ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

①韓国文学②韓国漫画③韓国のメディア観察④韓国語いろいろ⑤韓国映画⑥韓国の歴史・社会⑦韓国・朝鮮関係の本⑧韓国旅行の記録

[韓国語] 慶尚道(キョンサンド)の方言では「キョンサンド」とは言わない!

2011-05-18 23:14:11 | 韓国語あれこれ
 私ヌルボ、生まれは名古屋だもんで、名古屋弁には郷愁めいたものを感じています。
 名古屋弁の特徴は、母音が8つあることで、アイウエオの他に、連母音のaiがæ:に、uiがy:に、oi→œ:にと変化した3つの母音が加わります。(8母音説を否定する見方もあるようですが・・・。)

 ただ、近年は昔ながらの名古屋弁の話者は非常に少なくなってるようです。そういえば、以前は「ハヤシもあるでョ~」で知られる(?)南利明のように、名古屋弁をウリにしていた俳優もいましたが、この頃は誰がいるか・・・。作家では清水義範がそれなりに、ってとこですかねー。
 以前、1988年のオリンピック開催地の投票で名古屋がソウルに勝っていたとして、その開会宣言を名古屋弁でやったらどうなっていたか、というのを誰だったか、漫才だか漫談の人がやってたのをかすかに記憶しています。
 およそこんな感じ。
 「第24回オリンピアード名古屋大会の開会を宣言する。」
 →「でゃあ24きゃあオリンピャアド名古屋てゃあきゃあのきゃあきゃあを宣言する。」
 ま、軽い宴会芸にはなりますかねー。

 あ、当ブログは100%韓国ネタというのが大前提だった。

 上記の例のように、特定の母音が他の地方と異なるという特色を持つという方言は韓国にもあって、代表例が慶尚道方言。次のように変化します。
 ・・・ということを、先週韓国語の先生から教わりました。(忘れないうちにブログにメモって感じですかねー。)

①ㅕ → ㅐ
②ㅓ → ㅡ


 ①の具体例が、まさに「慶尚道(경상도.キョンサンド)」。これが「갱상도(ケンサンド)」となります。
 (自分の地元の呼称からしてなまるというのは、茨城県出身の父がそうでした。正しくは「イバラキ」ですが、「エバラギ」との中間音のようなはっきりしない発音をしていました。)
 ㅕ → ㅐのよく聞く例に「몇 개(ミョッケ)」「맻 개(メッケ)」というのがある、との先生の説明に、現地での経験豊富なお酒の好きなTヒョン(兄貴)は「よく聞いたねー」と即座に反応。
 私ヌルボが思い出したのは、ずいぶん以前に韓国語入門テキスト付録のカセットテープで「며칠간(ミョッチルガン)(何日間)はよくメッチルガン(매칠간)と発音されます」と説明されていたこと。あの著者は慶尚道の人から韓国語を習ったのかな?
 先生の経験では、以前パスだか切符だか失くした韓国人が「トンゲン、トンゲン」というのが(当時は)意味がわからなかったそうです。標準語だと「東京(동경.トンギョン)」というところを、慶尚道の人で「동갱(トンゲン)」と言ってたんですね。
 ※今、東京はそのまま「도쿄(トーキョー)」という方が多いようです。

 ②の例は、ヌルボ自身体験的に知りましたよ。
 思い出したくないことですが、釜山のタクシー内に不注意でカメラを置き忘れて、警察に連絡し、交番(파출소. 派出所)で事情聴取。そこでお巡りさんからの質問の1つが「지급이 뭡니까?」。 え、「지급(チグプ)」が何ですかって、何のこと? 「至急(지급)」でもないようだし・・・、と考えていると、今度は英語で尋ねてきました。「I’m a policeman,and you?」 ああ、そういうことなの。「지급」じゃなくて「직업(チゴプ.職業)」ね。・・・というわけで、カメラを代価に(涙)慶尚道方言の基本形の1つを学習したのです、とほほ。

 先生は、オマケに忠清道方言の母音変化についても少しふれました。
 忠清道では、ㅜ(u)の前にyのついたㅠ(yu)の他に、ㅡ(ɯ)の前にyのついた、ハングルでは表記不能のyɯという音があるそうです。ㅡのように口を横に引っぱってユと発音するのですが・・・。

※갱상도でググると、慶尚道関係のいろんなサイトがヒットしました。
その中で、<釜山語の練習 短い文章いろいろ>という動画がありました。イントネーション等わかりやすいです。



 続編の<<釜山語の練習 あいさつと返答>→コチラと、<久しぶりに友人と会った時>というのもあります。→コチラ

 さらに、次のようなおもしろいのも・・・。何をしゃべってるかは、ヌルボの場合、何度も止めて字幕を見なければわかりませんが・・・。(KBS2「自由宣言」より) 「가 가 가」と、「가」が連続するのはおもしろいですね。韓国のブログを見ると、これが6つも7つも続くというのもあるそうです。この件はまたいずれ。


