昨日は踊り子たちのセクシーショットを中心に紹介したが、今回は原点に戻って、サンバカーニバル本来の姿をご紹介することにした。
サンバカーニバルはコンテスト形式をとるが、パレードに先立って役員の方たちの行進があり、先頭を歩くのは浅草にも縁の深い審査委員長のなぎら健壱氏。観衆にも気軽に手を振る庶民派でもあるようだ。
午後1時に始まったパレードが激しいサンバのリズムを奏でながら、馬道通りから雷門通りに差しかかると、目の前の見物人の人たちが一斉にカメラを構える。
浅草のシンボルのひとつでもある、通称「うんこビル」と呼ばれる、炎のオブジェを背に現れたのは、サンバの本場ブラジルからの来日かと思われる、ナイスバディな踊り子たち。
その熱気と激しいリズムに浅草は一気に熱く燃え上がるが、そんなことは意に介さず、パレードに参加しながらも白河夜船を決め込む坊やは将来の大物か。。。
それはさておき、前回同様多くの画像で浅草の夏を惜しむサンバカーニバルの熱気をお伝えしようと思うが、画面のスクロールで腱鞘炎など起こしても、責任はとりかねますのであしからず。
このパレードを見るために2時間前から場所の確保をして、6時前までの約7時間はさすがに疲れたが、途中から晴れたとはいえ、小雨も降る天気は熱中症の心配もなく、目の保養にもなった一日であった。
サンバカーニバルはコンテスト形式をとるが、パレードに先立って役員の方たちの行進があり、先頭を歩くのは浅草にも縁の深い審査委員長のなぎら健壱氏。観衆にも気軽に手を振る庶民派でもあるようだ。
午後1時に始まったパレードが激しいサンバのリズムを奏でながら、馬道通りから雷門通りに差しかかると、目の前の見物人の人たちが一斉にカメラを構える。
浅草のシンボルのひとつでもある、通称「うんこビル」と呼ばれる、炎のオブジェを背に現れたのは、サンバの本場ブラジルからの来日かと思われる、ナイスバディな踊り子たち。
その熱気と激しいリズムに浅草は一気に熱く燃え上がるが、そんなことは意に介さず、パレードに参加しながらも白河夜船を決め込む坊やは将来の大物か。。。
それはさておき、前回同様多くの画像で浅草の夏を惜しむサンバカーニバルの熱気をお伝えしようと思うが、画面のスクロールで腱鞘炎など起こしても、責任はとりかねますのであしからず。
このパレードを見るために2時間前から場所の確保をして、6時前までの約7時間はさすがに疲れたが、途中から晴れたとはいえ、小雨も降る天気は熱中症の心配もなく、目の保養にもなった一日であった。
たくさんの画像をご覧くださってありがとうございます。
小雨降る中で始まったカーニバルでしたが
徐々に天気も回復し、青空も覗くサンバ日和になりました。
お祭りは楽しいですね♪
◆オブリガード(山海さん)
そうでしたね、発案者が伴淳さんだということは聞いたことがあります。
伴淳さんの歌のことは知りませんでしたが。。。
違和感があった浅草とサンバでしたが
今となっては一大イベントになりましたね。
当時の台東区長の英断に拍手です♪
◆腱鞘炎(吾亦紅さん)
あの大きな音の中ですやすやと眠る坊やには
貫録さえ漂っていました。(ニッコリ♪)
腱鞘炎の症状は後から出るそうですよ。
指の関節のマッサージをしてくださいね。(笑)
◆動くオペラ(バジルさん)
ナイスバディの踊り子のセクシーダンスも見ものですが
華やかな衣装での群舞や、激しいリズムの音楽
更には装置の大きさや、精巧さを競う屋台などなど
見どころがいっぱいです♪
朝の11時からの場所取りで、そこに7時間いました。
携帯用の小さな椅子に座ったままでしたが
立ち上がるときに時間がかかりました。(汗;)
写真は1千枚を超えていましたが
途中でフル充電の電池切れで交換しました。
写真の整理に時間がかかって、投稿が午前2時を過ぎてしまいました。(笑)
◆竜宮城(コスモスさん)
竜宮城から帰ったら、おじいさんになってました。
あっ、行く前からおじいさんだったっけ。
夢だけではなく、歳も分配します。
受け取ってくださいね♪
◆50万人(ブルーメさん)
始まる前から降りだした小雨で
例年より見物客の出足は悪かったようですが
それでも50万人ですか。
場所の確保は、交通規制が始まる12時半からですが
それまでの時間も待機していなければなりません。
でもそれだけの価値があるかも。。。
その夢を分配されていただき、
有難うございます。
ご苦労さまでした。
そしてありがとうございます。
おかげさまで楽しいサンバのリズムが聞こえてきそうな、
写真の数々堪能致しました。
色々あるんですね~。
フイルムを巻き込んだスカートのようなスタイル、
思わず不思議な国のアリスを思い出しましたよ。
たのしいですね~。
その坊やは、確かに将来の大物でしょう。
行ったり来たり、何回も上下しましたが、腱鞘炎は大丈夫(笑)
ありがとうございます。 感動、再びです!
今年の審査委員長で思い出したのは、初めの頃の俳優の伴淳さん。浅草サンバの発案者。
40年前の浅草、映画ブームが去って、閑古鳥でしたね。
浅草の観光振興策を訊かれて、伴淳さんが提案したのが、サンバ。
浅草とサンバ、奇妙な組合せで違和感を感じた地元関係者も多かったと。
その発案の積極推進者が、当時の台東区長だった聞きます。
以前、自問したのは、なぜ、伴淳さんは、咄嗟にサンバが出てきたのか?
昭和28年に「アジャパーサンバ」という歌を出しています。この曲のサンバという言葉が伴淳さんの脳裏にあったからではと思います。
浅草サンバも今年で33回目。伴淳さん、ありがとう。
そして演者、関係者の皆様、ありがとう。
オブリガド!
楽しませていただきました。
熱気あふれるお祭りはさすが
浅草ですね。