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【霊告月記】第四十四回 張一兵と子安宣邦:現存する世界最高の思想家

2019年06月01日 10時00分00秒 | 霊告月記41~45

【霊告月記】第四十四回 張一兵と子安宣邦:現存する世界最高の思想家

 世界史的洞察の領野を開拓した東アジアの高峰。それが現存する世界最高の思想家であるところの中国の張一兵氏と日本の子安宣邦氏である。そのような内実を持った思想的理解の一端を先日ツイッターに投稿しました。以下は5月28日に於ける私のツイッター記事の転載です。

◆5月26日:廣松渉没後25年ミニシンポ・張一兵「フーコーへ帰れ」出版記念講演会:◆ このシンポジユウムに参加してきました。私も二度張一兵先生に質問しましたが、通訳の女性の丁助教授の日本語がたいそう素晴らしかったこともあって、驚くほど深い思想的な内実を伴ったご回答を頂きました。

会場で購入した先生の著書『フーコーへ帰れ』はまだ読み始めたばかりですが、翻訳者の中野英夫さんの精魂込めたお仕事の賜物でしょう、シンポジウムでの深遠で明晰な語り口が完璧に再現されています。張一兵著『フーコーへ帰れ』は私にとって決定的な転機をもたらす重要な書物になる予感がします。       


張一兵氏が東京で講演したその同じ日、子安宣邦氏は北京で講演していた。奇しくも日中双方の思想史研究の第一人者が、双方の相手の国で講演していたわけである。子安氏は北京講演の報告をフェイスブックでなさっている。私はその子安先生の報告にコメントを付けたので、次に転載しておきます。

「私の思想史におけるフーコーの受容とその後を問う女性読者がいた。このような読者がいて、はじめて私の著書の中国語訳があるのだろう(子安宣邦)」とのこと。私も先生の思想史におけるフーコーの受容には大いなる関心を抱いています。この点に関しては私の理解はまだ判然としておりません。

肝心のフーコー理解がまだその中国の女性読者ほどには追いついてないからです。偶然ですが二日前から日本語訳の張一兵『フーコーへ帰れ』を読み始めています。日本語版で760頁の大著ですが、とてつもなく面白い本です。

     
                                       撮影:菅原 秀宣氏


もしかするとその中国の女性読者は『フーコーへ帰れ』を中国語原文ですでに読み終えており、そのフーコー理解を踏まえて先生に質問したのかもしれません。同じ問題意識を共有するその中国の女性に熱い連帯の挨拶を送りたいと思います。

 以上です。いまこのツイッター記事に付け加えることは何もありません。私はいまこのような認識を持しており、堡塁は確保した、ここから前進していくのだという決意を申し述べたかっただけです。

】霊告【 規律訓練システムについて究極の洞察を語るミシェル・フーコー
  

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【霊告月記】第四十三回  時をかける少年 

2019年05月01日 10時00分00秒 | 霊告月記41~45

【霊告月記】第四十三回   時をかける少年 

                  時をかける少年       はるか遠い未来から来た少年

】 霊告 【 時をかける少年のための序曲「時をかける少女」    by 原田知世

 
ぼくはロートレアモンが好きだ。ロートレアモンは24才と10ケ月の若さで亡くなっている。だからぼくは人から「何才ですか?」と聞かれた時、「24才と10ケ月です」と答えるのを常としている。プロフィールの画像もロートレアモンの肖像画を使っている。

ぼくは24才と10ケ月を迎えた時、もうそれ以降いっさい年をとらないことに決めた。その決断はいまも続いている。もしいまロートレアモンが生きていたら、このことについてどうかんがえるだろう、このもんだいに関して何と答えるだろう。そのように考えそのように発言している。そのようにして表現者としてのぼくは存在を続けている。