一葉記念館の企画展「樋口一葉と韓国」を見に行く

2011-05-18 18:50:13 | 韓国・朝鮮と日本の間のいろいろ
 昨年のGWは佐賀県を中心に韓国に関係のあるいろんな所を廻って非常に収穫がありましたが、今年のGWは別に地震とは関係なく、結局全然遠出はしませんでした。ビートル号が空いているようなので、ちょっと釜山方面に行ってみようかな、とも思ったのですが、なんせ首都圏から福岡に行くまでの時間と運賃が大きなネックで、結局断念。近場で何かあるかなと<日韓文化交流カレンダー>を見てみたら、4月19日~5月29日、台東区立一葉記念館で開館50周年記念企画展として「樋口一葉と韓国」というのをやっているという情報。GWの最初の方で行ってみました。

     

 三ノ輪辺りを歩いたのは初めて。一葉記念館は裏通りに立つ、下の写真の通りなかなか立派な建物でした。

   

 チラシを見ても、なぜ今「韓国」なのかはわからず。特に理由はなさそう。ただ、<民団>のサイトに、同館専門員の塩屋朋子さんが書いている「一葉を触発 韓国文学 企画展で浮き彫りに」と題する記事があり、参考になりました。なぜ「朝鮮」ではなくて「韓国」なのかという大疑問は解けないままですが・・・。国号が大韓帝国になったのは樋口一葉(1872~96年)の死後(1897年)だし・・・。
 まあ、それはそれとして、先に進みます。

 一応このテーマの前提となるキーパーソンは半井桃水(なからいとうすい.1861~1926)。1890年代初め、一葉の小説の師であり「思慕の対象」でもあったという人物。(・・・と、ここらへんまでは高校時代国語の授業で教わった、と思う。) そして1880年代朝日新聞社の海外特派員として朝鮮から送った記事が評価された、ということは以前何かで読みました。
 行ってみて、そして帰ってから少し調べてわかったことの要点は以下の通りです。

 今回の記事は分量が多いので、あまり関心のない方とお急ぎの方は①~⑥のタイトルだけでもいいですよ。

①半井桃水は、父が対馬の典医だった関係で少年時代から朝鮮にも行き、朝鮮語ができた。
②半井桃水は、物語「春香伝」を初めて翻訳・紹介した。また朝鮮の小説「九雲夢」を愛読した。
③半井桃水は、朝鮮と日本を舞台にした小説「胡砂(こさ)吹く風」を書いた。
④樋口一葉は、桃水の小説「胡砂吹く風」を読み、非常に感動した。
⑤樋口一葉が書いた小説中に、朝鮮文学の影響がある、という説がある。
⑥朝鮮最初の近代文学作家・李光洙から「金一葉」と名づけられ、1920年代に小説、論説などを通じて女性解放を主張した女性作家・雑誌編集者がいた。


①半井桃水は、父が対馬の典医だった関係で少年時代から朝鮮にも行き、朝鮮語ができた。
 桃水は西歴1861年1月対馬で生まれました(和暦では万延2年12月)。父湛四郎は対馬領主宗家の最後の典医で、しばしば釜山の倭館に行き来していました。桃水も12歳の時(1872年)倭館に赴き、給仕として16歳まで(?)朝鮮で過ごし、その時現地の少年から朝鮮語を教わったそうです。

②半井桃水は、物語「春香伝」を初めて翻訳・紹介した。また朝鮮の小説「九雲夢」を愛読した。
 桃水は、パンソリを代表する作品「春香歌」として広く知られている、また何度も映画化されたりもしている朝鮮の代表的な物語「春香伝」を「鶏林情話春香傳」という作品名で1882年全20回にわたり「大阪朝日新聞」に連載しました。
 三枝壽勝先生の「朝鮮文学を味わう」によると、「春香伝」にはいくつも版本がある中で、「京板三十張本」という木版本が桃水の用いた原本に近いとのことです。

    
  【「京板三十張本」。ハングルの表記法が現在と違うので読みづらいです。】

 「九雲夢」は李氏朝鮮の作家・金萬重(キムマンジュン.1637~92)が1687~88年ハングルで著した小説。内容は→コチラのサイトでおよそわかりますが、「光源氏顔負けのダンディーが活躍する」という点が気に入ってたのかな?
「韓国古典文学選」(第三文明社)という本にこの作品が収められていますが、現在絶版。アマゾンでは定価2242円のこの本に8000円の値がついてます。ふっふっふ、ヌルボ持ってますよ~。とはいうものの問題はどっかに埋もれたままの状態ということ。やむなく市立図書館で読み直してみると、やっぱり上記のサイトにあるような「オトコの願望」をそのまんま無邪気に(?)書いちゃったような物語で、晩年に虚しさを感じ胡僧の説教を聞いて仏門に帰依した、・・・なんて結末にしてはいるものの、もう十二分に歓楽を極めちゃってるしなー。登場する8人の美女たちが嫉妬もケンカもせず仲よく暮らすなんてなー、ハハハ。
※美女たちが「なぜ8人なのか?」を追究した新潟大高桑美帆さんの卒論がありました。→コチラ

