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多角的に見る韓国映画「暗殺」(ネタバレほとんどナシ) ⑥「日本軍により3469人が殺された事件」というのは何だ?

2016-10-31 02:23:15 | 韓国映画
<多角的に見る韓国映画「暗殺」(ネタバレほとんどナシ)>
 → ①<進歩系>映画と<保守系>映画
 → ②昨年来日本統治期を背景とした作品が増えている
 → ③韓国では、日本統治期の見方が変わりつつある(?)
 → ④判別がむずかしい<史実>と<虚構>の間
 → ⑤韓国でようやく知られ始めた金元鳳(キム・ウォンボン)と義烈団

 映画の中の<史実>と<虚構>を判別することはむずかしいですが、今回の記事のメインは「<史実>として描かれていることがはたして本当に<史実>なのか?」という問題です。

 金元鳳(キム・ウォンボン)が上海にやってきたアン・オギュンと会った時、「<狡兎三窟>というように云々」といった話に続けて、かつて(1920年)間島(カンド.旧満州の朝鮮との国境に近い一帯)方面で繰り広げられた抗日独立軍の戦いと、それに敗北した日本軍が報復として多数の無辜の民間人(朝鮮人)を虐殺したことを語ります。そして彼が「オギュンは、そこにいたのか?」と問うと、彼女は次のように答えます。
 「はい。火で焼かれ釜で茹でられ・・・。27日間で3469人が虐殺されました。・・・私の母も殺されましたが私は生き残りました。」
 ・・・このあたり、セリフがそのまま字幕になっているわけではなく、かろうじて聴き取ったことをメモするにも展開(&言葉)が速いので、かなり大雑把です。
 ※上記の虐殺を行ったのが第19師団で、1920年当時の師団長は高島友武中将でしたが、映画では川口守中将という架空の人物になっています。その息子が川口俊輔(?)大尉で、物語中の悪玉中の1人。オギュンにとってはこの暗殺計画が自身の敵討ちにもなっているというわけです。川口守中将のモデルは、1929~30年の師団長で32~34年には朝鮮軍司令官だった川島義之中将と思われます。名前の最初も「川」だし・・・。このあたりはフィクションと史実が巧妙に接ぎ木されている部分。

 さて本題。
 オギュンの話に出てくる「27日間で3469人が虐殺」という数字は字幕にもそのまま表示されています。しかし、ほとんどの日本人にとっては金元鳳の言うように(?)「誰でも知っていること」ではないですよね。それにしても、「大」虐殺というべきこの事件はそもそも何という事件なのか? (韓国語聴き取り能力がもっとあれば言ってたのかも・・・)
 この数字を手がかりにネット検索に取りかかったところで私ヌルボがぼんやり思い出した本が鄭銀淑「中国東北部の「昭和」を歩く」鄭銀淑(チョン・ウンスク)さん、アチコチのマッコリ酒場を飲み歩いているだけでなく、「昭和」の残影を追って中国東北部まで足を延ばしているんですね。
 この本の中の<琿春の旅>と題された部分に、たしかにこの事件についての記述がありました。琿春(フンチュン.こんしゅん)は、当時は北間島(プッカンド)とよばれた中国・延辺朝鮮族自治州東端、つまり中朝国境の最北東部にあり、ロシアとの国境も至近という都市です。(下の地図参照。)
 【白頭山(長白山)の東の豆満江沿いの地は間島とよばれていたが、後に西の鴨緑江沿いの地が西間島(ソガンド)とよばれるようになるとともに北間島というようになった。】

 で、鄭銀淑さんが琿春を訪れるにあたって、予備知識のような形でこの事件のあらましを次のように記しています。
 ・1920年10月2日未明、400余人の馬賊団が琿春を襲撃、日本領事館や商店等に火を放ち、100人余を拉致し、多くの財物を奪った。これを琿春事件という。
 ・これ以前から間島の地は独立勢力の拠点となり、抗日闘争が展開されていた。琿春事件の3か月前の1920年6月には(洪範図(ホン・ボムド)将軍の指揮する)朝鮮独立軍との鳳梧洞(ポンオドン)戦闘で日本軍は惨敗し大打撃を受けた。
 ・日本は朝鮮人抗日勢力の討伐を図ったが、間島は中国領土なので、軍事作戦を実行するには適当な理由が必要だった。
 ・そんな中で起こった琿春事件は日本にとって絶好の理由となった。「日本人の人命と財産を保護する」という名目で中国との事前交渉や連絡もないまま大規模な兵力を投入した。
 ・この「絶妙のタイミング」ゆえ、韓国ではこの「事件」が日本によって周到に準備されたものであるという説が唱えられている
 ・こうして出兵した日本軍は、琿春の他、延吉、和龍、汪清等4県69の村で3600人余りの朝鮮人を殺害し、3500軒余りの家屋、59の学校、19の教会、5万9900余石の穀物を燃やした。この大惨事を韓国では<庚申年大討伐>(あるいは間島惨変庚申惨変)という。


