団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

閉ボタン

2007年09月22日 | 日本再生

  

何時の頃だったでしょうか、エッセイかコラムか何かで、エレベーターで欧米は日本人のようにあくせくせずに「閉」のボタンを押さずに自然に閉まるのを待つと言うのを読んで、「これは面白い」とすぐにかぶをれる私はすぐにやってみました。ところが、これが意外と難しい。体が覚えていてすぐにボタンを押そうとするのです。そこで、「いや待て、ここが辛抱のしどろこ」とほんの1,2秒を待つのですが、これが結構忍耐力がいるんですね。

 ということで、忍耐力の鍛錬のためと思ってやっているのですが、未だに手が出そうになります。身にしみこんだ貧乏性はそう簡単には直りそうもありません。しかし、これをやるのはできるだけ独りの時にします。乗り合わせの人がいるときはボタンの傍には立たずに乗り合いの人に任せることにしています。なんといっても、その1,2秒が待てない人が大半なのですから、わざわざそんな人を不愉快にする必要はないのですから。

 そんな日本人のせっかちな行動が問題となる場面もあるようです。

  20070917日(月曜日)付 天声人語が面白い

 米国勤務から戻って間もないころ、エレベーターの中で舌打ちされたことがある。乗って行き先のボタンを押し、そのまま立っていた。すると、若い背広姿が「チェッ」と言いながら、脇から腕をぐいと伸ばして扉を閉じるボタンを押した。

 米国では、ボタンを押さずに扉が閉まるのを待つ。それに慣れていたのだが、ここは日本でした。人が降りたときも、誰かがすぐさま「閉」を押す。「時間の無駄」と言わんばかり。待っても2、3秒だろうに、どうもせっかちである。・・・中略

 とここまでは、身をもって体験したので良く分かりますが、その後は関係あるのかなと疑問を感じました。

 バスの中で高齢者が転ぶ事故が増えている、と聞いた。お年寄りは動作が遅い。迷惑をかけるのを案じ、止まる前に席を立つ。あげくに転ぶ例が多いと国土交通省は説明する。もたつくのを責める冷ややかな空気が、この国には濃いようだ。

 冷ややかさは、自分が迷惑をかけたくない気持ちの裏返しでもあろうと、作家の藤原智美さんは見る。たとえばレジで順番を待ちながら財布の小銭を調べる。そんな人ほど、遅々とした高齢者がいると、いら立つのではないかと言う(『暴走老人!』文芸春秋)。

 米国は老若男女がおおらかだった。財布など、値段を聞いてからおもむろに取り出す。飛行機を降りるときも、前の人が歩き出してようやく自分の手荷物を下ろす。だからだろう。他人のモタモタにも寛容だ。

 国交省は「高齢者がゆとりをもって乗降車するのを社会が当然のことと容認する」べきだと提言している。翻訳するなら、お年寄りには堂々ともたつく権利がある、ということである。

 つり銭の準備は私も列の後でいらいらする方です。しかし、それは逆に他人に迷惑をかけないようにとの思いやりの心であり必要な気がします。自分がやっているから他人にもそれを求めるのはちょっと違うような気がします。それをもってお年寄りを非難するのは筋違いじゃないでしょうか。

 特に、バスの中で止まる前に席を立つのは若い者でも危ないところがあります。それだけに止まるまで立たないのはルールであって、立つことが悪いというルールを確立すべきでしょう。それを非難する方が間違っています。

 特に、足腰の弱いお年寄りは事故に繋がり易く、却って、他の人や運転手に迷惑をかけることになるので皆が暖かく待つのは当たり前のことじゃないでしょうか。

 これが私の大好きな路面電車だったらゆれや急ブレーキが少ないだけに事故も少ないような気がします。やはり公共交通は路面電車ですね。

 それにしても、自分は他人に迷惑をかけないように振る舞い、他人には寛容であるという気持ちがあれば他人を非難する気持ちはなくなるはずです。特にお年寄りに対しては。

 それは、第2866回第2907回でも取り上げた江戸しぐさにも通じることのような気がします。とは言いながらもお年寄りのそんな行動をゆとりをもって見られない今の日本人にはやはり問題がありそうですね。

やはり、余裕が必要!



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