ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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尹健次神奈川大名誉教授が「心血を注いだ」労作 「「在日」の精神史」は今年一番感銘を受けた本

2016-11-04 23:55:06 | 韓国・朝鮮に関係のある本

 いやあ、これは私ヌルボが今年これまで読んだ中で一番読み応えがあった本ですね。
 神奈川大学名誉教授尹健次(ユン・コォンチャ)先生の著書はこれまで何冊か読み、共感を覚えることが多くありましが、昨年末発行のこの全3冊本はそれを超えて感銘を受けました。
 2012年、尹健次先生は→コチラの記事でこの「「在日」の精神史」に取り組み始めた動機を記しています。
 執筆に際して「在日朝鮮人がどんなふうに生きてきたのかを通常言うところの歴史としてだけでなく、生活史や精神史の側面を重視して書き残しておきたい」と構想を記しつつ、「実際に書くとなると、本当に身心ともに疲れ果てることは間違いないはずだけど・・・・・」とも・・・。そして昨年11月、ご自身のブログ記事(→コチラ)で「この5,6年間、心血を注いできた」本書完結の感懐を記しています。

 今本書を通読して、尹健次先生がこの本にかけた労力と「思い」が実感できます。
 1910年の韓国併合から現代に至るまでの在日朝鮮人の歴史を実に多角的に取り扱った内容で、個々の事柄に対する見方等については私ヌルボとしては首肯できない点もあるのですが、それよりもまず研究者としての、いやそれ以前に1人の在日の生活者としての誠実さに心打たれます。

 以下、本書の内容・特色と、私ヌルボの感想等を列挙します。
  ※全3冊の目次(岩波書店のサイト)は→コチラ

①在日関係の政治・文化・社会の実にさまざまな分野にわたって、巨視的観点・微視的観点の両面から緻密に記述している。
 それぞれの時期の時代状況とともに、書籍等の関係資料だけでなく、実に多くの人に直接会って話を聞いています。また後述のように、自身の体験も織り込まれています。
 ※私ヌルボが個人的に注目したのは、徐3兄弟の次男で、兄の徐勝と同様学園浸透スパイ団事件の容疑者として長く収監されていた徐俊植と「10年少し前、ソウルの居酒屋で徐俊植と話をした」というエピソード。徐勝や弟の徐京植と違って全然メディアで名前を見ないので今どうしているのかわかりませんでしたが、「3年前から江華島で大豆栽培をしながらひとり暮らし」しているとか。(ハンギョレ紙の記者の情報)

②韓国や北朝鮮や日本、民団や総連等の組織、左右の政治集団等の主張から距離を置きながらも、政治的な諸課題についての自身の考えをそのまま読者の前に提示している。
 韓国・北朝鮮・日本のそれぞれに批判的見解、いや厳しい見解が述べられていますが、それは「在日」なればこその「国境を越えた」視点がベースにあるのかもしれません。
 ※例えば北朝鮮について、次のような記述が目に留まりました。
  侵略・被侵略の「近代」の所産である「在日」は、本来なら、脱近代の課題を明確に担うべき存在であったはずである。そうした「在日」にとって、最も大きな不幸は「北が見えていなかったこと、そしてそれを信じたことではないか。・・・・北のいう「自主」や「主体」は、「在日」にとっては「隷属」そのものであった。「在日」はいまも深い後悔の海に沈み込んだままである。(第3巻p.238)
  ★[参考] 尹健次詩集「冬の森」より
    振り子(部分)
   朝鮮を嫌い
   日本にあこがれ
   日本に捨てられ
   朝鮮を発見する
   また朝鮮に捨てられ
   日本と朝鮮のはざまで「在日」を自覚する
    右へ左へゆれ動いた振り子
 ※第2巻と第3巻の副題はそれぞれ「三つの国家のはざまで」と「アイデンティティの揺らぎ」。これはまさに「在日」及び尹健次先生の<現住所>を示しています。