 日本のウィキペディアでは、<琿春事件>のことは<間島事件>という見出し語の中で説明されています。(→コチラ。) また、韓国のウィキペディア(→コチラ)では間島惨変とされている日本軍の出兵とそれに続く「作戦行動」については単に<間島出兵>という主観を排した(?)見出し語になっています。(→コチラ。)
 また、日韓双方のウィキペディアを読み比べると、まさに対照的な説明に驚くばかりです。日本側の<間島事件>の説明文中には「謀略説」として紹介されている上述の「日本によって周到に準備されたもの」という説が韓国ウィキペディアではそのまま説明の基軸となっています。また、韓国側の<間島事件>の説明文には「罪のない韓国人を大量に虐殺した」こと、そして「10月9日から11月5日までの27日間、間島一帯で虐殺された朝鮮人たちは現在確認されている数だけでも3469人にのぼる」と、「暗殺」のセリフに出てきた数字があげられ、さらに「その他確認されていない数と3~4ヵ月にわたって虐殺された数を合わせると少なくとも数万人に達する」等と記されています。日本側の<間島出兵>の記事には、最後に次のようにサラッと書かれている程度です。
 大韓民国臨時政府の機関紙である『独立新聞』は、1920年12月19日付で、その調査資料によるとして26,265人が虐殺、71人が強姦され、民家3,208軒、学校39校、教会15ヶ所、穀物53,265石が焼却されたと報道した。韓国側では、戦いに敗れた日本軍は独立軍の根拠地を掃討するために朝鮮人を無差別に虐殺し、集落ごと焼き払った「間島惨変(庚申惨変)」を引き起こし、その犠牲者は少なくとも3469人としている。日本側の史料によれば日本軍に反抗した、独立軍の幹部だった等の理由で射殺された朝鮮・中国人の数は500人余りである。
 日韓間の歴史的出来事についての認識の落差は、出兵した日本軍と金佐鎮(キム・チャジン)等が指揮した武装組織が戦った青山里戦闘についても呆れるほど如実に表れています。これについては、<日韓のWikipediaを比較する>という記事(→コチラ)に具体的に書かれています。日本軍の戦死者数が2ケタ違うばかりか、日本軍と独立軍のどちらが勝ったか?からして違うのです。

 琿春事件がはたして日本側が仕組んだものだったか否か? 青山里戦闘は戦死者がどれほどでどちらが勝ったのか? 間島出兵でどれほどの無辜の朝鮮人住民が虐殺されたのか?
 これら対立する説のどちらが本当の<史実>なのか、民族感情や政治的立場等々を排して見極めることは大変むずかしいことだと図書館で関係書籍をいくつか読んで痛感しました。
 たとえば次のような分厚い本2冊。
     

 左は姜徳相(編)「現代史資料 28朝鮮」(みすず書房)、右は佐々木春隆「韓国独立運動の研究」(国書刊行会)。在日の歴史家・姜徳相氏と、陸士卒の元軍人で戦後は自衛隊に入隊し、退官後は防衛大教授となった佐々木春隆氏という2人の経歴だけ見ても、資料の読み方からして違ってくるだろうことはわかります。ただ、どちらも非常に内容の濃い本です。前者は基本的に琿春事件と間島作戦についての日本の公的文書や独立新聞」等の朝鮮側の資料や中国その他の新聞記事等を集成した資料集です。件(くだん)の3469人という犠牲者数も、<臨時政府間島通信員確報>として1920年12月18日付「独立新聞」に掲載された「西北間島同胞の惨状血報」という記事の表にある数字であることがわかります。(下画像)
 
    
 上の2つは表の最初と最後の部分だけです。その間に、たとえばあの詩人・尹東柱(1907~1945)の出生地・明東の明東学校が焼かれたことも記録されています。(彼の詳細な伝記・宋友恵「尹東柱評伝」にもそのことが記されている。)
 これらの資料、とくに「日本軍による蛮行」についての具体的な事例の記事を見ると、たしかにリアリティが感じられます。(・・・ということと数字の信頼性は直結するものではありませんが・・・。)
 もう一方の「韓国独立運動の研究」について。著者の経歴だけで「右翼の妄言」と決めつけるなかれ、です。864ページに及ぶ大著で、19世紀半ばから終戦までの朝鮮の民族運動・独立運動について詳細に記しています。「「併合」は不可であった」とか、「日本と韓国は、未来永劫の隣人である。互いの歴史を踏まえたうえで、未来に思いを寄せねばならないと考える」等々のくだりは、左翼の目からは意外と思われるかもしれません。内容も、独立運動の側や民族主義の立場から書かれた本にはほとんど載っていないような独立運動組織内での内訌や、金日成の本物ニセ者をめぐる件、普天堡(ポチョンボ)戦闘(保田襲撃事件)の事実等々、興味深い記事がいくつもありました。そして肝心の琿春事件についてはいくつかの根拠をあげて謀略説を否定し、青山里戦闘については詳述していますが、間島作戦での「日本軍の蛮行」については何も(!)書いていません。
 
