濁泥水の岡目八目

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西郷隆盛をビスマルクに会わせたかったなぁ

2018-05-17 14:19:02 | 歴史談話


 明治4年(1871年)に岩倉使節団がアメリカから欧州へ歴訪の旅に出た。私はこの一行に、西郷隆盛を何が何でも加えるべきだったと思う。本人が嫌がっても首に縄を付けてでも引っ張っていくべきだった。そうすれば西南戦争などという日本人同士が殺し合う愚劣な戦いは起こらなかっただろう。西郷隆盛は確かに有能な人物であったが、視野が狭かった。日本国内の謀略や戦争で抜群の働きをして明治政府を創った功績は素晴らしかったが、平和になり国内を治める仕事には向かなかったようである。斬った張ったは得意でも、身内同士の時間をかけたネチネチした権力闘争は嫌だったのだろう。だから故郷に帰ってしまった。龍が井の中の蛙に成り果てた。馬鹿な蛙たちの王様になって馬鹿な戦争を初めてしまった。 西郷隆盛を欧米に連れて行けば、彼の目は開いたはずである。大海には数多くの龍や化け物たちがひしめき合ってしのぎを削っていたのだ。いざとなったら「龍虎の戦い」である。当時の日本がそれに巻き込まれたら悲惨な目に合うのは明らかであった。侍の既得権益がどうのこうのと国内で争っている場合ではないことは理解出来たはずだ。
 私は特に西郷がビスマルクに会っていればと惜しくてならない。ビスマルクは謀略と戦争の達人だった。私の高校時代に世界史の先生が「ドイツ帝国を創ったのはビスマルクで、信長、秀吉、家康を合わせたぐらい凄い人物だ。」と述べていたのを今でも覚えている。そのビスマルクが岩倉使節団に会って、国際政治の厳しさを親切に教えてくれたのである。大国がもっともらしく掲げる国際法などは全く当てにならず、武力が無かったら踏みにじられるだけだよ、と本音を言ってくれたのである。ドイツ帝国に利害関係のない東方の小国に同情したのだろう。西郷がその言葉を聞いていれば、心から納得したはずである。西郷は欧米の植民地支配を批判していたのだから。でもいくら列強が横暴でも彼等が世界を支配している以上、彼等と付き合わなけらば日本は生きていけない。欧米を旅行してビスマルクに会えたら、西郷隆盛の目は開かれたと思う。中央政府が気に食わないと駄々をこねている蛙共を教えて諭しただろう。
 ビスマルクが日本人に親切だったのは例外であり、彼は傲慢不遜で意地悪な親父だった。君主にも無礼な態度を取ったらしいのが、ヴィルヘルム一世の言葉から覗われる。島津久光に無礼千万な言葉を投げつけた西郷隆盛とは気が合ったかもしれない。