小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

スポーツ上達小説(上)

2018-06-30 09:03:28 | Weblog
「スポーツ上達小説」

という小説を書きました。

ホームページ、浅野浩二のHPの目次その2、http://www5f.biglobe.ne.jp/~asanokouji/mokuji2.html
に、アップしましたので、よろしかったらご覧ください。

(原稿用紙換算115枚)




スポーツ上達小説

山野哲也は、医師である。
彼は、奈良県立医科大学を卒業した後、Uターンして、千葉の、研修指定病院で、二年の精神科の研修を受けた。
彼は、生まれも、育ちも、関東で、関西には、馴染めなかったのである。
彼が、精神科を選んだのは、単純な理由である。
それは、精神科が、楽そうだったからである。
しかし、彼は、楽なことばかりを、求める、世の中の、その他大勢の人間とは違っていた。
彼は、大学に入学した時から、過敏性腸症候群に悩まれていたのである。
一般の人は、「過敏性腸症候群」、と、聞いても、「ちょっと、腸の具合が悪いのだろう」、程度にしか思わないだろう。
確かに、病気には、程度の差、があって、「過敏性腸症候群」、の、持病を持っていても、その程度が軽く、「ちょっと、腸の具合が悪い」、という人もいる。
しかし、彼の、病気の程度は、重く、一日中、チクチク刺すような、痛みがあり、「過敏性腸症候群」、に伴って、「不眠」、「便秘」、「うつ病」、に、悩まされてきた。
それは、大学の、学業、生活、を、著しく、困難にするほどのものだった。
実際、彼にとって、大学生活は、生き地獄そのものだった。
死ぬことも、本気で、何度も考えた。
そのため、彼は、大学四年で、休学した。
休学して、幸い、心療内科の、いい先生に巡り合えたので、彼は、1年、休学した後、復学した。
そして、ともかく、大学だけは、卒業して、医師国家試験の資格も、とっておこうと、思った。
彼は、もの凄い努力家だったので、大学も卒業し、医師国家試験にも、通った。
しかし、彼には、もう一つ、困ったことが、あった。
それは。
彼は、大学三年の時に、一介の医者として、一生を過ごすことに、むなしさ、を感じ始めていたのである。
そして、大学三年のある時、「小説家になろう」、と、決断したのである。
それは、突拍子もないことであった。
しかし、そう思い決めてからの後は、彼の創作にかける情熱は、衰えることなく、それどころか、創作意欲は、ますます、高じるばかりだった。
彼は、病気に苦しみながら、勉強に打ち込み、創作に、打ち込んだ。
千葉での、二年の研修が終わると、彼は、地元の藤沢の、精神病院に就職した。
そして、医師の仕事をしながら、小説を書いた。
しかし、彼は、創作にしか、生きがい、を、感じられず、医師の仕事には、やりがい、を感じられなかった。
そのため、医師の仕事を疎かにしてしまったため、病院は、もっと、やる気のある医師を求め、彼は、リストラされてしまった。
しかし、医師免許を持っていれば、医師の仕事は、何科を、してもいいのであり、彼は、ほとんど、疲れない、健康診断や、コンタクト眼科、などの、アルバイトをして、それを生活費の収入とした。
コンタクト眼科は、楽だった。
しかし、コンタクト眼科は、眼科医でない医者が、眼科の診療をしていることが、眼科学会で、問題になっていて、眼科医でなれけば、コンタクト眼科は、出来ない風潮になってしまった。
それで、彼は、今度は、人工透析のアルバイトを、するようになった。
人工透析の仕事も、楽だった。
それで、彼は、創作に打ち込んだか、毎日が、不眠と便秘との戦いだった。
睡眠薬を飲んでも、眠れず、便を出すのは一苦労だった。
整形外科の治療を受けると、自律神経が安定するので、彼は、ほとんど毎日、整形外科に通っていた。
彼は、医者というより、病人だった。
何とか、健康が良くなるように、彼は、色々と、健康に関する本を読んだ。
そして、色々と、健康にいい、と、言われていることを、やってみた。
それで、わかったことであるが、有酸素運動である、水泳と、筋トレ、が、健康にいい、ことが、わかった。
なので、水泳と筋トレ、が、彼の生活の中で、習慣となった。
彼は、子供の頃から、水泳が好きで、泳ぎを練習していたので、水泳は出来た。
子供の頃は、水泳が、出来るようになることが、目的だったが、大人になった今では、水泳は、健康のための手段でしか、なくなっていた。
しかし、何はともあれ、水泳を身につけていたことは、彼にとって、この上ない幸運だった。
彼の泳力は、すごく、5時間くらい、全く、疲れずに、泳ぎ続けることが出来た。
彼は、健康のため、週に、2回は、水泳をして、週に、1回は、筋トレをした。
彼は、車で、秋葉台体育館の、市営プールで、泳いだ。
アパートから、秋葉台体育館までは、一直線で、10分くらいで行ける。
水泳は、頑固な便秘に効果抜群だった。
彼は、3時間、泳ぐことに、決めていた。
しかし、プールでは、50分の遊泳時間に、10分の休憩時間があった。
彼は、50分、休みなく、泳ぎ続けた。
体を鍛えるのが、目的だから、彼は、10分の休憩時間も無駄には、しなかった。
休憩時間には、プールサイドで、脚や、腕の、ストレッチをした。
しかし、ストレッチは、3分くらいで、出来てしまう。
なので、その後は、空手のキックをした。
彼は、家でも、空手のキックをすることが、あったが、プールでは、人がいるので、華麗な蹴りを、見せることは、優越感の心地よさ、があった。
空いている方が、いいので、プールが、混んでいる時間は、避け、人の少ない時間をねらった。
ある時のことである。
休憩時間に、彼が、ストレッチしていると、たまたま、すぐ後ろのベンチに、腰掛けている女性と目があった。
彼は、彼女を知らない。
しかし、彼は、プールによく行くので、彼女は、彼を知っているようだった。
「すごく体が柔らかいですね」
女に話しかれられるのは、初めてだった。
「ええ。僕は、体だけは、柔らかいので・・・」
女に話しかれられて彼は、嬉しかった。
「でも、いきなり、無理に、開脚は、しない方がいいですよ。念入りに、ストレッチしているうちに、体が、だんだん柔らかくなっていきますから」
僕は、経験から、少し、得意になって、ストレッチに関して、話した。
「以前、体育館のトレーニングルームで、少し、無理をしたら、右足の膝が、バキッ、と音がして、内側側副靱帯を、部分断裂してしまいましたから。ストレッチは、筋トレで、筋肉をつけて、そして、いきなり、ではなく、無理をしないで、やらないと、危ないですよ」
女は、男より、はるかに、体が柔らかい。
男は、どんなに、股関節が柔らかくても、180°、開脚することは、出来ない。
しかし、女は、180°、以上、容易に開脚することが、出来る。
しかし、それは、体操や、新体操、フィギアスケートなど、柔軟性を鍛えている、スポーツ選手であって、日頃、運動など、全くしていない女では、体の硬い人もいる。
彼女は、そういう人らしく、日頃、ストレッチなどしていないのだろう、彼の柔軟性を見て、
「どうしたら、そんなに、柔らかくなるんですか」
と、聞いてきた。
