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今年もやってるやってる~

この階級、この選手(ワシリー ジロフ:クルーザー級①)

2019年11月14日 06時47分17秒 | ボクシングネタ、その他雑談

1990年代初頭からこれまでの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を各階級3人ずつ挙げていっています。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級の実力№1とは限りません。個人的に思い入れのある選手、または印象に残った選手が中心となります。

今回からは全階級で2番目に重いクルーザー級となります。そのクルーザー級の初陣をきるのが、元オリンピック金メダリストで、プロではIBFクルーザー級王座を獲得した『カザフの虎』ワシリー ジロフ(カザフスタン/Vassiliy Jirov)。

  

(今回の主人公は『カザフの虎』ワシリー ジロフ)

12歳の時からボクシングに親しんでいたジロフ。少年時代からアマチュアの名選手としてその名を世界に知られていました。その集大成となったのが、1996年に行われたアトランタ五輪。ライトヘビー級で出場し、見事に金メダルを獲得。同大会では、後にライトヘビー級王座を23度防衛していたダリウス ミハエルゾウスキー(ポーランド)からWBO王座を奪ったフリオ セサール ゴンザレス(メキシコ)や、ロイ ジョーンズ(米)の天敵となったアントニオ ターバー(米)等、その後のプロでの名選手を連破。同大会での最優秀選手にも選出されています。ちなみにこのオリンピックには、後のヘビー級世界王者ウラジミール クリチコ(ウクライナ/スーパーヘビー級で金)や、5階級を制覇したフロイド メイウェザー(米/フェザー級で銅)も出場。これらの選手を抑えての最優秀賞獲得ですから、ジロフがどれだけ優れていたアマチュア選手だったかは計り知れますね。

ジロフのアマチュアの最終戦績は207勝10敗という大変すばらしいもの。彼は1994年に広島で行われたアジア大会にも出場するために来日しており、その大会では銅メダルを獲得しています。

アマチュアの名選手だったジロフがプロ・デビューを果たしたのは1997年1月18日。本場アメリカのリングを拠点としたジロフは、KOの山を築いていきます。1997年には10度の試合を行い、当然の如く全勝。しかもすべての試合を規定ラウンド内で終わらせています。

その快進撃は翌1998年にも続き、同年5月には、連続KO記録が止まるものの、15戦目にしてWBCインターナショナル・クルーザー級王座を獲得。世界初挑戦に向け着実に前進をしていきます。翌年4月にWBC米大陸王座も獲得したジロフ。いよいよ世界初挑戦のチャンスがやってきました。

ジロフが世界王座に挑んだのは1999年6月5日。米国・南部のミシシッピー州のリングでアーサー ウィリアムス(米)の持つIBFクルーザー級王座に挑戦し、7回TKO勝利。プロのリングでも堂々と世界一の座を手に入れています。

世界王座奪取から3ヶ月後、ジロフは大舞台に登場。20世紀最後のビックマッチと謳われた、『フェリックス トリニダード対オスカー デラホーヤ』戦の前座に出場し、カナダの強豪デール ブラウンに打ち勝ち初防衛に成功。その好戦的なボクシング・スタイルを世界に知らしめる事にも成功しました。


ジロフが獲得した王座(獲得した順):
WBCインターナショナル・クルーザー級:1998年5月5日獲得(防衛回数0)
WBC米大陸クルーザー級:1999年4月22日(0)
IBFクルーザー級:1999年6月5日(6)
NABOクルーザー級:2003年11月6日(0)

ジロフの試合は、彼が世界王者になってから見る機会を得ましたが、正直驚きました。その距離感は流石と思わせるものがありましたが、ボクシング・スタイルは全体を通して相手の真正面に立つ喧嘩そのもの。アマチュアエリートらしい高い技術を見せることはほとんどありませんでした(ただ、そのすり足気味のフットワークは学ぶものが多くあると思います)。見ている側からすれば、「体を即壊しそう」な棒立ちボクシング。そんなファンが喜びそうな打ち合いボクシングを展開したジロフでしたが、不思議なことにアメリカのファンからそれほど支持を受けることはありませんでした。そのためでしょうか、アメリカ国内でもどちらかというと僻地での試合が多く、王座王座統一戦などのビックファイトに恵まれませんでした。

実力は認められながらも、それに相応した評価を得られない世界王者ジロフ。世界王座獲得後も、現在の世界王者としては珍しく、何度も無冠戦のリングに登場。特に2000年には3度のノンタイトル戦を行っています。そんな中翌2001年、念願の母国カザフスタンでの世界戦が実現します。プエルトリコのアレックス ゴンザレスを迎えて行った凱旋試合。得意のボディーへの集中攻撃から、最期は左を顔面に持っていきKO勝利。僅か95秒で故郷に錦を飾ることに成功しています。

柔軟性のなさが最大の欠点だったジロフ。その欠点をついたのが、ジロフとは正反対に柔軟性を駆使したボクシングが身上のジェームス トニー(米)。2003年4月に行われたその一戦。前に出てパンチを放っているのはジロフなのですが、その攻撃はほとんど実を結ぶことなし。逆にトニーのカウンターを貰い続け、最終回にはダウンを喫してしまいました。結局は大差の判定負けを喫したジロフは、世界王座と決別することになってしまいました。

(トニーの技巧の前に苦杯を喫したジロフ)

クルーザー級王座から転落後、主戦場を最重量級に移した『カザフの虎』。世界ヘビー級の1位まで上り詰めたジョー メーシー(米)や、ヘビー級王座を3度獲得したマイケル モーラー(米)と激戦を演じますが、ヘビー級トップ戦線の壁を破ることは出来ず。最終的には2009年まで戦い続けますが、最期は無冠のまま現役から身を引いています。

(ヘビー級で行われた、オーリン ノリスとの元クルーザー級王者同士の対戦は引き分け)

ジロフの終身戦績は38勝(32KO)3敗(1KO負け)1引き分け。大変すばらしい成績ですが、正直、プロではもっと活躍できた選手だったと思います。

(後輩ゲナディー ゴロフキンと)

カザフスタン初の世界王者としてその名を歴史に刻んだジロフ。あのゲナディー ゴロフキンの大先輩王者として、今後もっと評価されるべきでしょう。

(母国カザフスタンでは切手にまでなったジロフ。まさに国民的英雄)


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