だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

原発震災(42)巡礼の旅

2011-11-14 22:23:03 | Weblog

 先週末は3度目の福島への旅。今回も戸上昭司さんのマネージメントで福島市、田村市、郡山市、飯舘村を訪問した。深く考えさせられることばかりだった。

 政府のやり方はあきらかにまちがっている。すぐに妊婦さんと子どもたちを放射線量の低い場所に避難・疎開させるべきである。食品の放射線量の基準値は十分低い値を採用すべきである。
 もちろん私たちは、これらのことを政府に要求し続けるわけであるが、近い将来、政府がこれらの政策を転換する望みは薄いと思う。今、私たちは、子どもを守らない政府をもった国民の不幸を味わっている。次の選挙ではぜひそうでない政府を選びたい。

 しかし、そう言っている間にも、福島の人たちはこの地で暮らしていかなくてはいけない。もう避難できる条件のある人、自力で避難できる力のある人は避難してしまった。今残っているのは、避難したくてもそう簡単にはできない人々なのだ。
 福島では、不安で不安でたまらない毎日を過ごしているお母さんたちが少なからずいるという。また子どもたちは外で遊べずにストレスがたまっているという。これでは放射能がなくても子どもたちは病気になってしまう。
 そういうお母さんたちに対して、「福島は汚染されているからすぐに子どもを避難させるべきだ」と県外の人間が主張することは、彼女たちをさらに傷つけることになる。事態はますます悪化する。
 飯舘村の小林麻里さんは、原発事故発生以来、福島で心を壊さないで生きていくことがどれほど難しいか、繰り返し語ってくれた。普通に日常生活を営んでいる場に、ものものしいかっこうをした除染部隊がどやどやとやってくるだけで、人々の心は簡単に壊れてしまう。

 福島では、そこら中に放射能があるこの状況で、夢と希望を見出して生きて行かなくてはならない。この深く激しい矛盾を克服することを、普通の市民が求められているのだ。これは、除染をどう進めるかなどの技術論をはるかに超えた、きわめて哲学的な課題である。

 田村市では蓮笑庵を訪問。ここは画家の渡辺俊明氏のご自宅である。お住まいの他にアトリエの建物があり、また別に蓮笑庵がある。人が集うために特別に建てられたものだ。俊明氏が亡くなられたあと、奥様の仁子さんが切り盛りされている。震災後はボランティアの宿舎として無償で開放されており、私たちも泊めていただいた。この場所は、福島第一原発から30km圏のすぐ外側であるにもかかわらず、放射線量が低い「クールスポット」である。

 仁子さんは、今のこの福島の状況こそ、希望のある未来をめざして学ぶ絶好の機会だという。真実を覆ってわからなくさせていた厚いベールが、福島ではきれいさっぱり取りさられて、学べば誰でもそれを得ることができるのだ。仁子さんは連笑庵をそのための学びの場とするために奔走されている。
 仁子さんは、私があるところに書いた文章の中にある「目に見えない放射線も、この世界の豊富さの一部」という一節に「救われた」という(下に全文を再掲)。一歩まちがえると、たいへんに誤解され、非難されてしまう危ういフレーズである。しかし、そういうアクロバット的な発想の転換なしには、この難しい状況の中で、心を壊さず、心豊かに生きていくことは不可能なのだと思う。

 くりかえしになるが、もちろん、政府がしっかりしていれば、これほど悩まなくてもよい。そういう政府を持たなかったという現実は、私たちに、新しい哲学、すなわち新しい生き方を生むよう、カミさまが試練を与えているのだろうか。
 怒りや恨みに基づく主張や運動は、問題を解決できないだろう。対話に基づく愛と共感でしか、これほど難しい哲学的課題に取り組むことはできないと私は思う。日本に生きる誰もが、この課題に目を背けず立ち向かってこそ、福島の子どもたちを病気から守り、彼らが生き抜いていく力になると、私は信じている。



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EcoBranch『ゆっくりずむでいこう』48号(2010年9月)より。
http://www.eco-branch.jp/Life/Life-2/benahito.html