「柔軟性は、ストレッチを毎日、日課にして、毎日、続けていると、柔らかくなりますよ。相撲取り、も、股割り、を毎日していますから、180°、開脚することが出来ます」
ここらへんは、続ける意欲があるか、どうか、の問題である。
彼女は、彼を、以前に見て、知っているらしく、
「空手か柔道などをしているんですか?」
と、聞いてきた。
彼が、空手の蹴りを、休憩時間にしているのを、見たことがあるのだろう。
「ええ。空手が出来ます」
空手が出来て、水泳も、きれいに、泳げて、体も柔らかい、ことから、彼女は、彼を、極めて、真面目な、人間と見ているようだった。
確かに、運動やスポーツをしている人は、そう、見られがちである。
自分を鍛えようとする、意志を持ち続けているのだから。
運動などせず、腹が出て、体は硬い、人は、面白おかしいことしか求めない、志の低い人間である、と、見なされる傾向は、確かにあるし、実際、そういう傾向はある。
なので、彼女は、彼の人格を、真面目な人と、見なして、疑わないようだった。
プールを出て、更衣室で着かえて、出口に向かうと、ちょうど、更衣室から、出て来た、彼女と、出会った。
何も話さない、というのも、無粋である。
「お住まいは、どちらですか?」
彼女が聞いた。
「湘南台です」
「どっちの方ですか?」
「市民図書館のある方です」
彼は、聞かれたことを、感情を入れず、事務的に答えた。
それが、かえって、彼女に、彼を、「安全な人間」、と、見なさせたようだ。
「さようなら」
「さようなら」
自然と、別れの挨拶の言葉が出て来た。
それは、無理もないかもしれない。
彼は、週2回、ほど、プールに行っているが、何曜日の何時に行くとは、決めておらず、今度、また、いつ、会えるか、わからない、からだ。
彼女も、プールに来る日が決まっているのか、どうかは、わからない。
彼も彼女も、よく、プールに行くが、今度、また、いつ、会えるか、わからない、からだ。
ただ、何年も、彼は、プールで、泳いでいるので、何回かは、知らないが、彼女は、彼を、見ているのだろう。

その後、彼女に、会ったのは、3週間ぶりの、日であった。
彼は、週に2回は、行くが、そして、彼女も、それくらいの頻度で、行っている様子だったが、行く日が、ずれて、会えなかったのだ。
プール場に入ると、ちょうど、休憩時間で、彼女は、この前と、同じベンチに腰かけていた。
「あっ。こんにちは。久しぶりですね」
彼女は、彼を見つけると、嬉しそうに言った。
「こんにちは」
彼も、挨拶した。
本心では、嬉しいのだが、彼は、心の中の感情を、そのまま、表現することが出来なかった。
「正しくフォームで、泳げるように、なるには、どうすれば、いいんですか?」
彼女と、今度、いつ会えるのかは、わからない。
彼女も、プールに来ても、彼と会えないのを、さびしがっていたのだろう。
彼女は、今日、会えたチャンスを、逃すまいとして、遠慮なく、積極的に聞いてきた。
彼も、今でこそ、いくらでも、泳げるが、中学生の時には、クロールで、50m、泳ぐのがやっとだった。
彼は、運動が上達する、プロセスは、知っていたので、彼も説明してあげようと思った。
「私も、中学校の時には、50m、が、やっとで、それ以上は、泳げませんでした」
彼は言った。
「水泳では、水をキャッチする、と言いますが、それは、どういうことなんですか?」
彼女が聞いた。
「そうですね。水の入った風呂に、洗面器を入れて、引くと、グッと、水の抵抗が、起こりますよね」
「ええ」
「あれと、同じ感覚ですよ。水は、流体ですが、粘生がありますよね。水は、つかめないものですけれど、水には、粘生もあります。なので、水の粘生が、起こるように、なれば、つかめない水が、あたかも、つかめるようになります。だから、水泳選手は、水を、つかんでいる、という感覚で泳いでいます」
彼は言った。
「そう出来るようになるには、どうすれば、いいのですか?」
彼女が聞いた。
「手だけを、あれこれ、動かし方を、変えても、ダメです」
「では、どうすれば、いいのですか?」
「反復練習が、すべてです。あきめず、気長に、繰り返していれば、体の方で、自然と、正しい水泳の動作になっていって、くれますよ」
「よく、泳いでいるんですが、なかなか、上手くなれなくて・・・」
「上手くなるコツもありますよ」
「どんなことですか?」
「がむしゃらに、泳いでも、疲れるだけです。かといって、ゆっくり、のんびりと、泳いでいても、上手くなりません。全力を100%、と、すれば、80%くらいの、少し、疲れる程度の力で、一定の速度で、泳ぎつづけることが、大切です。でも、80%の力で、泳いでいると、だんだん、疲れてきます。疲れたまま、泳ぎつづけると、これも、上達を、さまたげます。なので、疲れてきたら、1分でも、2分でも、少し、休みを、入れて、疲れが、とれるのを、待ちます。それで、疲れが、とれたら、また、反復して、泳ぐように、することです」
「そうですか。それで、大体、どのくらいの期間で、上手くなれるんですか?」
「それは、人によって違いますし、わかりません。しかし、1日、一生懸命、練習しても、上手くなれないと、いつまで、たっても、永遠に、上手くなれないような、絶望感が、起こってしまいますが、そこを、ぐっと、我慢して、続けていると、結構、思ったより、短期間で、泳ぎの動作に変化が、起こってきますよ。少なくとも、3ヶ月、反復練習を続けていれば、必ず、少し、今まで以上に、上手く、なれますよ。そしたら、また、反復練習です。少なくとも、1年、練習していれば、かなり、上手くなれますよ」
「そうですか」
「僕だって、初めの頃は、クロールで、50m泳げませんでしたから」
「ええー。そうなんですか。とても、そうは、思えませんが・・・」
その時。
10分の休憩が終わって、ピー、と、遊泳開始の合図が鳴った。
「あ、あの。ちょっと、よろしかったら、水中で、教えてもらえませんか?」
「ええ。いいですよ」
そう言って、彼と彼女は、プールに入った。
「ええと。どうすれば、いいんですか?」
彼女が聞いた。
「では、まずいつものように、一往復、泳いでみて下さい」
彼は、彼女の、技術レベル、が、知りたくて、そう言った。
「はい」
彼女は、全力で、泳ぎ出した。
水のキャッチは、十分、出来ていなかったが、それでも、割と速く泳げた。
彼女は、25mの向こうの、縁につくと、すぐに、ターンして、また、泳いでもどってきた。
ハアハアと、少し荒い呼吸をしている。
「疲れたでしょう」
「ええ」
「今のが、100%、の、力です。今度は、今より少し、力を抜いて、泳いでみて下さい。そうですね。今の、80%くらいの力で。私は、タイマーを見ていますから」
「はい」
彼女は、また一往復、泳いで、もどってきた。
「さっきが、25秒で、今のは、30秒です。疲れましたか?」
「いいえ」
今回は、彼女は、息があがっていなかった。
「では、今度は、今の力で、二往復してみて下さい」
2往復は、25×4=100m、である。
彼女は、一往復、泳いで、もどってくると、すぐに、ターンして、もう一往復、泳いで、もどってきた。
ハアハアと、荒い呼吸をしている。
「疲れているようですね」
「ええ。多少」
「ここで、少し、休んで、疲れが、とれるのを、待って下さい」
「はい」
彼は、彼女の呼吸が、落ち着くのを待った。
だんだん、彼女の呼吸が落ち着いてきた。
「腕は、疲れていますか?」
