団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

歴史の見方にももっと多様性を

2018年08月23日 | マスメディア

  産経新聞の、20日、第1523回の「東京裁判『文官無罪』の葛藤」で取り上げたオランダのレーリンク判事について、何時もの阿比留さんが詳しく書いてくれています。
  想像以上に日本を深く理解してくれていたようです。あの東条さんを高く評価していたそうです。  

 産経ニュースより     2018.8.17

 【阿比留瑠比の極言御免】歴 史の見方にももっと多様性を

   日本を一方的に断罪した極東国際軍事裁判(東京裁判)をめぐっては、インドのパール判事が被告全員を無罪とする意見書を提出したことがよく知られるが、 オランダのレーリンク判事も広田弘毅元首相や東郷茂徳元外相ら5人を無罪だと主張している。

 そのレーリンク氏が、日本滞在中に書いた日記や書簡の内容が明らかになったという三井美奈記者の記事が、15日付本紙朝刊 に掲載されていた。詳細は元記事を参照してもらいたいが、こんなことを日記に記しているという。

 東京裁判「文官無罪」の葛藤 レーリンク判事の日記、詳細初めて明らかに

 「日本の歴史や国際法の研究を進め、多数派の意見だからといって絞首刑を宣告すべきではないという考えに至った」

 いまだに東京裁判を単純かつ安易に正当化するような一部新聞や野党議員に、爪のあかを煎じて飲ませたいところである。とも あれ、日本滞在中のレーリンク氏と交流があり、その日本観に影響を与えたのが児童文学『ビルマの竪琴』の作者であるドイツ文 学者、竹山道雄氏だった。

 竹山氏の著書『昭和の精神史』の中で、竹山氏がレーリンク氏に、昭和23年11月に出された東京裁判の判決の非合理性を訴 える場面がある。レーリンク氏はこう答えている。

 「いまは人々が感情的になっているが、やがて冷静にかえったら、より正しく判断することができるようになるだろう」

 これは、次のパール氏の言葉と基本的に認識が通じている。

 「時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には(中略)過去の賞罰の多くにそのところを変えることを要求するだろう」
 
 竹山氏の著書『ヨーロッパの旅』によると、それから8年後の31年、オランダの自宅を訪ねてきた竹山氏に、レーリンク氏は こう明言した。

  「あの判決はあやまりだった。もしあの裁判がいま行われれば、あのようには考えられないだろう。俘(ふ)虜(りょ)虐待 などの通常の戦争犯罪は別として、 政策の結果として起こったことに対しては、ああいう結論にならなかっただろう。おおむねインド人のパールのように考えた だろう」

 また、自分たち判事団は偏った情報しか持っていなかったと振り返り、このように反省している。

  「連合国側には共産主義の脅威ということは念頭になかった。(中略)外部からの挑戦-それへの反応ということについて、 はなはだしい見落としがあった。そ の後まもなく中国が赤化したのを見て、そうだったのか、それほどまでにも脅威が迫っていたのかとおどろき、この点はまっ たく考え直されるようになった」

 「あのときの判事たちは法律家ではあっても、国際関係に通じている人々ではなかった」

  興味深いのは、レーリンク氏が東条英機元首相を有罪と判断したものの、同時に高く評価していたことである。特に、キーナ ン首席検事に対し、東条氏が大東亜 戦争は自衛戦争であることや、天皇陛下には責任がないことを堂々と論理的に主張した場面には瞠(どう)目(もく)し、舌 を巻いてほめていたという。竹山氏 によると、日本滞在中、何度もこうつぶやいていた。

 「Outstanding man!(傑出した男だ)」

 毎年、お盆の時期にはテレビも新聞も先の大戦特集を組むが、東京裁判史観の延長線上にあるものが目立つ。もっと歴史 の見方にも多様性があるべきだろう。(論説委員兼政治部編集委員)

  多様性は必要ですが、根本的に間違った自虐史観は必要とは思えませんが、それを受け入れる度量も必要なのでしょうか。
  それにしても、パールさんやレーリンクさんに匹敵する日本人は戦争とこの裁判や公職追放により一線で活躍できなかったことが、残った戦後利得者の跋扈を許してしまったのでしょう。
  そう考えると、日本人もそれ程凄いとは言い難いのかも。やはり、本当に優秀な人は、日本と雖もそれ程多くないのでしょう。
  その比率が、益々減って来ているのでしょうか。



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