この姿勢はけっして変えない。不滅のロートレアモン。それが私の存在理由だ。

ロートレアモンの本名はイジドール・デュカス。デュカスはロートレアモン伯爵という筆名を使って『マルドロールの歌』という散文詩を上梓した。その後本名のイジドール・デュカスの名で『ポエジ ⅠⅡー未来の書の序文』を刊行する。その書には次のエピグラムが掲げられている。

ぼくは憂警を勇気に、疑惑を確信に、絶望を希望に、悪意を善に、懐疑を信頼に、屍理屈を沈着冷静に、倣慢を謙抑に置きかえる。

本文から断片を幾つか抜き書きしてみよう。

暁が現われるとすぐに、少女たちはバラを摘みに出かける。無邪気さの流れが谷間や首都をかけめぐり、もっとも熱狂的な詩人たちの知性を助け、幼児には保護を、若者には王冠を、老人には不滅への信仰をふりまいて行く。

剰窃は必要である。進歩は剰窃を含んでいる。それは一人の作者の文章をぐつとつかみ、その表現を利用し、誤まった 観念を抹消して、正しい観念で置き替えるのだ。 


一つの箴言はよく作られるために、訂正されることを要求 しない。それは発展させられることを要求する。

魂はーつだから、人は記述の中に感受性、知性、意志、理性、想像カ、記憶を入れることができる。

ぼくは生まれたということ以外の恩寵を知らない。公平な精神は、それで完全だと見るのだ。
(イジドール・デュカス「ポエジ ⅠⅡー未来の書の序文」  渡辺広士訳『ロートレアモン全集』 思潮社 1969年)

これで充分だろう。ロートレアモンは天才だった。ロートレアモン伯爵という架空の書き手を操ったイジドール・デュカスはそれ以上の天才だった。時をかける少年、その少年こそイジドール・デュカスの正体に他ならない。


】霊告【  春うらら手つなぐ稚児と母親のしずしず歩むこころ楽しも


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【霊告月記】第四十二回 単独決起が世界を変える  船橋秀人とグレタ・トゥーンベリ

2019年04月01日 10時00分00秒 | 霊告月記41~45

【霊告月記】第四十二回 単独決起が世界を変える  船橋秀人とグレタ・トゥーンベリ
          
     イマヌエル・カント(Immanuel Kant、1724-1804)

】霊告【 この動画公開によって、竹中平蔵=インチキ経済学者で政商=日本を売った男の没落が始まるだろう。  by イマヌエル・カント

★☆★遂に公開された!!!  東洋大立て看同好会主催!!!  竹中平蔵批判の船橋秀人による学生向け自主講座!!! ★☆★  この船橋秀人さんの竹中平蔵批判の動画公開によって、竹中平蔵=インチキ経済学者で政商=日本を売った男の没落が始まるだろう。これは、事件だ! 国民必見!!! 

 
 「単独決起」:これは船橋秀人さんが学生向けの自主講座で語った言葉である。この言明に私は強いインパクトを受けた。船橋さんは東洋大学での竹中平蔵批判を開始するにあたって、どの政治勢力や党派にも私は属していない、 親は反対したが単独決起したと述べた。単独決起するには強い信念とその信念を支えるに足る深い思想的内実が要る。彼は東洋大学で哲学を学んだ。卒論でもカントを中心とする啓蒙思想に関する内容を書いたのだと自主講座で語っていた。彼の勇気ある行動が多くの人の共感を呼んだのは、この「単独決起」というスタイルにある。


 返歌  「竹中は嫌だ!」と君が言ったから1月21日は決起記念日


欧州に於いても単独決起した若者がいた。スウェーデンの高校生グレタ・トゥーンベリさんである。彼女の単独決起をきっかけに欧州の少年・少女は一斉に立ち上がりその波は地球規模で広がりつつある。「単独決起」が世界を変える。今はそういう時代なのである。





 
船橋秀人さんの単独決起は日本を変えるだろうか? 分からない。だって批判された彼は余裕しゃくしゃくで、内心こんなことをほざいているのにちがいないのだから。⇒「さあさ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。 公共財の大安売りだ! 正社員の権利売りとばします! 水道利権も売りますよ! 辺野古を米国に売ったのは私です! 日本の公共財すべて売りとばし予定! 」 許せますか? こんな男を?