呼吸が、落ち着いても、腕の疲れは、とれていない、ということもあるからだ。
「少し、疲れています」
「では、腕の疲れが、とれるのを待ちましょう。疲れがとれたら、言って下さい」
「はい」
呼吸の荒れ、が、なくなるのは、見ていて、わかるが、腕の疲れ、が、とれるのは、他人では、わからない。
本人にしか、わからない。
彼は、彼女の、腕の疲れが、とれるのを、待った。
しばしすると、彼女は、
「腕の疲れもとれました」
と、言った。
「今、また、二往復できますか?」
「ええ」
「これで、あなたの、泳力がわかりました。今のように、80%の力で、二往復、つづけて泳いで下さい。そして、腕の疲れが、とれるのを、待って下さい。腕の疲れが、とれたら、また、二往復、80%の力で、泳いで下さい」
「はい」
まだ、遊泳開始から、10分も、経っていなかった。しかし、彼は、
「ちょっと、プールから、あがりましょう」
と、言った。
運動の上達の原理を説明したかったからだ。
また、彼女に、まだ、残っているかもしれない、腕の疲れを、とりたいために。
「はい」
彼女と彼は、プールから、あがって、ベンチに腰かけた。
「今のように、80%の力で、二往復、つづけて泳いで下さい。そして、腕の疲れが、とれるのを、待って下さい。腕の疲れが、とれたら、また、二往復、80%の力で、泳いで下さい」
「はい」
「運動の上達には、二つの基本的な原則があります。一つは、同じ動作の、反復です。これによって、体が、正しい動作を、覚えようと、してくれます。しかし、体か疲れていると、体が、正しい動作を、覚える、さまたげ、に、なります。反復が、大切ですが、反復運動を続けていると、体が、疲れてきます。ですから、体が、疲れないように、気をつけながら、続けて、泳ぐことが、必要です」
そう言っても、彼女は、まだ、理解できていないようだった。
それも、無理はない。
運動を、本格的にやって、運動の上達、というものを、実感した人でないと、運動の原理は、わからない。
「体が、正しい動作を、覚えてくれる、と言いましたが、本当は、体ではなく、脳の運動を、つかさどる神経細胞が、その運動に、かなった、ように、ネットワークが、つながる、ということなんです」
「そうですか」
そう言っても、彼女は、まだ、理解できていないようだった。
「運動をしている人は、ボケない、と言われていますよね」
「ええ」
それは、彼女は、理解したようだった。
「それは、運動は、頭を使っているからですよ。運動でなくても、読書でも、音楽の演奏でも、頭を刺激している、というか、頭を使っている、からですよ」
「なるほど。そうなんですね」
彼女は、少し、理解したような顔つきになった。
「この、方法で、泳いでみて下さい。まだ、わからないと思いますが、試してみて下さい」
「わかりました。その方法で、練習してみます」
どう、言葉巧みに説明しても、運動の上達を経験した人でないと、上達の原理など理解できない。
しかし、彼女は、彼が、水泳にしても、空手にしても、出来るのを、見ているので、理解は出来なくても、彼の言うことを、信じる、ことに、賭けたようだった。
「あの。今度は、いつ、来られますか?」
彼女が聞いた。
「さあ。来る日は、決まっていません。でも、週に、2回は、来ますから」
「また、お会いしたいです。また教えていただけますか?」
「ええ。いいですよ」
「あ、あの。あなたの、お名前は?」
彼女は、少し、恥ずかしそうに聞いた。
「山野哲也と言います。あなたのお名前は?」
「佐藤京子と言います」
遊泳開始から、30分、経っていた。
「でも、私に、教えて、山野さんの、泳ぐ時間を奪ってしまうのは、気が引けます」
彼女が言った。
「いえ。そんなことは、ないですよ」
「本当ですか。私に気を使って下さっているのでは、ないでしょうか?」
「それは、違います。なぜなら、運動で、教えることは、さっき言った、二つの原則だけだからです。つまり、疲れないように、気をつけながら、出来るだけ、長く反復練習する、ということ、だけ、だからです。僕は、世間の、スポーツ指導の在り方に、反発を感じています。世間の指導者や、コーチは、あれを直せ、これを直せ、と、口を出し過ぎていると、思います。細かいことを、教える、というより、注意する、というやつです。そんな、あれも、これも、色々と、注意されたら、生徒の頭は、こんがらがってしまいます。し、毎回、同じことを、注意され続けたら、嫌になってしまいます。それが、嫌になって、やめてしまう人もいるでしょう。しかし根気よく、繰り返していれば、そういう、表面的なことは、自然と、直ってくれます。水泳で言えば、バタ足は、どうだ、とか、息継ぎは、こうだ、とか、リカバリーは、こうだ、とか、肘の回内は、こうだ、とか、そんな、細かい、ことなんか、注意する必要なんかはありません。辛抱強く反復練習していれば、表面的なことは、全部、自然と、直っていきますから。だから、僕は、あなたに、かかりきりになって、教える必要もないわけです」
「なるほど」
遊泳開始から、30分、経っていた。
「では、僕も泳ぎたいので、プールに入ります」
そう言って、彼は、立ち上がった。
「では、私は、山野さんが、言った方法で、泳いでみます」
彼女も立ち上がった。
彼と彼女は、プールに入った。
そして、彼は、いつものように、ゆっくり、続けて、泳いだ。
彼女は、彼が言ったように、二往復しては、休みを入れて、また、二往復する、という、方法で、泳いだ。
ピー、と、笛が鳴った。
時計の長針は、50分、をさしていた。
彼も、彼女も、プールから、上がった。
「山野さん。私、あなたが来られる二時間前に、来ていて、これで、三時間になります。用事がありますから、お先に失礼します」
「そうですか。僕は、あと、二時間、泳ぎます」
「さようなら。また、お会い出来るといいですね」
と言って、彼女は、軽く手を振った。
「さようなら」
彼も、小さく手を振った。
彼女がいなくなると、彼は、いつものように、ストレッチを始めた。
やがて、また、10分、経って、ピー、と、遊泳開始の合図の笛が鳴った。
ので、彼は、プールに入った。
彼は、二時間、泳いだ。
それで、家に帰った。
彼は、彼女に、「また、お会い出来るといいですね」、と言ったが、それは、もちろん、本心であったが、彼は、三ヶ月くらいは、彼女に、会いたくない、そして、三ヶ月くらい、してから、会いたい、と思っていた。
それが、彼の本心であった。
というのは、運動の上達は、基本の原理を、守って、練習しても、何日とか、何週間、で、上達する、という保証は無いからだ。
しかし、原理を守って、練習していれば、三ヶ月も、すれば、必ず、少しは、上達する、からだ。
しかし、一週間、や、二週間、ていど、では、上達する、には、時間が短すぎて足りない。
なので、一週間後、くらい後に、プールに、行っても、まず、彼女は、上達していない。
運動の上達には、何ヶ月、何年、という、ある程度、長い期間を要するのである。
なので、一週間、や、二週間、ていど、で、彼女に会って、彼女に、「なかなか上手くならなくて・・・」、と、失望の言葉を聞きたくなかった、からである。
それでも、彼は、健康のため、週に、2回は、水泳をしなければ、ならなかった。
なので、彼は、それからしばらくは、最寄りの、秋葉台プールではなく、大和方面で、四駅ほど、離れた、引地台温水プールで、泳ぐことにした。