③在日朝鮮人の文学について、各巻で詳述している。
 植民地時代の張赫宙、金史良から、現代の金石範、梁石日等々、実に多くの在日作家たちとその作品、さらにはそれらについての評論等に至るまで。とくに第3巻ではアイデンティティに関する章の中で李良枝、玄月、鷺沢萌、柳美里、そして「GO」の金城一紀等についても言及されています。いやあ尹健次先生、これら在日の作品をほとんど全部読んでるような・・・。(驚) きっと今年の芥川賞候補作・崔実「ジニのパズル」にも当然目を通されたことでしょう。それらの中には、4ページにかけて記されている呉林俊(オ・リムジュン.1926~73)という詩人をはじめ、私ヌルボが名前も知らなかった作家や詩人が何人も出てくるので、今後の読書の指針にもなります。磯貝治良さんの著作等、作家たちについて書かれた著作についても触れられていて、この在日文学についてだけでも1冊分の本になりそう。また「金達寿、金石範、李恢成、高史明、金鶴泳などと並べてみると、私がいちばん好きなのは金泰生かも知れない」といった個人的感想や、金達寿と親しかった金時鐘が「(金達寿の小説は)全体として「大衆小説」だったと言ってよいのでは」と語っていた、というような聞き書きまで書かれているのは興味深いところです。

④日本人妻、とくに「総連の指示による離婚」を問題として提示している。
 ここで取り上げられている角圭子「鄭雨沢の妻」については、以前→コチラの記事でけっこうこまごまとと書きました。つまり、「朝鮮人の夫とともに北朝鮮への帰国船に乗り込んだ日本人妻の多くが現地で社会主義建設の重荷になっているから、日本人妻とは別れて、同族結婚の家族を優先するように」という指示が総連からあり、それに従った人が多くいたということ。
 本書ではまた、「サンダカン八番娼館」山崎朋子の事例も書かれていますが、ヌルボは知りませんでした。さっそく「サンダカンまで わたしの生きた道」を読み、彼女が若い頃からこんなドラマチックな人生を送ってきたことに驚くとともに、北朝鮮当局と総連が夫婦間の愛情・絆といったものに何の斟酌もなくこんな方針を打ち出していたことに憤りを新たにしました。一方、少しだけ救われたのは、その指示に抗した人たちもいたことです。(この関連で朝鮮新報社で働いていた崔碩義(チェ・ソギ)さんの名前も出てきますが、山下英愛文教大教授の父親ということは初めて知りました。)
 こうしたことも含めて、在日朝鮮人男性と日本人女性の結婚の事例がたくさん書かれているのは、まあ個人情報の範疇なのかもしれませんが、いろいろ興味深いところではあります。最近「ふたつの祖国、ひとつの愛 ~イ・ジュンソプの妻~」というドキュメンタリー映画にもなった画家・李仲燮(イ・ジュンソプ)山本方子夫妻のこととか・・・。