③半井桃水は、朝鮮と日本を舞台にした小説「胡砂(こさ)吹く風」を書いた。
 「胡砂吹く風」は、桃水が1891年から150回にわたって「朝日新聞」に連載した小説です。<樋口一葉メモ>の記事によると、日本人の武士と朝鮮の両班女性の間に生まれた林正元が、朝鮮にわたり母の仇を討ち、朝鮮の女性と結婚し、親日派として守旧派と闘い、国王を補佐して日朝清同盟の委員長になるという物語だそうです。また、桃水の影響からか、樋口一葉は日記で朴泳孝を朝鮮の忠士と書いているそうです。
劉銀さんの埼玉大の修士論文には、後に書かれた続編の「続胡砂吹く風」と合わせて、桃水の韓国理解等についての考究が記されています。

④樋口一葉は、桃水の小説「胡砂吹く風」を読み、非常に感動した
 「胡砂吹く風」が単行本になることが決まった1892年暮れに、桃水は一葉に本に載せる和歌を頼んで贈ってもらいます。1893年2月23日桃水は一葉の家を刷り上がった本(前後編)を持って訪れます。その前編には主人公林正元の肖像と並んで一葉の歌が掲げられています。
 その夜さっそくこの本を読んだ一葉は日記に感想を記しています。
 「桃水うしもとより文章粗にして、・・・ひたすら趣向意匠をのみ尊び給ふと見えたり」等々、作家の視点から批判していますが、一方読者の立場からは次のような感動の文章を連ねています。
 「いでよしや、此小説うき世の捨ものにて、人の為には半文のあたひあらずともよし。我が為生涯の友これを置て外に何かはあらん。」(たとえこの小説が世間から見捨てられ、人々には何の価値もなくても、私にとっては生涯の友はこれだけだろう。)

⑤樋口一葉が書いた小説中に、朝鮮文学の影響がある、という説がある
(1)上記「九雲夢」を一葉は1892年5月に桃水から借りて筆写している(県立山梨文学館蔵)が、その「九雲夢」をモチーフにしたと思われる場面が「にごりえ」の中に登場する。
※「九雲夢」中の気位の高い妓生・蟾月(ソムォル)と、「にごりえ」の主人公・銘酒屋の気丈な酌婦お力の共通性、ということのようですが、私ヌルボとしては「そうも読めるか・・・」程度で、肯定も否定もできません。
(2)一葉が桃水の主宰する雑誌「武蔵野」に発表した「五月雨」は「春香伝」の影響を受けている、という説がある。
※ヌルボは「五月雨」は未読ですが、<樋口一葉と水仙>というサイトであらすじを見たかぎりでは「影響」の具体的内容はわからず。

⑥朝鮮最初の近代文学作家・李光洙から「金一葉」と名づけられ、1920年代に小説、論説などを通じて女性解放を主張した女性作家・雑誌編集者がいた。
 本名は金元周(1896~1971)。この女性について書くとなると、それだけで長大な物語になってしまいそう。とりあえずは<朝鮮新報>の中の記事を紹介するにとどめます。→コチラ

[付記1]この一葉記念館の企画展は、やっぱり一葉よりも半井桃水がメインですね。ただ、桃水のことや彼の作品について調べようと思っても、市販の書籍は皆無に近く、横浜市が誇る(?)市立図書館には11,000円という高い古書価がついている上垣外憲一「ある明治人の朝鮮観 半井桃水と日朝関係」(筑摩書房)があったのがラッキーといった程度。いくら文学史的には評価されていない桃水とはいえ、明治期の朝鮮観や日朝関係を知る資料としては価値がありそうなんですがねー。いろんなジャンルの文学を収めている明治文学全集も大衆小説はほとんどないし・・・。残念なことです。

[付記2]<太陽さくらandサニーライフ平井>というブログにも一葉記念館の企画展の記事
がありました。その過去記事にも「胡砂吹く風」の刊本等について、非常に詳しい説明が載っています。
[付記3]対馬市厳原町の桃水の生家跡に半井桃水館があります。HPは→コチラ桃水の略歴が詳しく書かれています。
 <東京対馬館>というサイトの記事によれば、2004年頃の生家跡の解体をめぐる公共工事には問題があったということですが・・・。