少し離れている、とは、いっても、秋葉台プールが、車で、10分ほどであるのに対し、引地台温水プールは、車で、20分、ほどだったので、さほど不便さは、なかった。
引地台プールは、25mのプールの、周りに、それを、取り囲むように、流れるプールがあり、スライダーまである、レジャープールでもあった。
しかし、25mのプールには、一方通行に区切られた二つの、コースの他に、一つの、連続して遊泳する者のための、コースがあり、彼は、休みなく泳ぐ習慣だったので、そのコースは、彼にとって、好都合だった。それに、そこのプールは、他の市営プールと違って、12時20分から1時までの、昼の休みもなく、また、休憩は、なぜか、2時間に、一回の10分で、それらも、彼にとっては、好都合だった。
なので、彼は、週2回の、水泳は、引地台温水プールで、泳いだ。
2月、3月、4月、と、日が経っていった。
大体、三ヶ月くらい経ったので、彼も、彼女の、上達の度合い、が、気になって、三ヶ月、あの練習法で、泳いでいれば、少しは、上達しているのでないか、と思って、彼は、また、秋葉台プールに、行ってみた。

5月のある日のことである。
彼が、行くと、彼女は来ていた。
彼は、彼女が、来ていた時のために、家を出る時間を、調節して、休憩時間に彼女に会うために、更衣室で、少し待った。
ピー、と、休憩の笛が鳴った。
なので、彼は、プール場に、入った。
彼女は、ちょうど、プールから上がるところだった。
「あっ。山野さん。お久しぶり」
彼女は、彼を、見つけると、声をかけた。
「こんにちは。佐藤さん」
彼の方から、(どうですか。上手くなりましたか)、とは、聞けなかった。
上達していなかったら、こわかった、からだ。
しかし、それは、彼の、とりこし苦労だった。
彼と、彼女は、ベンチに、腰掛けた。
彼女の方から、話し出した。
「山野さん。山野さんの言った、方法で、泳いでいました。はじめは、この方法で、上手くなれるのかな、と疑問を持っていましたが、だんだん、今までと、泳ぎの、感覚が違ってくるように、なりました」
彼女は、嬉しそうな様子だった。
「どんな感じですか?」
「そうですね。山野さんの言っていた、水をつかむ、っていう、感じが、何となく、わかってきました。今までは、手を水に入れたら、水は、後方に搔くもの、と思っていました。そして、水を、勢いよく、搔いていました。しかし、反復練習しているうちに、水に手を入れて、搔きだそうとすると、何か、掌に水の抵抗を、感じるように、なってきたんです。ああ、これが、水をつかむ、っていう、ことなんだなって、思いました」
彼女は、嬉しそうに言った。
「そうです。それが、水をつかむ、ということなんです」
彼は、彼女が、上達してくれた、ことが、嬉しかった。
「上手い人を見ていると、手を水に入れても、すぐには、搔き出しませんよね。手を前に伸ばしたままにしていますよね。そして、搔き出す時には、最初は、ゆっくりですが、どんどん、水を搔く速度が、速くなっていっているように、見えます。あれは、どういうこと、なんですか?」
彼女が聞いた。
「水泳は、水をキャッチする、ことが、全てなんです。クロールでは、手を前方の水の中に入れますよね。そして、水を搔き出す時には、掌に水の抵抗が、ぐっ、とかかっているんです。水を、掌で、押さえている、と言ってもいい、そんな感じです。最初に、掌で、水を、押さえたら、あとは、その、押さえた水を、そのまま、一定の力で、押さえ続けるだけです。最初は、動いてない、水を、動いてない手で、押さえますから、水を、押さえることは、容易です。しかし、そのまま、一定の力で、水を押さえ続けるためには、動いている手で、動いて、掌から、逃げようとする、水を、逃がさないように、押さえなくては、なりませんから、そのために、水を搔き出すと、速くなっていくんです」
彼は、説明した。
「浴槽に、洗面器を、入れて、動かそうとする時のことを、想像して下さい。一番、ぐっ、と水の抵抗を受けるのは、洗面器を、動かし始めた、最初の時です。なぜなら、水も、洗面器も、止まっていますから。しかし、洗面器を、そのまま、引き続けると、水が、後ろに押されますし、また、水も、手の搔きによって、乱れて、逃げようとします。だから、一定の力で、水を押さえるためには、速く搔くことになるんです」
彼は、説明した。
「物理学の慣性の法則って、知っていますか?」
「ええ。そのくらいは知っています」
「では、言って下さい」
「止まっている物体は、いつまでも、そのまま、止まっている。しかし、一定の速度で、動いている物体は、いつまでも、その速度で、動き続ける、ということですよね。そんな簡単なことは、床の上に、ボールを置いて、転がしてみれば、わかることです」
彼女は、言った。
「そうです。それが、水泳でも、言えるのです。手を水に入れて、搔き出す、最初の時は、水は、止まっています。止まっている水を、動かす時には、掌は、強い水の抵抗を受けます。しかし、水を後方に押すと、押された水には、後方への速度が、加わりますから、慣性の法則によって、水は、一定の速度で、後方に、動こうとします。だから、後方に動いている水に、掌に、一定の力が、かかるように、するには、より、速く、水を掻かなくてはなりません。だから、水を搔き出す、最初は、ゆっくりですが、搔き始めると、どんどん、水を搔く速度を、速くしなくてはならないのです」
彼は説明した。
「なるほど」
この説明に、彼女は、納得したようだった。
「本当は、手の搔き、は、一直線に後方に押すのではなく、S状です。手の位置を、横にずらしていくことによって、動いてない水を、求めていくためです」
「なるほど」
この説明にも、彼女は、納得したようだった。
「でも、意識して、手の搔き、を、S状にしようとする、必要はありません。その理由、が、わかりますか?」
「ええ」
「では、言ってみて下さい」
彼は、小学生に、教師が、学科を教える時のように、彼女に答えさせようとした。
「山野さんが、前に、仰ったように、根気よく、反復練習していれば、手の搔き、も、自然に、S状になるんでしょう」
「ええ。そうです」
彼は、彼女は、上達の原則を理解したな、と実感した。
「洗面器、や、慣性の法則、のことは、わかりました。確かに、その通りですね。では、どうして、初心者は、いきなり、そのように、出来ないんでしょうか?」
彼女が聞いた。
「それは、人間の、日常の動作を考えてみて下さい。人間は、生まれてから、育っていく過程で、日常の動作に必要な、体の動かし方が、身につきます。幼児は、箸も使えませんし、鉛筆で、字や絵を、書くことも出来ません。しかし、箸を使うことや、エンピツで、字を書くことは、生きていく上で、絶対、身につけねばならない、必要なことです。世間では、箸を使って食事をすることや、エンピツで、字を書くことは、スポーツなどと、言いませんよね。テニスとか、野球とか、サッカーとか、要するに、世間で、スポーツと言われているもの、が、スポーツであって、箸を使うことや、字を書くことは、スポーツとは、言いませんよね」
「ええ」
