019年02月14日

  道路行政と利権のお話

 いまの日本では、何事も利権が優先し、生活者の利便は後回しの観があります。
政治が利権のための政治に陥るからこのようなことになります。
本来政治は、「おほみたから」である民衆が豊かに安全に安心して暮らせるためにこそ存在します。
いまの日本の道路を見ると、とても残念に感じます。

 道路の車道と歩道の間に、路側帯と車道を分別するためのコンクリート・ブロックが置かれています。
一昔前までは、歩道は車道よりも一段高く作られていたのですが、近年ではこれが改められて、高さ15cm〜25cmのコンクリート・ブロックが置かれています。

 何のために置かれているのかといえば、歩行者が安全に通行できるように、との理由付けがされているのですが、この路側帯のコンクリート・ブロック、自動車を運転する側にとっては、きわめて危険なものです。
たまに、このコンクリート・ブロックに乗り上げてしまっているクルマを見かけることもあります。

 歩行者の通行を妨げないという理由は、よく理解できます。
しかし、クルマに危険を及ぼす高さ20cmを越えるブロックを、なぜ設置しなければならないのでしょうか。
都内では、歩道を歩く人の数は本当に多いものです。
けれど、地方に行くと、歩道を歩く人はほとんど見かけず、一方、車道には多くのクルマが通行しています。
そこに置かれたコンクリート・ブロックは、まるで自動車の通行を拒んでいるかのようにも見えます。

 もともと、歩道に盛り土していたものが、どうしてコンクリート・ブロックに変わったのかといえば、それがコンクリート・ブロックになれば、生コンの需要が高まるからです。
全国規模では、いったい何十万トン規模になるでしょうか。
何やら利権が絡んでいそうです。

 人の通らない幅広の歩道に、やたらに高さのあるコンクリート・ブロック。
果たしてそんな道路行政は、本当に人々の暮らしの役に立っているのでしょうか。…以下略

  最近は、免許も返納して外出もしないので道路が、こんなコンクリート・ブロックになっていることにも気が付きませんでした。

  もしかしたら、ねずさんも辻元と関西生コンを思い浮かべたのじゃないでしょうか。



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