小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

大晦日

2011-12-31 18:33:50 | 大晦日(今年書いた小説)
今年、書いた小説は。

卍(まんじ)・・(3月13日)・・・277枚

三島由紀夫・・(6月17日)・・・82枚

大磯ロングビーチ物語・・(10月11日)・・147枚

王女と道化師・・(10月25日)・・79枚

少年と或る女・・(11月22日)・・234枚

催眠術・・(12月24日)・・129枚

の6作である。

合計277+82+147+79++234+129=948枚。である。

月平均にすると、948/12=79枚である。

といっても、スランプや不眠で、三週間くらい、全く書けない時もあるし、途中まで書いて、その先のストーリーをどうするか考えて、書けない日が一週間つづいたりすることも、しょっちゅう、あるわりには、結構、書いている。と言うべきだろう。
あと、ロクでもない雑文のブログは、枚数は数えてないけど、小説と違ってブログは、肩の力を全く入れずに書いているので、かなりの枚数、書いているだろう。大体、小説より多いだろうから、ブログは、原稿用紙で、1000枚以上から2000枚くらい書いているだろう。ブログには、ふざけているのもあるが、私なりに真面目に考察して書いている考察文も結構、多い。

本は何冊読んだか、数えてないが、100冊以上は読んでいるだろう。
今年は春から夏にかけて体調が悪く、健康に危機感を感じて、ダイエットして運動した。そのおかげで生活習慣が良くなって健康になった。バッティングセンターで、一日、最低一回は打つのが習慣になって、打てるようになった。これも健康のためである。そして、野球に関心を持てるようになった。そのくらいである。来年も、もちろん頑張るつもりである。私は人生を長期的には考えていない。一年、一年が勝負である。小説を書いていれば嬉しいし、小説が書けなくなると、うつ病になってくる。ので小説は死ぬまで書き続けることになるだろう。もはや学生時代に書いていたようなショートショートの掌編は書けなくなってしまった。最低、100枚は書かないと、小説は書けなくなってしまった。

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医療ドラマ

2011-12-31 01:54:39 | 医学・病気
とうとう今年も大晦日になってしまった。

昨日の「頭脳王」のつづき。

さて知識があれば、面白い小説やドラマが書けるか、というとこれは別問題である。むしろ、かえって専門家は自分の専門のお話は作りにくいのである。たとえば面白い推理小説を書ける刑事がいるであろうか。医療ドラマはたくさんあるが、私は医療ドラマをたまに見ると、「現実は、こんなんじゃない。こんなんじゃない」という違和感を感じて仕方がない。それは私が現実の手術や医療を見てきているからである。そもそも、若い人は病気になりにくいから、入院してくるほとんどの患者は、おじいさん、おばあさんである。ドラマのように美人でもハンサムでもない。手術にしたって、ドラマでは、酸素マスクをして手術しているが、大きな手術なら、全身麻酔だから、気管に挿管しての呼吸管理である。尿の管理もしなくてはならないから、カテーテルを尿道に挿入しなければ出来ない。手術なんて決して格好いいものではない。癌とかで放射線治療すると、その副作用で、髪の毛が抜けて丸坊主になってしまう。膠原病ではステロイドを多量に投与するから(しないと腎不全で死んでしまう)美しい顔の女性が、ムーンフェイスというステロイド特有の丸顔になってしまう。決して美しい悲劇のヒロインのドラマチックな美しい悲しい死などない。医者や手術している姿だって、決して格好いいものではない。現実を知るとかえって、書きにくくなってしまうのである。医療ドラマを書いている脚本家は、医療の専門家ではない。専門家だとかえって書きにくくなってしまう。脚本家は、面白いお話を作る才能のある人でなくては書けないのである。現実を知ると、夢がなくなってしまうのである。ただ面白いストーリーを思いつける脚本家は、医療に関しては素人である。だから、心電図とか、病気と、その治療とか、医療の専門的な細かいことは、わからない。だから専門家である医者の役割は、監修者である。
そもそも漫画や小説やドラマというのは、デタラメであるべきなのである。現実家になるほど、面白いお話は作れなくなる。手塚治虫は、医者でありながら、ブラックジャックという面白い医療漫画を描いた。よくもまあ、かりにも医学部を卒業しながら、しかも医学博士でありながら、医学的には、あんなデタラメな作品を堂々と書けたものだと感心する。氏は根っからの漫画家であるから、医学的にデタラメなことを書くのに、ほとんど抵抗を感じないのだろう。私だって、医療小説を書こうと思えば、書く自信はある。いかに現実にとらわれないか、ということは、常に意識していることである。小説やドラマは、読者や視聴者が、見て抵抗がなければ、それでいいのである。読んだり見たりする人は、医療の専門家ではないのだから。ただ専門家に見られると、ケチをつけられそうなのが怖い、というのはある。もっとも私は、手前味噌が嫌なので、医療小説は生理的に書く気がしないのである。

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