「しかし、僕に言わせたら、箸を使うことや、字を書くことも、スポーツなんです。なぜなら、幼児は、箸を使うことも、字を書くことも出来ません。しかし、生きていく上で、それは、絶対、身につけねばならないことですから、幼児は、始めは、箸もエンピツの、使い方も、ぎこちないですけれど、長い期間、訓練をしていくことによって、だんだん、箸もエンピツも、使い方が、スムーズになっていきます。その、運動を、毎日、反復して訓練したからです。それで、小学校に入る前の、幼稚園の段階で、箸もエンピツも、スムースに使えるようになります。だから、箸やエンピツは、使えるのは、誰でも出来ることで、世間の人間は、誰でも出来ることは、スポーツではない、と思ってしまうのです」
「ええ。そうですね」
「しかし、ちょっと、考えてみて下さい。人間は、大人になっても、利き手の、右手では、箸もエンピツも、使えますが、利き手でない、左手、では、箸もエンピツも、使えません。それは、左手では、その訓練をしていないからです。それと、日本人は、箸を自由に使えますが、欧米人は、大人でも、箸を上手く使えません。それは箸を使う訓練をしていないからです。しかし、欧米人も、箸を使う訓練を、していると、使えるように、なります。今は、海外で、日本食の店が当たり前になっていますから、和食の好きな、欧米人は、箸を使えますが、まだまだ、世界には、和食が無い国もありますし、日本食を食べない外国人は、箸を使えません。箸を使えるように、なるには、箸を使う、運動を繰り返して練習しないと、出来るようには、なれません。だから、箸やエンピツを、使うのも、その運動を反復練習した結果、身についたのであって、反復練習しなければ、いつまで経っても、出来るようには、なりません。だから、それは、スポーツと同じ原理です」
「なるほど。確かに、そうですね」
「それと、どうして、人間は、いきなり、泳げないか、という理由を説明しましょう。それは、今、言ったように、人間は、日常の動作に必要な、体の動かし方が、身についています。日常に必要な動作を考えてみて下さい。たとえは。箸を使って、皿から、食べ物をつまんで、口に持っていくこと、戸を開けるために、ドアノブに手を出して、ドアノブをつかむこと、机の上の、右にある物を、とって、左に移すこと、包丁を使うこと、雑巾で物をふくこと、などですよね。それには、手を、目標物に、正確に、持っていく、という動作が日常生活では、必要になります。正確に、手を、目標物に、運ぶ、ためには、腕は、屈筋と伸筋が、同時に働いて、調節して、動くことが、必要になります。つまり、人間は、いつも、屈筋と、伸筋が、同時に動いているんです。それが、日常生活で必要だから、です。僕は、空手が出来ますが、空手を始めた時は、非常に手が疲れました。なぜなら、人間は、屈筋と伸筋を同時に、動かしているからです。手を伸ばす時にも、屈筋と伸筋が、同時に働いています。しかし、空手の突き、では、伸筋だけを動かして、屈筋に力が、入らないように、しなければ、なりません。それには、長い期間の、反復練習が必要です。反復練習によって、屈筋に力が入らないで、伸筋のみで、手を伸ばせるように、しなれば、なりません」
「なるほど。そうなんですか」
とは、言ったものの、彼女は、まだ、理解できて、いないようだった。
それで、彼は、説明を続けた。
「走ることを考えてみて下さい。人間は、誰でも、走れますよね」
「ええ」
「確かに、人間は、全力を出せば、かなり、速く走れます。それは、鬼ごっこで、逃げるため、とか、会社や学校に遅刻しないため、とか、速く走る、必要があるから、速く走る訓練をしてきたからです。しかし、人間は、目的地に、到達するために、走っているのです。長い距離であろうと、ほんの短い距離であろうと。目的地で、ピタッと、止まらなければ、なりません。また、ただ、単に、人間は、直線に走るのではなく、障害物が、前にあったら、それを、避けるように、走らなければなりませんし、ジグザグに走ったり、急に、直角に、走る方向を変えたりしなければ、なりません。つまり、走る、という動作も、やはり、正確に足を、動かせるように、調節された、走り方なのです。そのためには、屈筋と伸筋の両方が、働いていなくてはなりません。しかし、100mの短距離走では、走り方が、普通の人の走り方と違います。100mの短距離走では、目的地は、ないし、目的地で、正確に止まる、ということも、必要ありません。いかに、一直線に、速く走るか、ということだけが、目的です。だから、ただ一直線に、いかに速く走るか、という走り方、だけを、訓練していれば、100mを、9秒台で、走れる、ということも、出来るように、なるのです。僕は、100mの、短距離走のことは、よく知りませんが、やはり、脚の、屈筋と伸筋、の、力の入れ方、抜き方、が、普通の人が、走るのとは、違う、動作になっているはずで、それも、反復練習した、結果です。テニスでは、速く走れる人が、有利です。しかし、テニスでは、たとえば、相手が、ドロップショットを、打ってきたら、急いで、ボールに向かって走りますが、ボールの近くに来たら、すぐに、急いで走った脚を止めなければ、なりません。遠くの所に来たボールには、速く、ボールに向かって、勢いよく、走り出しますが、ボールに近づいても、止めることが、出来ず、ボールを追い越して、しまったのでは、話になりません。なので、テニス選手の、走り方は、普通の人の、屈筋と伸筋が、同時に、働いている、普通の走り方です。go―stopの連続です。テニスの練習では、その普通の走り方で、脚を鍛え、速く、走っているのです」
「なるほど」
今度は、彼女も、少し、納得したようだった。
「つまり、水泳においても、それが、いえます。人間の手足は、屈筋と伸筋が、いつも同時に働いている、調節された、運動が、身についてしまっています。人間は、その動作しか、出来ないのです。なので、初心者が、泳ぐ時も、その動作で、水を搔いているのです。平泳ぎにしても、クロールにしても。そして、泳ぐ、という運動は、小学校、中学校、で、夏に体育の授業でも、やりますから、大抵の人は、平泳ぎは、出来ます。クロールも、クロールの泳ぎ方を見て、知っていますから、それを真似して、形だけは、ある程度、クロールの形で、泳げます。しかし、本当に、水をキャッチした、正しい動作は、出来ません。水をキャッチして、正しいクロールの動作を身につけるには、人間が、身につけてしまっている、屈筋と伸筋が、いつも同時に働いている、調節された、運動から、筋肉の各部位が、水泳、独自の、力の、入れ方、抜き方に、なるよう、変えなくてはなりません。変えるためには、反復練習しかないのです」
「なるほど」
今度は、彼女は、理解したようだった。
「山野さん。山野さん、が、教えてくれたように、二往復して、休む、という、ことが、以前より、やりやすくなってきました。休みの時間も、少し、短く、なりました。今度は、どんなことを、目標にすれば、いいのでしょうか?」
彼女が聞いた。
「それでは、今度は、二往復半、つまり、25mだけ、泳ぎ続ける距離を長くしてみて下さい。あるいは、距離は、二往復のままで、泳ぐ速度を、少し、あげてみて下さい。それは、佐藤さんが、やりやすい方を、選んで下さい。しかし、僕としては、速度を上げるより、距離を伸ばす方がいいと思っています」
「わかりました。では、山野さんを信用して、二往復半、泳ぐように、してみます」
その時、ピー、と、休憩時間終了の笛が鳴った。
「では、僕は、泳ぎます」
「私も泳ぎます」