竹中平蔵の悪だくみ阻止! グレタ・トゥーンベリさんにノーベル平和賞を! 船橋秀人さんには国民栄誉賞を! 我らの戦術はただ一つ。

              単独決起!!!


※同内容でツイートも投稿しました。ツイッターIDお持ちの方へ。もし共感されたならリツイートして船橋さんの声を拡散して頂けませんか? リツイートもまた「単独決起」の行為なのです!⇒ twitter.com/romanticism2010

 
※次の決起はいつにしようか?>みんな。船橋さんは1月21日に起った。だから4月21日はどうだろう? 春夏秋冬(4/21、7/21、10/21、1/21)の記念日には必ず決起するんだ。誰にも相談せずに(別に相談してもいいけど)自分一人で決断して「単独決起」するんだ。決起記念日には決起あるのみ!

 】霊告【   さあさ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。 公共財の大安売りだ! 正社員の権利売りとばします! 水道利権も売りますよ!  漁業権も売るよ! 辺野古を米国に売ったのは私です! ああ、郵政事業を売りとばしたのも俺様だ! それがどうした? いいですか、国民は貧乏になる自由がある。そして私にはガッポリ儲ける権利がある。そういうことだ。結論を述べよう。日本の公共財はすべて売りとばし予定! かく云うわたくしは、インチキ経済学者で政商の、当用大学グローバル・ノータリンセンター所長の武中兵造でございます。  

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【霊告月記】第四十一回 来たるべきアジア主義  欅坂46&北一輝&宋教仁

2019年03月01日 10時00分00秒 | 霊告月記41~45

【霊告月記】第四十一回  来たるべきアジア主義   欅坂46&北一輝&宋教仁

                        パウル・クレー    史の天使

 】 霊告 【 連帯を求めて孤立を恐れず。我らみな実存的ロマン主義に徹すべし!  Keyakizaka46    
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≪討議≫ 来たるべきアジア主義

     矢田部 健史 × 川端 秀夫

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※冒頭の発言※千坂恭二氏:思想史家 『歴史からの黙示・アナキズムと革命』(航思社)『思想としてのファシズム・「大東亜戦争」と1968』(彩流社)  

千坂恭二:しばしば「右でも左でもない」という立場に遭遇することがある。右と左の「中間」なのだろうが(もっとも、このような立場は右寄りが多く、それを糊塗するため中間派を称することが多い)、中間ほど物事が見えない立場もない。良くも悪くも物事を見るには、極左か極右かはともかく、「極」的立場に立つことだ。空間的な喩えでいえば、中間にいると背後は見えないが、極にいると全てが見渡せるからでもある。



矢田部 健史:第三者だからといって公正中立で客観的なわけではないということですね。その道を極めた頭山満と幸徳秋水がイデオロギー的立場の相違など御構い無しに親しく交流していたこととも関係する議論なのではないかと思いました。


川端秀夫: 矢田部さん。勘が鋭く教養が深い貴方のご議論にはいつも感銘を受けております。千坂さんの発言から日本のアジア主義の問題が関連するのではないかというご指摘には、まさにそれは図星ではないかと私も思うのです。

ただ、事実関係に若干の記憶の間違いがあります。ファクトを押えるということは、どのような議論においても大事なことですので、僭越ですが指摘をさせて頂くことをお許し下さい。

竹内好の最も大事な労作「日本のアジア主義」より引用します。

「アジア主義が右翼に独占されるようになるキッカケは、右翼と左翼が分離する時期に求めるべきだろう。その時期はたぶん明治末期であり、北一輝が平民社と黒竜会の間で動揺していた時期である。」

