年金暮し団塊世代のブログ

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フェルメール作品メモ(#01)  聖プラクセディス

2008年01月04日 | フェルメール


Saint Praxedis 「聖プラクセディス」
1655, oll on canvas, 101.6 x 82.6 cm,
Inscribed lower left : Meer 1655, lower right : Meer NR[..]o[.]o
The Barbara Piasecka Johnson Collection Foundation, New Jersey, USA <2014年7月取消線>


この絵は、1969年 New York のMetropolitan Museum of Artで初めて公開されたが、1986年まではフェルメールの作品とは思われていなかった。 その間に ①この絵のモデルとなったフィレンチェの画家フェリーチェ・フィチェレッリ(フィケレリ)Felice Ficherelli (1605-c.1669)の同名の絵(1645年頃)が発見されたこと、 ②絵の右下に文字が発見され[Ver]Meer N[aar]R[ip]o[s]o、即ちVermeer after Riposo (RiposoとはFicherelli のイタリア語のニックネーム)と読めたことからフェルメールの作品と考えられるようになった。
 つまり、この1655年の作品はフィチェレッリによる作品のコピーだが、フェルメールがフィチェレッリの絵をどのようにして知ることが出来たのかは不明。 フィチェレッリの絵と最も違う点は、聖人がスポンジと共に十字架を手にしている点である。

聖プラクセディスは、キリスト教の殉教者の死体を世話する2世紀頃の人物。 彼女は左後方に死体がある殉教者の血を敬虔に集め、広口の水差しの中ヘスポンジで集めた血を絞り出している。 絵の右後方、殉教者記念堂を歩いているのが、姉妹の聖プデンティアナ (Saint Pudentiana) 。

ガウンの明るい部分は、柔らかい蛍光素材を表現する為に、鉛白ベースの上に、アカネ色のレーキ(深紅色)顔料の薄い層で重ね塗りしている。 フェルメールはこの重ね塗りのテクニックを「#02/マルサとマリアの家のキリスト」のマリアのブラウスや、 「#03/ディアナと同伴者達」のディアナの隣に座っているニンフの赤いブラウスにも使っている。

1654年10月12日、デルフトで銃弾用火薬工場の爆発事故があり、数百人もが死亡した事を背景に描かれた絵かも知れない。

この絵の技術レベルは他の初期作品群と比べると高いとは言えないが、フェルメールの特徴は彼が生涯チャレンジし続けたことである。



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<2014年7月追記>
2014年7月8日、イギリス・ロンドンの競売大手クリスティーズで「聖プラクセディス」が競売にかけられ、ハンマープライスで550万ポンド、経費込みで624万2500ポンド(10億8600万円)で落札された(落札者は未公表)。

個人所有のフェルメール作品は2点だけ”だった”が、もう1つの「(#35) ヴァージナルの前に座る婦人」(→ こちら)は2004年7月17日、サザビーズで競売にかけられ、事前予想の300万ポンドを大幅に上回る1620万ポンドで落札された。

「聖プラクセディス」は真贋(しんがん)論争もあったが、アムステルダム国立美術館が顔料(白色顔料の鉛白)分析で真作と鑑定した。 1655年と記入され、22~23歳の最初期の作品。

これまで所有していたのは、昨年死去したポーランド出身の大富豪バーバラ・ピエセッカ・ジョンソン氏の財団。 「聖プラクセディス」の売上金はジョンソン夫人の遺志を継いでバーバラ・ピエセッカ・ジョンソン・コレクション財団の慈善活動資金に当てられるという。

ジョンソン氏は米医薬品大手ジョンソン・エンド・ジョンソン創業者の息子の妻。 もともと家政婦として働いたが、1971年に42歳年上の息子と結婚。 83年に先立たれた後、夫の前妻の子らと巨額の遺産相続をめぐり法廷闘争を繰り広げた。 大学で絵画史を学び、夫の資産で絵画を収集していた。 2013年4月76歳で死去。


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