彼女は、ニコッと、笑った。
二人は、プールに入った。
そして、二人は、泳ぎ始めた。
哲也は、いつものように、ゆっくり目の速度で、休みなく、泳ぎつづけた。
彼女は、彼の隣りで、彼が言ったように、ゆっくり目のスピードで、二往復半しては、ちょっと、休む、という方法で、泳ぎ出した。
水中から見る、彼女の、フォームは、以前より、明らかに、良くなっていた。
遊泳開始から、30分くらい、してから、一度、止まって、彼は、彼女に聞いてみた。
「どうですか?」
彼は、二往復に、プラス25m、加えて、泳ぐ、という、練習法を、勧めた責任から、彼女に聞いてみた。
「そうですね。たった25mなのに、距離が、増えると、最後の25m、が思ったより、ちょっと、疲れますね」
「そうですか。それでは、もう一つの方法を、試してみて下さい。つまり、泳ぐ距離は、今までと、同じ、二往復のままで、泳ぐ速度を、今までより、ほんの少し、速くしてみて下さい」
「はい」
言って、彼は、また、泳ぎ出した。
彼女は、泳ぐ距離は、二往復で、泳ぐ速度を、少し、あげた。
残りの、20分は、彼女は、その、方法で、泳いだ。
ピーと、休憩の、笛が鳴った。
彼は、プールから出た。
彼女も、プールから出た。
二人は、ベンチに腰かけた。
「どうですか。距離は、同じで、速度をあげる、という練習法は?」
「そうですね。この方法も、少し、疲れますね」
「そうですか」
「山野さん。25m距離を延ばすのと、少し速く泳ぐのと、どっちの方法で、練習した方がいいのですか?」
彼女が聞いた。
彼女は、彼を強く信頼していた。
それは、無理のないことで、スポーツを、本格的に、やったことのない人は、今の自分の技術が、練習しても、向上しないのでは、という不安におびえているからである。
これは、本人にとっては、切実な問題である。
英単語を覚えるとか、机上の勉強で、なにか物を覚えるのは、簡単である。
覚えようと、意識すれば、覚えたい時に、即、覚えられる。
しかし、忘れるのも早いが。
しかし、スポーツの技術は、机上の勉強と違って、覚えようと思っても、即、覚えられるものでは、さらさらない。
一カ月、二カ月、と、上達するか、どうか、保証のない不安におびえながら、根気よく、反復練習しなくては、ならない。
そういう点では、スポーツの技術の習得は、机上の勉強より、はるかに、厳しい。
しかし、スポーツの技術は、一度、身についてしまえば、忘れる、ということがない。
その点は、机上の勉強より、はるかに、有利であり、その人の一生の財産となる。
大学受験の勉強は、受験した時には、全部、覚えているが、二年も経てば、ほとんど、忘れてしまう。
受験勉強で覚えたことは、重要なことは、覚えていることも、あるが、多くは、忘れてしまう。
しかし、一度、自転車に乗れるようになったら、その後、10年、乗らなくても、自転車には、乗れるのである。
彼も運動神経は、普通であり、スポーツの上達には、手こずった。
彼が、空手を始めた時、彼は、はたして、自分の運動神経で、空手を身につけられるのか、どうか、非常に不安だった。
熱心に、練習し、そして、スポーツの技術の上達に関する本を書店で探して、買って読んだ。
そして、長い期間、反復練習を根気よく、繰り返すことによって、基本を身につけることが出来た。
しかし、空手が身につくまでには、かなりの期間が、かかった。
しかし、空手の習得によって、彼は、スポーツ全般に共通していえる、運動の上達理論を彼は、理解することが出来た。
なので、彼は、水泳やテニスやスキーなど、新しい別のスポーツを、始める時には、もう不安は、感じなかった。
そして、彼は、水泳やテニスやスキーなども、身につけることが出来た。
そして、それらを他人に教えることも、何度かした。
彼は、運動が、上手くなるか、どうか、悩んでいる人に対しては、こう言っている。
「上手くなれるか、どうか、なんて、不安に思わないで、ともかく、熱心に、三ヵ月、練習してみなさい。三ヵ月で、運動を、完全にマスターすることは、運動神経が普通の人には難しい。しかし、三ヵ月、熱心に練習すれば、必ず、何らかの上達が、起こっているはずだから。完全には、マスター出来なくても、上手くなった瞬間の喜びは、いいようもなく嬉しいものだからです。なので、もっと練習してみよう、上手くなれるかも、しれないから、と、始めた時と、気持ちが変わっていますから」
というのが、彼の自論だった。
それで、彼は、彼女に、
「25m距離を延ばすのと、少し速く泳ぐ、という方法とでは、どちらでもいいです。両方、やってもいいです。佐藤さん、が、やりたい方で、やってみて下さい」
と、アドバイスした。
「わかりました」
と、彼女は、言った。
「ところで、山野さんは、テニスは、やりますか?」
彼女は、話題を変えた。
「ええ。たまに、やりますよ」
「テニススクールに通っているのですか?」
「さあ。通っている、と、言えるか、どうかは、わかりませんが。・・・・でも、どうしてですか?」
「私。テニススクールに通って、テニスも、やっているんですが、なかなか、上手くなれなくて・・・」
「クラスは何クラスですか?」
「初中級クラスです」
「山野さんは、何クラスですか?」
「僕は、中級です」
「山野さんは、テニススクールに所属して、いるのですか?」
「いえ。所属していません」
「では、サークルでやっているのですか?」
「いえ。サークルにも、入っていません」
「では、どのようにして、やっているのですか?」
「小田急テニススクールで、時々、やることがありますよ。あそこは、スポットレッスン、と言って、会員にならなくても、一回、3000円、払えば、他の生徒と一緒に、やらせてくれますから」
「そうなんですか。なんで、山野さんは、スクールに入らないんですか?」
「一度、スクールに入ったことがあります。二年くらい、やりました。しかし、やめてしまいました」
「どうしてですか?」
「僕は、テニススクールのコーチの指導が間違っていると、思うからです。彼らは、コーチでも何でもないと、思っています。彼らは、自分が、テニスを上手く出来るだけで、指導者としての能力、つまり、人を上手くさせる能力は、ないと思うからです。実際、彼らは、指導者としての訓練など、受けても、学んでもいません。自分が上手く出来る能力と、他人を上手くさせる能力は、全く別のものです。テニススクールの、1レッスンを、考えて下さい。まず、ボール出しの球を打たせる、次に、生徒同士での、ラリー、最後に、ダブルスの試合、と、どこのテニススクールでも、決まりきっています。僕は、まず、これが、間違っていると、思います。ボール出し、の球なんて、死んだ球ですから、(テニスを始めたばかりの初心者なら、いいでしょうが)、初心者から、ある程度やって、相手と、打てるようになった初級者クラスでは、全く、無意味な練習だと思っています。それと、初級者クラス、初中級者クラス、では、試合は、害あって益なし、だと思っています」
「どうして、試合は、害あって益なし、なんですか?」