「ルソー主義者である中江兆民と、玄洋社の頭山満とは、同時代の思想家の中で、たがいに相ゆるす仲だった。民権運動においても、条約改正問題についても、二人は同一歩調をとったし、東亜経綸においても主張にほとんど差がなかった。頭山は勤皇家だが、中江も君主制を否定はしなかった。そして兆民は晩年に対露主戦論になるが(これは転向ではないと葦津はいう。)この点も玄洋社=黒竜会と軌 をーにしている。しかし、兆民の弟子の幸徳秋水と、頭山の弟子の内田良平に至って、思想は大きく分かれた。」

つまり、「その道を極めた頭山満と幸徳秋水がイデオロギー的立場の相違など御構い無しに親しく交流していた」というご指摘に、事実関係の間違いが含まれているのです。

上記竹内の認識にもし間違いがないとすれば、頭山満と中江兆民のイデオロギー的立場の相違はほとんどなかったので親しく交流していたという解釈になりますし、頭山の弟子の内田良平と中江の弟子の幸徳秋水はイデオロギー的対立があったがゆえに親しい交流もなかったということになる。

つまり、右翼と左翼が分かれるその源流は何処にあったかという問題を竹内好は、葦津珍彦の評論「明治思想史における右翼と左翼の源流」を踏まえてここで議論しているのです。

竹内好の「日本のアジア主義」は竹内好の全評論の中でのベストの作品です。この論文は一文・一句も揺るがせず正確に押える必要があります。必読文献です。以上。


矢田部 健史:とても興味深く拝読しました。勘の良し悪しはさておき、私の場合は勘に頼り過ぎてテキスト読解が疎かな傾向は否めません。ご専門であるアジア主義について詳細にご教示いただきまして誠にありがとうございます。いかに私がこの問題の基本文献である竹内好の著作すら押さえておらず、頭山満や幸徳秋水に対する理解がいい加減かが露呈してしまって、たいへんお恥ずかしい限りです。「日本のアジア主義」は時間を作って集中的に読み込まなくてはと思います。これはお世辞ではなく、川端様の文章はまさに建設的批判のお手本と言うべきで、随所に受け手に対する配慮が感ぜられ、お気遣いに心から感謝申し上げます。思想という問題を議論する上で、私はつい感情的になりがちなものですから、見習わなくてはと思いました。

ご指摘の通り、中江兆民は君主制を否定していませんね。それで思い出されるのは、私の地元である栃木県の足尾鉱毒事件を調査する過程で知ったのですが、大逆事件で逆賊とされた幸徳秋水は田中正造の天皇直訴事件の際、直訴状の起草に関与していますけれども、実は木下尚江は強力な反天皇主義者であり、田中と幸徳は猛反対を見越して、木下には一切情報を与えずに決行、天皇直訴事件研究も蚊帳の外にいた木下の証言に長らく依拠していたため、事実関係は不正確なまま理解されてきた歴史があります。足尾鉱毒事件研究だけ見ても、そこまで幸徳秋水は木下尚江ほど過激な反天皇的な立場では無かったのではないかと思っています。
   (SNSのFacebook・2019年2月19日ー21日の応答記録)

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  討議を終えての感想文二題

◇ 自己紹介に代えて 矢田部 健史 ◇

自己紹介を求められるといつも言葉に窮してしまう。アレハンドロ・ホドロフスキー監督が言うように、自分が一体何者なのかは正直なところ、よく分からない。

昭和末期に生まれ、戦争の傷を引き摺る祖父母を持つ私にとって、9.11やアフガニスタン紛争、イラク戦争の勃発、森首相による「日本は天皇中心の神の国」発言や小泉首相による靖國参拝、日教組と新しい歴史教科書を作る会の対立など、同じ戦争を経験したはずの日本人同士が右左に分かれて正反対の意見をぶつけ合うのが不思議でならなかった。 

実際のところは一体何が起こっていたのかを祖父母に尋ねたいと思いつつも、心の傷に触れてしまうのではないかと躊躇し、とうとう聞きそびれてしまったが、それでもどうにかして、一族の記憶の欠落を埋めるべく、気づけば、私は戦争体験者への聞き取り(「取材」と呼べるほど大袈裟な代物ではない)を始めていた。 

