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今年もやってるやってる~

この階級、この選手(竹原 慎二:ミドル級①)

2018年10月30日 04時28分35秒 | ボクシングネタ、その他雑談
1990年代初頭からこれまでの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を各階級3人ずつ挙げていっています。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級の実力№1とは限りません。個人的に思い入れのある選手、または印象に残った選手が中心となります。

今回からミドル級になりますが、その第一弾を飾るのが日本ボクシング界で初めて同級の世界戦に出場し、そして世界王座を獲得した竹原 慎二(沖)になります。世界的に見れば竹原の実力は「並」、しかし「印象」からすれば強烈のものがありました。


(今回の主人公、竹原 慎二)

竹原が世界王座を獲得してから20年以上経ちますが、その王座奪取劇は今でも鮮明に覚えています。竹原が世界の檜舞台に立ったのは1995年12月19日。それまで世界ミドル級王座を獲得した日本人選手はゼロ。竹原以前に世界ミドル級戦に出場した日本人選手もゼロ。まさしく竹原は、前人未到の記録に挑戦しました。

竹原が挑戦したWBAミドル級王者は、日本から見て地球の反対側に位置するアルゼンチン出身のホルヘ カストロ。竹原が挑戦した時までの戦績は、98勝4敗2引き分けというお化けみたいなレコードを引っ提げていました。その後2007年まで戦い続けたカストロですが、終身戦績は何と130勝(90KO)11敗2引き分け。その長大なキャリアの後半には、ミドル級の3つ上のクルーザー級王座にまでその触手を伸ばしています。当初ボクシングマガジンでは、世界戦出場する選手の全記録が載せられていました。カストロ挑戦前までの竹原は23戦全勝という素晴らしい記録を持っていましたが、カストロのそれと比べると4分の1。二人のボクサーの記録があれほど小さく掲載されているのを見たのは「カストロ対竹原」戦以外、記憶にありません。

当時の世界ミドル級王者の顔触れはというと、WBAがこのカストロ。WBCはKOマシーン・ジェラルド マクラレン(米)に2度ボコボコにされた前KOマシーンのジュリアン ジャクソン(バージン諸島)が、マクラレンがスーパーミドル級に転向していった後釜争いに勝利し王座返り咲き。IBFにはあのバーナード ホプキンス(米)が王座獲得。WBOはまだまだマイナー団体だったため対象外。再びWBAになりますが、当時は一階級一人の世界王者しか認めない素晴らしい団体でした。

分かりきったことですが、単純計算してみると竹原が世界ミドル級王座に挑戦し、獲得した時のミドル級王者は3人。現在はというとWBA、WBC、IBFの3団体に加えてWBOが主要団体の一つに数えられ、WBAのみならずWBCにも世界王者が2人ずつ君臨しています。最近、ある日本人選手がWBAミドル級の第2の王座から転落しましたが、竹原の時代と比べると、世界ミドル級ベルトの質は断然と落ちるでしょう。

「広島の粗大ゴミ」と言われていた竹原が上京し、プロデビューを果たしたのは1989年5月15日。身長186センチ、リーチは187センチと非常に恵まれた体格を武器に、順当に白星を重ねていきました。

1991年10月、11戦目で日本ミドル級王座に挑戦した竹原は、そのチャンスを見事に生かし王座奪取。以後4度の防衛に成功しました。日本王座の初防衛戦では、後に日本ミドル級、東洋太平洋ライトヘビー級王座を獲得した寺地 永を2回でKO。日本ミドル級の第一人者としての地位を固めていきました。ちなみにこの寺地は現WBCライトフライ級王者拳 四郎(BMB)の実父になります。


(日本王者時代の竹原)

1993年5月には一つステップ・アップして当時空位だったOPBF王座戦に臨んだ竹原。2年半後に再び拳を交えた李 成天(韓国)との激しい打撃戦に打ち勝ち勝利。確実に階段を一段上がることに成功しました。この王座は1995年9月に行われた李との再戦を含め6度の防衛に成功。特に李との再戦では8回にダブルノックダウンするという非常に激しいもの。世界王座挑戦の声が聞かれていた竹原なだけに、「これで大丈夫?」という声も聞かれていたのも事実でした。

竹原が獲得した王座(獲得した順):
日本ミドル級:1991年10月28日獲得(防衛回数4)
OPBF(東洋太平洋)ミドル級:1993年5月24日(6)
WBAミドル級:1995年12月19日(0)