「水泳は、敵と戦うスポーツではありませんよね。しかし、スポーツでは、敵と、戦うスポーツも、数多くあります。テニスは、敵と戦うスポーツです。敵と戦うスポーツであるテニスの場合、まず、打つ基本の技術を身につけることが、絶対に大切です。グラウンドストロークでも、ボレーでも、まず、打つ技術を正確に、しっかり身につけなくてはなりません。打つ技術が、しっかり、身についていないのに、試合をしたら、どうなりますか?ほとんどの人は、試合では、勝とうと思っています。意識が、(勝つ)ことのみに、行ってしまいます。なので、やたら、スピンをかけたり、ドライブ回転をかけたり、する人も出てきます。それで、試合では、勝てる人もいます。しかし、試合では、勝てるが、基本のフォームが出来ていない人、試合では、勝てるが、ラリーがちゃんと続かない人、などが、出てきます」
「なるほど。確かにそうですね。私が通っているテニススクールにも、そういう人は、います。サービスは、やたら速いのに、ダブルフォルトばっかりしている人とか、ショットは速いのに、やたら、ネットやオーバーしてばっかりいる人とか、いますね」
「空手がいい例です。空手の初心者や、初級者に、いきなり、組手をやらせたら、どうなるでしょう。いつまで経っても、空手の基本の突き、や、蹴り、が身につきません」
「そうですね」
「そこで、敵と戦うスポーツでは、訓練は、二段階に、わけて、すべきなんです。始めは、技の基本が出来上がるまでは、ひたすら、地味な反復練習あるのみです。基本が身につくまでには、かなりの期間が必要です。そして、技の基本が、しっかり身についたら、その時から、組手や試合の訓練もすべきなんです。技の基本が身についていないのに、試合をさせると、生徒は、勝つことのみに、意識が行ってしまいますから、技の基本を身につけよう、という意識は起こりません。だから、初心者、初級者では、(試合は、害あって益なし)、なんです」
「なるほど」
「それと、僕は、それ以外の点でも、世の中の、ほとんどのスポーツスクールのコーチの指導が、間違っていると、思っています」
「どんな所が、ですか?」
「それは、水泳のように、一人で完成できる、スポーツと、敵と戦うスポーツに、関係なく、全てのスポーツで、言えると思います。世間の指導者や、コーチは、あれを直せ、これを直せ、と、口を出し過ぎていると、思います。手とり足とり、教える、というやつです。そんな、あれも、これも、色々と、注意されたら、生徒の頭は、こんがらがってしまいます。それに、毎回、同じことを、注意され続けたら、嫌になってしまいます。それが、嫌になって、やめてしまう人もいるでしょう。しかし根気よく、繰り返していれば、そういう、表面的なことは、自然と、直ってくれます。僕は、高校の時、同級生に、運動神経の良い生徒を、何人も見ています。彼らに、何か、今まで、やったことのない、新しい、スポーツを、やらせると、すぐに上達します。コーチだの、指導者だの、の、指導など、全く受けなくても。つまり、スポーツの上達には、コーチだの、指導者だの、極論を言えば、(教える)、という行為など、必要ないんです」
「なるほど」
「しかし、全てのテニススクールの、レッスンでは、まず、ボール出し、の球を打つ、次に、生徒同士での、ラリー、最後に、ダブルスの試合、と、決まりきっています。そして、コーチは、あれを直せ、これを直せ、と、口を出し過ぎていると、思います。そうしないと、コーチがコーチらしく見えない、という理由からです。だから、僕は、テニススクールに、所属したくないんです。実際、僕は、二年間、テニススクールに、所属して、多くのスクール生徒も、見てきましたが、所属していた、二年間の間に、上手くなっている人を僕は一人も見ていません」
「なるほど。では、テニススクールに、所属しながら、テニスが上手くなるには、どうすればいいのですか?」
「それは、コーチの言うことを、真に受けないことだと思います。しかし、うわべでは、コーチの、言うことに、従わなければなりません。コーチが、何か、言ったら、(はい)、と、元気よく、答えなければなりません。しかし、心の中では、コーチのアドバイスを無視することです。つまり、面従腹背です。それしか、スクールに、所属しながら、テニスが上手くなる方法は無い、と思います」
「そうですか。わかりました。これからは、面従腹背で、やります。でも、スクールでレッスンを受ける以上、試合も、やらなくてはなりません。そういう時には、どうすればいいんですか?」
「無理に、勝とうと思わないこと、だと思います。テニスは、リズムのスポーツですから、試合でも、出来るだけ、ラリーを、途切れさせないで、続けようと、することだと思います。試合でも、ラリーが続いていれば、反復練習になっていますから、試合でも、基本の練習は、出来ます。つまり、意識を、(勝つ)、ことでなく、(ラリーを途切れさせないで続ける)、ことに、変えることだと思います。ダブルスの試合の場合は、サーバーとレシーバーの、クロスのストロークが基本です。無理に、ボレーに出て来たり、相手の前衛の頭上を越すロブを上げようとしたり、相手の前衛の横のコーナーを狙おうとしなければ、いいのです」
「わかりました。これからは、試合では、ラリーを途切れさせない、ことを意識して、やろうと思います」
彼は、人に偉そうに、教えるのが、嫌いだったが、これらばかりは、彼の非常に強い信念だったので、謙遜的なことは、言わなかった。
「あ、あの。山野さんの、お仕事は何ですか?」
「えっ。どうして、そんなこと聞くんですか?」
「何だか山野さん、って、運動してても、理論的で、体育会系って、感じがしないですし、一体、どんな仕事をしてるのか、見当がつかないんです」
「そうですね。僕は、運動なんて、本当は、嫌いなんです。でも、僕は、頑固な便秘症で、不眠症で、毎日が、病気との闘いなんです。それで、水泳は健康にいいから、やっているんです。テニスも、足腰が鍛えられるから、そのために、やっているんです。便秘症や不眠症が無かったら、僕は、運動なんか、しませんからね」
「なるほど。そうだったんですか。では、山野さんは、何の、お仕事をしているんですか?」
「ははは。まあ、それは、いいじゃないですか。たいした仕事じゃないですよ」
と言って、彼は、彼女の、質問を、はぐらかした。
彼は、医者をしている、なんて、自慢げに、言うのが、恥知らずで、嫌だったのである。
その時、ピー、と、休憩時間終了の笛が鳴った。
「では、僕は、泳ぎます」
「私も泳ぎます」
彼女は、ニッコリ笑った。
二人は、プールに入った。
そして、二人は、泳ぎ始めた。
哲也は、いつものように、ゆっくり目の速度で、休みなく、泳ぎつづけた。
彼女は、彼の隣りで、彼が言ったように、ゆっくり目のスピードで、二往復半しては、ちょっと、休む、という方法で、泳ぎ出した。
30分、泳いだ時点で、彼は、プールから上がった。
50分、また、泳ぎ続けて、休憩時間になって、プールから、出たら、また、彼女に、色々と、あまり聞かれたくないことを、聞かれそうで、困ってしまうのではないか、と思ったからである。
それで、彼は、プールで、泳いでいる彼女に、
「では。僕は、このあと、ちょっと、用事がありますので、今日は、これで、帰ります」
と言った。
「そうですか。また、お会い出来ると、いいですね」
「ええ。そうですね」
彼は、彼女に、「また、お会い出来るといいですね」、と言ったが、それは、もちろん、本心であったが、彼は、三ヶ月くらいは、彼女に、会いたくない、そして、三ヶ月くらい、してから、会いたい、と思っていた。
それが、彼の本心である。
