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シュガー・レイ・レナード対ロベルト・デュラン(1980/06/20)

1980-06-20 21:08:09 | classic

WBCウェルター級タイトルマッチ

1980年代の中量級黄金時代を築き上げた「Fabulous Four」。4強それぞれが総当りで計9戦戦った彼らのライバル物語の幕開けともなった1980年6月のウェルター級タイトルマッチ、シュガー・レイ・レナード(Ray Leonard)対ロベルト・デュラン(Roberto Duran)戦は、挑戦者のデュラン選手が15回3-0判定で勝利した一戦でした。

1976年モントリーオール五輪金メダルを引っさげて華々しくプロデビューし、名トレーナー、アンジェロ・ダンディ氏の指導の下プロでのキャリアを着実に積み上げ続け79年11月にウィルフレド・ベニテス選手に勝利してプロの世界王座を掴み、この日が2度目の防衛戦の当時24歳のレナード選手(27戦全勝18KO)。
対するパナマの石の拳ロベルト・デュラン選手は、1972年に獲得したライト級王座を5年半の間に12度防衛(世界戦13勝12KO)していたライト級の絶対王者。最後のライト級タイトルマッチではキャリア唯一の敗戦を喫した相手でもあるWBC王者エステバン・デ・ヘスス選手との統一戦に勝利してライト級を完全制覇していた28歳(この試合の直後に29歳)。71勝(56KO)1敗。

ビッグネームが激突した注目の一戦は、万能選手デュラン選手のファイターとしての強さ&巧さが存分に発揮され、野性的なエネルギーで若きスターボクサー・レナード選手を飲み込んでしまった、そんな試合でした。
立ち上がりから飛ばしに飛ばすデュラン選手。2回に右ストレートから返した左フックで、4回には右ストレートでレナード選手をよろめかします。これらのビッグパンチ以外にも終始前に出続けて王者を圧倒する挑戦者。頭を付け合う密着戦での攻防でのハードなボディブローなどのショートパンチの正確性・強さで圧倒するデュラン選手。レナード選手にホールディングされた腕を無理矢理引き抜いてパンチを振るい押しまくるデュラン選手の馬力とパワーは素晴らしいものでした。
さすがに飛ばしすぎたのか中盤以降プレスの威力が落ちたデュラン選手でしたが、中間距離でのパンチの差しあいでも互角以上に渡り合います。レナード選手のスピードを生かした鋭い左フックのリードを何度かクリーンにヒットさせられますが、何度か浴びた後に今度は逆にその左フックに右アッパーをカウンターで合わせて見せるなどのデュラン選手の切れる動きは本当に惚れ惚れさせるものでした。
レナード選手も駒の様に回転する独特の連打、肩の後ろが見えるほどまで小さく打ち抜く力強いショートパンチコンビネーションで応戦し見せ場を作りますが、打ち合いの場面でことごとく打ち勝つのはデュラン選手。
11回の打ち合いの場面ではスタミナが完全に切れてパンチからスピードとパワーが失われたデュラン選手でしたが、完全にスタミナ切れたと思ったところからもう一度加速できるエネルギッシュさも見事でした。

公式の採点結果は145-144,148-147,146-144と際どいものでしたが、デュラン選手の明白な勝利でした。
最終ラウンドのゴングが鳴った直後、両手を挙げて勝利をアピールするレナード選手に対し見せたデュラン選手の反応、その後に相手コーナーに向かって罵倒する姿など、子供のようなデュラン選手の振る舞いもまた彼の大きな魅力の一つでしょう。
この日から9年以上にわたって続いた4強の直接対決による争い。その最後を締めくくったのもレナード対デュラン(第3戦)だった、てのは偶然なんでしょうかねぇ。




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5 コメント

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Unknown (asikawa)
2009-02-19 18:07:58
最終ゴング後、アピールするレナードに
「何のマネだ、勝ったと思ってるのか?俺の勝ちだ!」
と言っている様に見えました。
20代時のデュランは歓喜のパフォーマンスの際、グローブを股間にバンバンと当て、
アピールをしていたのが印象的です。
それにしても2Rの左はフォロースルーが利いて、テンプルを打ち抜いてました。

W級時のレナードはフックを打つ際、体をかなり捻り込んでましたね。
回転も速かったです。
この試合は「お前に打ち負けるか」と強気が裏目に出た感じでした。
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Unknown (管理人)
2009-02-19 21:21:58
>asikawaさん
レナード選手が、デュラン選手が優位であるだろう距離での攻防にあえて付き合っていたのか、あるいは付き合わされてしまったのか、
どちらなのかを見極めようと再度見直してみた試合だったのですが、asikawaさんの見方もレナード選手の強気、自信が裏目に出てしまったものだと見ていましたか。私も同じように感じました。
その強気の姿勢では苦しいと自覚したものの、いざ第2戦で見せたような動きをやろうとしてもできなかった、一度決まってしまったペースを変える事が出来ぬままに最後まで行ってしまった試合だったと見ました。

この日は大きな挫折を味わったレナード選手でしたが、もしこの敗北が無かったならばその後の偉大で輝かしいキャリアはあったのだろうか・・とかにも思いが及んでしまいます。
この時代の4強と呼ばれる選手たちのお互いを高めあいながら鎬を削る関係ってのはボクシング史上における奇跡かもしれませんね。
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Unknown (J)
2009-03-01 15:34:54
70、80年代の試合の画面から漂う雰囲気というか空気感というか...良いですね。
と言ってもリアルタイムで観たわけではないですが...この頃は後楽園ホールに通い詰めるプロレス少年だったのでゴングやプロ&ボクといった雑誌でレナードやデュランなどは知ってはいましたが。
それにしてもレナードは下のクラスから上がってきたデュランのパワーを甘くみていた様に感じましたね。
この結果を踏まえてガラッと戦法を変えて戦った第2戦。
この2試合の経験が後のハーンズ戦で魅せた2枚腰の戦いにつながった様な気がします。
まさしく4強の戦いは管理人さんの言うようにボクシング界の奇跡だったのでしょうね。
メイウェザーやパッキャオ達に是非奇跡の再来を期待したいものです。
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Unknown (Jin)
2009-03-01 15:36:51
名前がJになってました。
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Unknown (管理人)
2009-03-01 17:00:27
>Jinさん
おっしゃるようにデュラン選手のパワーと接近戦での強さを甘く見ていた感じでしたね。あるいはデュラン選手の強さを知った上でそれでも対抗できると自らの力を過信したか・・?
さらに、第1戦ではレナード選手のプランが見えない感じで、接近して戦うのか離れて戦うのか非常に中途半端だったように感じます。
(これは、離れようとしたがデュラン選手のチャージに巻き込まれてしまったから、との見方も出来るので微妙なんですが)

ハーンズとの戦いでは、おっしゃるようにデュラン戦のようなタフな試合を積んでいた経験の差が勝負を分けたように私も感じます。途中は随分苦しかったすよねぇ>レナード

あの試合も久々に見てみようか・・・w
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