私が思い出すことの出来る最古の政治的な記憶は、幼稚園の頃に北朝鮮の飢餓に苦しむ子供たちの姿をニュースで観て衝撃を受け、小学1年生から歴史漫画でフランス革命を勉強し、階級社会の矛盾を解決するためには、革命が必要だと考えていたが、我ながら早熟な子供だったように思う。 

日本浪曼派やアジア主義への関心も、ノンポリで、インテリではない両親の下で育ち、子供時代からリベラルな思想の持ち主であった私には、理解することが困難で、解き明かすべき謎に思えた。 

保田與重郎と交流のあった恩師から『日本浪曼派の時代』を読むように薦められたり、今は亡き東條由布子さんや松本健一先生から東條英機や北一輝についてお聴きしたことも、戦後は悪役と見做されている人物への理解を深める大きなきっかけとなった。 

私は2006年頃からmixiに参加して、千坂恭二先生の投稿などを通じて政治思想を勉強し始めたわけだが、川端さんの師に当たる橋川文三のコミュニティを発見し、橋川文三や『日本浪曼派批判序説』の存在を知ることになる。 

しかしながら、ほどなくして波瀾万丈の人生に突入し、今日に至るまで大学進学は延びに延びており、橋川文三や竹内好の著作にじっくり親しむ機会を得られずにいることが残念でならない。 

先日私はFBに西郷隆盛の人間性とキリスト教との親和性について書いたが、川端さんから、奇しくも橋川文三と私がまったくパラレルに同様の結論に到達していることを指摘されて驚愕し、なおさら私の問題意識を先取りして既に答えを出している橋川文三を読む必要性を痛感させられた。残念ながら、私が生まれる4年前に亡くなられているため、お会いすることは叶わなかったが、是非ともリアルタイムで講演を聴いてみたかった。 

とはいえ、謦咳に接する機会は無くとも、川端さんの文章を通じて橋川文三の精神に触れることが出来て、私はとても幸運だし、61歳という若さで没してから36年が経過した現在もそうした問題意識を継承する良き弟子に恵まれ、これぞまさしく理想的な師弟関係だと言えるのではないかと思う。 

末尾ながら、こうして川端さんと知り合うきっかけを与えてくださった千坂恭二先生や尾崎全紀さんに心から感謝を申し上げる次第である。

 
◇ あとがきに代えて  川端 秀夫 ◇

今回のブログ記事掲載の経緯は、上の矢田部さんの自己紹介文にてほぼ明らかなように、Facebook 上での応答をそのまま採録したものである。

現在日本の歴史認識の課題としてアジア主義の議論の建設的な再提起がぜひとも必要だと私は考えている。今回図らずも矢田部さんに語り掛ける形でそのチャンスを得たことを幸いと捉えブログ記事に仕立てた。

矢田部さんとはつい最近SNSで知り合ったばかりなので、彼がどういう人なのか、じつは私も良く知らなかった。そこで記事の後書きにと自己紹介文を請うたところ快く受けていただいたという次第である。

いろいろと述べたいことは、山ほどあるような気がするが、これだけで控えておく。ただ、橋川文三、そしてアジア主義。このふたつの名前は日本の将来にとって極めて重大な意義を有することだけを述べてあとがきに代えたい。

 
】 霊告 【 すべてのアジアの人民に告ぐ。友愛の翼得て天空高く飛翔せよ! 北一輝&宋教仁

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【霊告月記】第四十回  劇団ノラクラフト旗揚げ公演評  駄菓子屋ROCK

2019年02月01日 10時00分00秒 | 霊告月記 36~40

【霊告月記】第四十回  劇団ノラクラフト旗揚げ公演評   駄菓子屋ROCK

           海賊ジョン・シルバー

★60年代の小劇場運動。その非日常的空間を切り開いたのは唐十郎のこの歌。

                 
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    劇団ノラクラフト旗揚げ公演「拝啓 空の中より、」評