というのは、運動の上達は、基本の原理を、守って、練習しても、何日、何ヶ月、で、上達する、という保証は無いからだ。
しかし、原理を守って、練習していれば、三ヶ月も、すれば、必ず、少しは、上達する、からだ。
しかし、一週間、や、二週間、ていど、では、上達する、には、時間が短すぎて足りない。
なので、一週間後、くらい後に、プールに、行っても、まず、彼女は、上達していない。
運動の上達には、何ヶ月、何年、という、ある程度、長い期間を要するのである。
なので、一週間、や、二週間、ていど、で、彼女に会って、彼女に、「なかなか上手くならなくて・・・」、と、失望の言葉を聞きたくなかった、からである。
それでも、彼は、健康のため、週に、2回は、水泳をしなければ、ならなかった。
なので、彼は、それからしばらくは、以前と同じように、最寄りの、秋葉台プールではなく、大和方面で、四駅ほど、離れた、引地台温水プールで、泳ぐことにした。

彼は、一応、医者なので、医者の仕事をしている。
彼は、病院勤務もしたが、組織に属すことが、苦手で、嫌いだったので、アルバイトで、生活費を稼いでいた。
医師のアルバイト、と、言えば、コンタクト眼科、や、健康診断、や、病院当直、などだった。
ネットに、医師の仕事の、斡旋をしている会社が、たくさん、あり、彼は、その、いくつかに、登録していた。
そして、病院や、クリニックからの、仕事の募集があると、それに、応募して、それで、働いていた。
ある時、ある小規模会社の健康診断の仕事の募集があったので、彼は、それに応募した。
会社が、家に近かったからである。
そこは、東京ガスの下請け会社だった。
仕事は、事務だった。
一日中、パソコンに向かっている仕事だった。
彼のブースは、カーテンで区切られていた。
結膜で貧血をみて、顎下リンパ節を触れて、甲状腺をふれて、さいごに胸部聴診だった。
男の社員もいたが、女の社員もいて、半々くらいだった。
男子社員の聴診は、上着を脱いでもらっていたが、女社員の聴診は、ブラジャーは、つけたまま、乳房の上の、上肺野を、聴診した。
検診をやって、かなりの人数を、こなした時だった。
(はあ。もうすぐ、終わりだな)
と哲也は、思った。
「はい。次の人」
と、哲也は、呼んだ。
「はい」
と、返事がして、女の社員が、入ってきた。
「あっ」
入ってきた女性は、声を出した。
「あっ」
彼も声を出した。
二人とも、驚いた。
なぜなら、なんと、彼女は、佐藤京子さん、だったからである。
「あっ。山野さん。お久しぶりです。山野さんは、お医者さん、だったんですね」
彼女が言った。
「え、ええ。バレてしまいましたね。本当は、絶対、隠しておきたかったんですけど、もう、こうなった以上、仕方が、ないですね」
哲也が言った。
「やっぱり、山野さんは、知的な仕事だと思っていたんですけど、まさか、お医者さんだとは、思ってもいませんでした」
彼女は、言った。
彼女は、何だか、嬉しそうだった。
「と、ともかく、診察させて下さい」
「はい」
彼女は、嬉しそうに答えた。
哲也は、結膜で貧血をみて、顎下リンパ節を触れて、甲状腺をふれた。
「あ、あの。それでは、すみませんが、ちょっと、ブラウスを脱いで下さい」
「はい」
彼女は、薄いブラウスを脱いだ。
豊満な乳房を覆っている、白いブラジャーがあらわれた。
彼は、赤面しながら、彼女の上肺野を聴診した。
「はい。異常、ありません。上着を着て下さい」
と、彼は言った。
「はい」
と、言って、彼女は、ブラウスを着た。
「何か気になることは、ありませんか?」
彼は質問した。
「水泳とテニスが、なかなか、上達しないので、それが、気になっています」
彼女は、笑顔で言った。
「いや。そういうことじゃなくて、体の調子で、何か、気になることは、ありませんか?」
彼は、聞いた。
「それは、ありません」
彼女は、答えた。
「それでは、診察、終わりです。次の採血に行って下さい」
「はい」
彼女は、嬉しそうに、答えて、ブースを出た。
「はい。では、次の方、どうぞ」
彼は、インターホンを押して、言った。
男子社員が入ってきた。
そうして、会社の社員、全員の健康診断が終わった。
健康診断は、午前中だったので、終わった時は、ちょうど、昼休みの時間だった。
昼食は、タダで、食べられるので、彼は、社員食堂に入った。
今日の日替わりランチは、ハンバーグランチだった。
彼が、ハンバーグランチを乗せたトレイを、持って、席に着くと、彼女も、ハンバーグランチを、持って、彼の隣に座った。
「山野さん。お久しぶりです。山野さんは、お医者さん、だったんですね」
彼女が言った。
「え、ええ。バレてしまいましたね。本当は、絶対、隠しておきたかったんですけど、もう、こうなった以上、仕方が、ないですね」
哲也が言った。
「やっぱり、山野さんは、知的な仕事だと思っていたんですけど、まさか、お医者さんだとは、思ってもいませんでした」
彼女は、言った。
「山野さんは、どこの大学を出られたんですか。やはり東大医学部ですか?」
彼女が聞いた。
「まさか。そんなに、僕は、頭、良くないですよ」
彼は、言った。
「では、どこの医学部を出られたんですか?」
彼女が聞いた。
「まあ、いいじゃないですか。そんなこと」
彼は、答えた。
「山野さんは、お医者さんの家系なんですか?」
彼女が聞いた。
「まあ、いいじゃないですか。そんなこと」
彼は、答えた。
「山野さんは、専門は、なんですか?」
彼女が聞いた。
「まあ、いいじゃないですか。そんなこと」
彼は、答えた。
「どこの病院に勤めておられるんですか?」
彼女が聞いた。
「まあ、いいじゃないですか。そんなこと」
彼は、答えた。
彼女は、彼が、医師であることを、つきとめたので、探偵、というか、刑事のように、根掘り葉掘り、聞いてきた。
しかし、彼にとっては、非常に照れくさく、迷惑な質問だった。
「山野さん」
「はい」
「山野さんに、アドバイスされてから、テニススクールでの試合では、勝つこと、ではなく、ラリーを途切れさせない、ことを意識して、やっています」
「そうですか。それがいいと思いますよ」
「でも、なかなか上達しなくて・・・」
「運動の上達には、かなりの期間の練習が必要です。最低、三ヵ月、は、辛抱強く、反復練習しなくてはならない、と思っています。しかし、三ヵ月、反復練習していれば、必ず、何らかの変化が起こるとも思っています」
彼は、言った。
「山野さん」
「はい」
「あ、あの。もし、よろしかったら、今度の日曜日に、レンタルコートで、テニスを教えて、いただけないでしょうか?コート代は私が払います」
彼女が言った。
「ええ。いいですよ」
彼は、言った。
「場所は、ここです。××テニススクールです。ここから近いです」
と言って、彼女は、スマートフォンの地図アプリを開いた。
彼も、スマートフォンを取り出して、地図アプリを開いて、「××テニススクール」と、入れて、その場所を出した。
「じゃあ、今週の日曜の、正午から、二時間、が、空いていますから、それでいいでしょうか?」
「ええ。それでいいです」
「じゃあ、日曜日に、お待ちしています」
その時、昼休みの終わりの、1時になっていた。
こうして、彼は、その会社を去った。






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