⑤70~80年代の南北の体制競争と在日政治犯に関連した「ウラ話」等がいろいろ書かれている。
 1970年代には、朴正煕大統領の威信体制下、民青学連事件(1974年)で逮捕され死刑宣告を受けた金芝河や、学園浸透スパイ団事件(1975年)逮捕・投獄された徐勝・徐俊植兄弟の助命運動が日本でも大きな関心を集めて展開されました。
 本書によると、当時は「南北とも多くの工作員を派遣」していた時代で、韓光煕(元総連中央本部幹部)「わが朝鮮総連の罪と罰」等の評価は難しいが、朝鮮労働党およびその指導下の朝鮮総連が強力な対南工作を実施したのは周知の事実」とのことです。そして韓国内で摘発された「スパイ事件」も「すべて「捏造」だったと言うけにはいかない」とか・・・。そればかりか、なんと尹健次先生自身も東大の大学院生の頃の1971年春、総連の指示で秋田の海岸から密航船に乗って北朝鮮に渡り、招待所での「学習」に加え「軍事訓練」(自動小銃、手榴弾、乱数表等)を受けたということが記されています。
 ※上記の「わが朝鮮総連の罪と罰」所収の地図<わたしがつくった北朝鮮工作船着眼ポイント38ヵ所>に秋田県八森町の塩浜温泉があるが、密航船に乗ったのはここ?
 ※密航船の到着地は元山。(1991年ヌルボが初めて上陸した北朝鮮の港も元山で、その第一印象は尹健次先生のそれ(下)とほとんど重なるものがあります。(違うのは、ヌルボの場合は最初から「希望」も「期待」も持っていなかったということ。)
 船は一昼夜をかけて元山に着いた。早朝、港で働く労働者の「虚ろな目」と視線が会い、その時点で、ひと筋の希望が砕かれ、「祖国」に対して絶望的な気持ちになった。一九六〇年代の帰国者が「港に着いた瞬間に分かった」というが、それと同じだったかも知れない。
 ・・・というわけで「結果的に失望して帰った」とのことですが、おそらく他にも相当数の在日青年が総連の手引きで北朝鮮に渡ったものと思われます。在日2世の方による本書の読後感(→コチラ)にも「僕はピョンヤンで訓練を受けた」という知人のことが書かれています。
 これらのことと関連して、尹健次先生が「個人的にはときには顔を合わせてお酒をともにする間柄」であり「北に何回行ったのか知らないが、二度目は弟・俊植を同道している」という徐勝立命館大教授に対し、「北に行ったにしても、それが「在日」として生きていく上でどんな意味をもったのかを検証することが大事ではないか」、「私は率直に言って、徐勝の場合、少なくとも「非転向の良心囚」というだけでは済まないと思っている。それでは徐勝の人生の重要な部分が抜け落ちてしまう」、 「徐勝が「非転向」というとき、何からの非転向なのか」等々厳しく問いかけているのは、私ヌルボとしては「よくぞ言ってくれました」という感があります。徐勝教授や、徐京植東経大教授の著作(とくに「ディアスポラ紀行」とか)を読んで鋭い筆鋒と批判精神に感じ入りつつも、その矛先が北朝鮮に向けられることがない(というか、擁護の文章さえない)ことで、そのすべての言説が訝しく思えてくるのは如何ともしがたいところでした。(しかし、今後も何も言いそうにないような・・・。) 同様の思いは、在日韓国人間諜団事件(1975年)で死刑を宣告され、最近になってやっと無罪が確定した康宗憲氏の自伝「死刑台から教壇へ 私が体験した韓国現代史」を読んだ時も感じたことです。(これについては→コチラの過去記事でも書きました。)
 上記のような70年代の南北のスパイや政治工作をめぐる角逐はその後様相が変わってきます。北からの南派工作員が大幅に少なくなる中で、韓国の北側スパイ摘発の担当部署である韓国国軍保安司令部(保安司)は無理にでも自分たちの仕事の「実績」を上げるため韓国に来た在日を主ターゲットにして「在日同胞スパイ事件」の捏造が行われるようになった、ということです。本書で紹介されている金丙鎮「保安司」は著者自身の体験が実に具体的に記されている本ですが、読んでみると当時(80年代)は拷問による「でっちあげ」がほとんど常態化していたようです。

 以上長々と書きましたが、かなり第3巻に偏り、それも北朝鮮関連のことをはじめ相当に我田引水的な紹介になってしまったような・・・。(笑) しかし冒頭に記したように多くのことを教えられるとともに、尹健次先生の学問に対する真摯な姿勢も感じられて、まだ2ヵ月弱残っていますがまちがいなく今年一番の読書体験といっていいでしょう。

 ※「私ヌルボとしては首肯できない点もあるのですが・・・」と書いたのは、たとえば「親日派」について。昨年刊行された金哲「抵抗と絶望 植民地朝鮮の記憶を問う」の感想をお訊きしたいものです。

 [追記] 個人的なことですが、2人直接知っている人の名前が出てきてビックリ。1人目は大学の先生ですが、2人目は表紙のハングル文字「우리(ウリ.われわれ)」「마음(マウム.こころ)」「하나(ハナ.ひとつ)」をとても味わい深いスタイルで書いている方。誰かな?と思ったら親しい知り合いのKさんではないですか! 最近連絡とってなかったなと思って電話したら通じずメールも不通。本人あるいはご存知の方、この記事見たら教えてくださいね。