      拝復 空の中へ、
                    by ダンボール

       
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劇団ノンクラフト旗揚げ公演を観た。初日の舞台がはけた後の新宿三丁目の通りを、地下鉄の駅に向かって歩きながら、僕はたったいま見たばかりの劇の印象を反芻していた。

主人公の少女の名はナオミ。ナオミは放射能で汚染された区域の境界に建つ壁の見張りの高時給バイトをしている。名付け親で花火師でもあった叔父さんの四十九日の命日の出来事だ。ナオミはその叔父から贈られた小さな金庫を携えている。壁の中からゴトウと名乗る男がとつぜん現われて少女とお互いの秘密を徐々に解き明かすかのような神妙で深遠な会話を始めるのだ。少女にしか見えない他界の生き物もその対話に立ち会う。不思議な状況、不思議な登場人物たち。しかしそこでは極めてリアルで緊迫した密度の濃い劇がたしかに演じられていたのである。

この劇の作・演出の谷口由佳は、当日配布されたチラシで、主催あいさつとして次のように述べている。

 年初めに劇場に足を運んでくださり、誠にありがとうございます! これまで学内公演を打つにあたって、劇場という 「空間」 の持つカを毎回思い知らされて参りました。
 じっと席に座って、何か日常では出会わないものをいつの間にか期待してしている・・・私にとってはそんな場所です。
 この作品から、 この場所に足を運んでくださった皆さまが何かしらをふっと拾って持ち帰れるような、そんな時間をお送りできれば幸いです。
                          谷口由佳

かくも簡潔に演劇の魅力と可能性を語った言葉を僕は他に知らない。真の演劇ファンならば、このあいさつ文を読んだだけで、作者の才能と演劇愛に心打たれ、劇を見逃したことに後悔の気持ちを抱くことだろう。

肉声によってのみそして生身の肉体によってのみ言葉が伝達され享受される空間、それが劇場である。その言葉は虚構であっても、役者は現実の肉体である。虚構と現実が境を接して共存する、非日常性と日常性がメビウスの帯のようにつながっている、そのような空間と時間を確保しているのが演劇というメディアの内部構造の秘密であろう。劇場とは、指の先に地球を乗せ念力をかけ地球の自転を止めることができると同時に、フッと息を吹きかけるだけで自転を再開させることも可能にする魔術的空間である。

劇の内容に戻る。登場人物の少女ナオミとゴトウ、この二人は生者だが、ハレルヤの叔父さんと精霊は他界の生物である。現実と虚構が入り乱れて劇が進行するが、彼ら彼女らを導く情念は〈愛〉である。少女ナオミに注がれる愛と、少女ナオミの抱く愛がこの劇を進行させる動因である。劇の進行それ自体もそうであるし、個々の登場人物の台詞も、時には大胆な、時には秘めやかな、愛のエッセンスを込めた言葉たちであった。

であるからして、僕はルソーのフラグメントを引用して、素早く今回の劇の批評を締めくくりたいと思う。千年に一人の大思想家ジャン=ジャック・ルソーの援用による、まさに〝神の一手〟と了解されたし。

愛は女性の領域です。愛に掟を与えるのは女たちです。なぜなら自然の秩序に従って、抵抗は女性に属するものであり、男たちは自分の自由を犠牲にしてはじめてこの抵抗に打ち勝つことができるからです。こういった種類の芝居のーつの自然な結果は、したがって女性の支配力を拡げ、女や娘たちを公衆の教師にし、さらには彼女たちが自分の恋人に対してもつのと同じ力を観客に対しても及ぼすことであります。

(ルソー『演劇に関するダランベール氏への手紙』西川長夫訳)

 
※参照⇒
 劇団ノラクラフト:ブログ

 
】霊告【 大人が子供を幸福にしようと努力する。するとあべこべに子供が大人を幸福にしてくれる。そんな懐かしい景色を再現する駄菓子屋ROCKは本物だ! 

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