ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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「2.8独立宣言」と韓国YMCA

2010-08-14 23:35:56 | 韓国・朝鮮と日本の間のいろいろ
 文京シビックセンター(at春日)に、韓国映画「開闢」(林権澤監督.1991)を観に行く途中、時間があったので水道橋で下車し、在日韓国YMCAに行ってみました。場所はおおよそ知ってはいましたが、実際に行ったのは初めてです。

   
      【在日本韓国YMCA。日大経済学部の裏の方です。

 ここがどういう所かというと、1919年2月8日、在日朝鮮人留学生たちによって「2.8独立宣言」が発表された場所です。
 集まった600人(400人?)の留学生たちの前で、植民地支配の不当性と民族自決の要求を盛り込んだ宣言書が読み上げられると「大韓独立万歳」の喚声があがりましたが、覚悟していたとおり、監視していた警官たちに多くの学生が検挙されました。
 <3.1独立運動>については歴史の教科書にもふつうに載るようになり、かなり知られてきましたが、その3週間前の「2.8独立宣言」にの方は韓国に関心のある人たちの間でもまだ十分に知られていないのではないでしょうか?
 ※「2.8独立宣言」についての詳細は<fwapy바람꽃風ノ花>というブログ参照。

 宣言文は3.1独立運動の宣言文よりも戦闘的で、「要求が通らなければ、永遠の血戦をする」とあったそうです。
 これをを起草したのは、早稲田大学学生だった李光洙(当時26歳)。この2年前の1917年、朝鮮初の近代小説とされる「無情」を朝鮮総督府機関誌「毎日申報」に書いています。彼は宣言の後上海に逃れて大韓民国臨時政府の樹立にも関わりますが、後には香山光郎と創氏改名もし、親日的な作品も発表して、現在はもちろん親日派のレッテルを貼られています。
 ※ドラマ「英雄時代」第16話で、ラジオから彼の「皇国臣民としての覚悟」を説く放送が流れる場面がありました。
 1950年朝鮮戦争の時に北に拉致され、その年凍傷・結核が悪化し死亡したそうです。
 才能もあり、行動力もあった李光洙。必死に行きながら、結局は時代の波に翻弄され悲運の中で死んでいった58年の生涯ですね。

 さて、この韓国YMCAですが、そのサイトによると設立は1906年。ソウルYMCAに続く2番目に古い歴史があるとのことです。
 また<JanJanニュース>の記事によると「毎年2月8日に式典を開催し、この宣言文を読み上げ、正義・民主・平和の精神と青年たちの献身性を受け継いでいっている」とのことです。

    
独立宣言記念碑。正面しか見なかったので、建てられた年や経緯等は不明。

 私ヌルボ、夕方で時間もなく、玄関脇の「朝鮮獨立宣言一九一九 二・八記念碑」の写真を撮ってきただけだったのですが、後で調べてみると「2.8独立宣言記念資料室があって、宣言書の銅版など各種資料が展示されていて見学できる」とのことです。