 私ヌルボ、図書館で上記の、ああるいはそれ以外にも何冊かの関係書籍をざっと拾い読みした程度ですが、痛感したことは資料を読み解くことのむずかしさです。どういう立場の誰がどんな状況で書いたものかを常に念頭に置く必要があります。またそれらについて書かれた本、たとえば上記の2冊についても同様で、姜徳相氏による<資料解説>も資料を読み解く手引きであると同時に、もしかしたらミスリードとなっている可能性もなきにしもあらず、です。
 新聞記事も、いつも事実を伝えているとはかぎりません。下の画像は、琿春の日本領事館焼打ち事件を報じた1920年10月4日付の「東京朝日新聞」の紙面です。
 もちろん日本側の謀略の疑い云々が書かれているわけはなく、読者は記事をそのまま事実として受けとめるでしょう。しかし、現在のわれわれは張作霖爆殺事件も柳条湖事件も謀略だったことを知っています。そしてもしかすると上海日本人僧侶襲撃事件(→ウィキペディア)も・・・。そうしたことも考えると私ヌルボ、今のところ琿春事件の謀略説は否定しきれません。
 一方、上の新聞紙面の上に釜山警察署爆弾テロ事件の記事があります。このシリーズの1つ前の記事(→コチラ)で少し書いた義烈団の団員による事件です。この事件について、朴泰遠(パク・テウォンが金元鳳から話を聞いて書いたという「金若山と義烈団」には警察署長はまもなく絶命したとありますが、この新聞記事によると「右膝に擦過傷」と全然違っています。どうもこれは新聞の方が正しいように思われます。
 現代でもメディアリテラシーの重要性は高まるばかりです。新聞の場合でも、取材の不備が誤報を招いたり、記者の願望や読者への迎合が真実を歪めたりということは今もしばしばあり、あるいは政治権力等が政治的意図によって虚偽のニュースを流したり、あるいはメディア自体が特定の方向に国民を扇動したりといったことも過去にあったし・・・。もちろん、昔の新聞を読む時にも細心の注意が必要ということです。

 間島方面での抗日独立運動関係では、文字資料の他に写真資料もいろいろありました。たとえば下の写真。

 これは黒羽清隆・梶村秀樹「日本の侵略・中国/朝鮮 写真記録」(ほるぷ出版)に載っているもので、「処刑される間島の朝鮮人」と下に書かれています。こういう写真も、いつどこで、どういう状況の中で撮られたものか不明確なものは要注意ですが、少なくともどこかこういう所で、このようにして殺された人たちがいたということは確かと思われます。

 いろいろ書き連ねましたが、最初に戻ってアン・オギュン(チョン・ジヒョン)の「火で焼かれ釜で茹でられ・・・。27日間で3469人が虐殺されました。・・・私の母も殺されましたが私は生き残りました。」というセリフについて。私ヌルボ自身の今の所の判断は、「釜で茹でられ」とか「3469人が虐殺」とかについての信憑性については疑問があるものの、多くの家や学校等が日本軍によって焼かれたり、多数の朝鮮人が殺され、その中には単に家の中から抗日のビラが見つかった程度のことでその場で殺された人も相当数いたのは事実なのでは、と思います。そして、そういった程度でも、個人的には高校の歴史でも同時期のシベリア出兵とともに(関連づけて)教えるべきレベルの出来事ではないでしょうか?

 また、韓国の側に対しても、専門家の間でも見解の分かれるこのような問題についてまぎれもない<史実>として映画で描き、それを観客が観てそのまま受けとめることでますます<史実>として固定化されていってしまうことに懸念を覚えます。この件にかぎらず、日韓の歴史教育のあり方や、ドラマや映画での歴史の描き方がますます双方の歴史認識の差を広げてしまっているようです。

 ※右は延辺人民出版社で刊行された「朝鮮族簡史」の翻訳本の「抗日朝鮮義勇軍の真相」(新人物往来社)。中国東北部で展開された抗日運動を清朝の頃の前史から第2次大戦の終わり頃までのスパンで叙述した本で、韓国の抗日運動史では少ししか(or全然)扱われない左翼系による闘争についてもいろいろ書かれています。

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