日本ボクシング界に新たな歴史が加わった1995年12月19日。場所は日本ボクシングの聖地・後楽園ホールでした。何か運命的なものを感じがしますね。しかしこの試合、日本人選手が世界ミドル級王座に初めて挑戦したにもかかわらず、何とテレビでの生中継なし。私(Corleone)はその試合、深夜放送を録画し翌日見ました。試合前、不利が予想されていた竹原ですが、世界初挑戦という大舞台での無駄な緊張感はなく、試合開始から百戦錬磨の王者と堂々と打ち合いを演じました。

3回、何と竹原は見事な左ボディーで怪物カストロからダウンを奪ってしまいます!そのダウンはアマチュア・プロ通算200戦以上のカストロが喫した初のもの。竹原がこの試合に勝ったことに驚きましたが、テリー ノリス(米)やロイ ジョーンズ(米)といったボクシング史に残る名選手達ですらダウンを奪えなかったタフガイ・カストロ。竹原がその選手をリングに這わせた事にも驚かされました。


(超タフガイ・カストロからダウンを奪った竹原)

ダウンを奪われながらも、ジワジワと反撃体制に入り、竹原に肉薄していったカストロ。1年前にメキシコのリングで、元王者ジョン デビット ジャクソン(米)を相手に、その試合の興行者だったドン キング氏に、「まるでハリウッドの映画のようだ」と言わしめた大逆転劇を演じていたカストロだけに、見ている側は最後までドキドキ状態でテレビにくぎ付けでした(録画にもかかわらず)。しかしファンの不安をよそに、フル・ラウンドに渡りカストロと打ち合い、そして打ち勝った竹原。文句のない判定勝利を収め、世界ミドル級のベルトを日本のリングにもたらすことに成功。

   
(百戦錬磨のカストロ相手に、最後まで見事な打ち合いを演じた竹原)

カストロ戦から半年後、正式決定まで時間がかかった指名挑戦者ウィリアム ジョッピー(米)との初防衛戦(たしか竹原にWBAからベルトが届くのも時間がかかっていたという記憶があります)。初防衛戦の緊張からか、カストロ戦に比べて動きが固く、加えて初の本場アメリカのミドル級選手との対戦。9回にストップされるまで、自身のボクシングを展開することは出来ませんでした。このジョッピー戦、試合終了時までポイントでも大きくリードされていた竹原ですが、先日この試合を見直してみましたが、そこまで悪い出来ではありませんでした。まあこのジョッピー、竹原戦前までは「地味な世界1位」という選手でした。しかしその後同王座を3度獲得。フェリックス トリニダード(プエルトリコ)やバーナード ホプキンス(米)とも拳を交え(両試合とも完敗)、キャリア後半には、IBFスーパーミドル級(ルシアン ブテ)、WBAライトヘビー級(ベイビュート シュメノフ)に挑戦。世界重量級のトップ戦線で戦い続けた実力者でした。


(初防衛戦、対ジョッピー)

ジョッピー戦後、網膜剥離が判明し、現役からの引退を余儀なくされた竹原。日本人初の世界ミドル級王者という肩書とともに、24勝(18KO)1敗という素晴らしい終身戦績を残しています。

日本ボクシング界の歴史にその名を残した竹原。本来ならもっともっと評価されていい選手ではないでしょうか。そのキャリアを振り返ってみると、「しっかりと育てられた」痕跡が伺えます。11戦目に日本王座を奪取し、その王座を4度防衛。16戦目に獲得したOPBF王座は、東洋太平洋圏の選手と拳を交えながら6度の防衛に成功。その間、日本王者時代には経験できなかった12回戦を経験することも出来ました。そして最後は世界戦出場+王座奪取。まさに理想的なキャリアと言っていいでしょうね。

私は今でも竹原が日本ミドル級史上最強の選手だと思います。なぜならばその実力、そして「日本人初の世界ミドル級王者」という業績はもちろん、世界戦で戦ったカストロ、ジョッピーは、ハッサン ヌジカム(仏)やロブ ブラント(米)ではとても相手にならない実力者だったからです。しかし竹原がカストロ、ジョッピーと拳を交えていた1990年代、一人一人のボクサーが特徴的で、試合自体も面白かったです。
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