目に見えない世界の豊かさにひかれて

 高野雅夫

 私の名古屋大学理学部での卒業研究のテーマは、放射性物質の崩壊の際に地球内部から放出される反ニュートリノという素粒子がどれくらいあるのか、ということでした。反ニュートリノは他の物質とほとんど反応しないので、どんなものでもすりぬけていきます。研究結果は、無数の粒子が、時々刻々私たちの身体をすりぬけて、地面の下から宇宙に向けて飛んでいっているというものでした。私は、目に見えない世界の豊富さを知りました。

 一人前の地球物理学の研究者になってしばらく後、大学に環境学の大学院をつくるという話が降ってきて、環境学の研究をゼロからスタートさせました。自然エネルギー、その中でも日本で最も有望な木質バイオマスエネルギー(ようは木を燃料として使うということ)について研究を始めました。森林や林業、山村のことなど、まったく素人でしたので、学生とともに愛知県豊根村に通い、地元の方からいろいろなことを教えて頂きました。

 その中、地区ごとに行われる伝統行事“花祭”を体験しました。一つの演目が2時間にも及ぶ舞が、夕方から次の日の朝まで延々と奉納され、その動きは激しく、とても普通の人間の体力や精神力でやっているとは思えず、舞場の空間そのものが、不思議な異次元空間のようにも感じられました。大きな釜が舞場の中心に据えられ、ゆらゆらと揺れる湯気を通って、全国津々浦々の八百万の神さまたちが釜の中にやってこられ、舞手に、その神さまたちが乗り移っているのです。夜が白々と明けたころ、最終演目「湯囃子」の最後の最後、舞手は手にした藁の扇で、釜の中のお湯を聴衆にかけまくり、舞手も聴衆もびしょぬれ、神様と一体となって、五穀豊穣、無病息災を祈るというものです。豊根村の人たちは、目に見えない神さまたちと、ごく普通に一緒に暮らしていました。なんて豊富な世界なのだろうと思いました。昔の人は誰もそういう広い世界に生きていたのです。今の私たちが、自分たちのものと思っている世界のなんと狭いことかと思いました。

 フクシマでは、放射能汚染という、日本の環境史上最大最悪の環境汚染事件が発生してしまいました。環境学の専門家として自分に何ができるかと、何度かフクシマを訪問して模索しています。勿論放射能には退散して頂かなくてはいけません。汚染された土壌をはぎとったり、木の枝を切り払ったりするやり方は、効果はありますが、その場所から完全に放射線が無くなるわけではなく、はぎとった大量の土砂をどう処分するのかも分かりません。私たちはもう、放射能とともに生きていくことを余儀なくされているのです。
 私は、そのような外科的なやり方ではなく、生態系が放射能を取り除く自然なメカニズムを発見し、それを人間が手助けするような、いわば東洋医学的なやり方を模索したいと思っています。菜の花は、土壌の放射性セシウムを劇的に吸い取るわけではありませんが、吸い取ったものは、すべてタネに集めます。さらに油分には入らないので、ナタネ油を絞ったあとの油かすに、セシウムを全部集めてくれるというわけです。私たちが考えているのは、油かすを微生物で分解して溶液にして、そこからセシウムを取り除き、残った溶液もしぶとく肥料として活用して作物を育てようという作戦です。そうやって、生態系にとっても、人間にとっても価値のあるものを作り出しながら、少しずつ土壌を回復していくというやり方をやってみたいと思っています。

 目に見えない放射線も、この世界の豊富さの一部です。いたずらに敵視するのではなく、私たちの世界をより豊かにするという観点で、取り組んでいきたいと思います。

 

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1 コメント

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共感します (necosan)
2011-11-18 19:47:11
先生、ご無沙汰しています。いつも拝読させていただいています。
「目に見えない放射線も、この世界の豊富さの一部」心に響きました。
花祭の話とても共感しております。私は舞庭で毎回神様に会います。人は昔から、神様や多くの生き物たちと当たり前に共存してきたのに、いつの間にかそれを忘れて自分たちがけが絶対の存在だと思うようになってしまいました。
私の娘は、まもなく5ヶ月になります。彼女の進化は凄まじく、脳神経が音を立てて発達していく様が伺えます。こんなにも豊かで大きな脳を、そして大いなる進化を、神様は人に与えて下さいました。この贈り物は、地球上全ての生き物を豊かにするために活かすよう、私達は命じられているはずですよね。

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