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今年もやってるやってる~

この階級、この選手(ヘンリー マスケ:ライトヘビー級③)

2019年09月25日 05時37分07秒 | ボクシングネタ、その他雑談

1990年代初頭からこれまでの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を各階級3人ずつ挙げていっています。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級の実力№1とは限りません。個人的に思い入れのある選手、または印象に残った選手が中心となります。

これまでライトヘビー級で紹介してきた選手は、ロイ ジョーンズ(米)、バーナード ホプキンス(米)と良くも悪くも華のある選手たちでした。ジョーンズはその全盛期、身体能力を十分に生かすボクシングでファンを魅了したスーパーマン。ホプキンスは時には反則間際のボクシングを展開し、それ以外にも色々と話題性のあるいぶし銀ファイターでした。同級最終回となる今回の主人公はヘンリー マスケ(独)。このマスケがどんなボクシングを展開したかというと、189センチの長身サウスポースタイルから安定した右ジャブを放ち判定勝利に持ち込む。一言でいえばつまらない選手でした。しかし不思議なことに、東西統一後のドイツでは大ヒット。マスケが登場する興行では、常に満員御礼という現象が続きました。

(ライトヘビー級最後の主人公はヘンリー マスケ)

不思議と言えば、彼の世界戦でのリングアナウンサーを務めていたのはあのマイケル バッファー。アメリカではメインベントの前、バッファー氏のアナウンスで会場が大いに盛り上がるのですが、何故だかドイツのリングではそれほどファンが騒ぐことはありませんでした。多くのドイツの方は英語を理解できる筈なのですが、これもお国柄、というのでしょうかね?

ジョーンズとホプキンスが初めて対戦したのが1993年5月でしたが、その3ヵ月前にIBFライトヘビー級王座を獲得たのがこのマスケでした。

ジョーンズ同様、アマチュア時代からその名を知られていたマスケ。マスケもジョーンズと同じくオリンピックに出場し、ミドル級の金メダルメダリストとしてそのアマチュアキャリアを有終の美で終えたのは1988年のソウル五輪となります。しかしマスケがプロデビューを果たすのは、1990年5月とジョーンズに遅れる事1年となりました。

オリンピックで金メダルを獲得した時点で国民的英雄となっていた筈ですが意外や意外、そのデビュー戦は英国のリングで行っています。そしてその年の10月に行われたプロ5戦目のリングも英国で行っています。翌年1月に行われたプロ8戦目。マスケは米国でのデビュー戦を行い、その年の11月にはフランスのリングにも登場しています。

マスケのプロでの終身戦績は31勝(11KO)1敗。そして彼がドイツ国外で試合を行ったのは上記の4試合のみ。そう、プロキャリアの前半に集中していました。

世界王座を獲得する前、マスケが対戦した選手の代表格に、2度WBCライトヘビー級王座に挑戦したトム コリンズ(英)や、WBA同級王座を獲得した経験を持つレスリー スチュワート(米)が挙げられます。新鋭マスケはこれらのベテラン選手と1991年末から1992年初頭に対戦。規定ラウンド内に両者を沈めその名を世界に宣伝することに成功。そして1993年3月には世界初挑戦の機会を得ています。

マスケが挑戦したのはそれまでIBFライトヘビー級王座を8度防衛していた安定王者チャールズ ウィリアムズ(米)。しかもウィリアムズは、1度の防衛戦を除きそのほかの試合をすべてKO/TKOで終わらせてきた強打者でした。

そんな強豪を相手にマスケは持ち前の懐の深いアウトボクシングを展開。明白な判定勝利を収め世界王座を奪取すると共に、統一されたばかりの新生ドイツの英雄として崇める事になっていきます。


マスケが獲得した王座(獲得した順):
IBFライトヘビー級:1993年3月20日獲得(防衛回数10)


そのボクシングが右ジャブを突き、安全運転という淡々としたものならば、防衛ロードもしかり。毎年3度のリング登場を確実にこなし防衛回数も10に伸ばすことに成功。防衛戦の相手の中には、あのトーマス ハーンズ(米)に2度の勝利を収めた3階級制覇王アイラン バークレー(米)や、『ロッキー』という異名をとった同国人のライバル、グラシアーノ ロッシジャーニとの2連戦も含まれています。

(ライバル、ロッシジャーニとの2連戦)

ロッシジャーニに2連勝することで、ドイツ国内での地位を不動にしたマスケ。しかしそんな英雄にも落日が訪れることに。

1996年11月23日、地元にWBAタイトル保持者バージル ヒル(米)を迎え2団体ライトヘビー級王座統一戦に臨んだマスケ。当時の勢いからしてマスケ有利の声が多かったのですが、通産19度の防衛記録を誇るベテラン・ヒルが、マスケの持ち味であるジャブを凌ぐリードパンチで僅差の判定勝利。マスケの王座を吸収すると共に、彼を引退に追い込みました。

引退後もテレビ・アナウンサーとして常にボクシング界の中心にいたマスケ。その風貌、態度かジェントルマン(紳士)としてファンから親しまれ続けました。しかしそのマスケが引退から10年後突然、一試合のみの条件でリング復帰を果たします。

 マスケがその復帰戦で対戦したのは宿敵ヒル。ヒルはマスケとの第一戦後、王座から転落。その後連敗を喫するなどすでに峠を越えた選手でした。しかしマスケとは違い10年間定期的に試合を行い、しかも一階級上のクルーザー級で世界王座に返り咲いていました。

2007年3月31日に行われた両者による再戦。「10年間リングを離れていたマスケにとって、危険が多すぎるのではないか?」と試合前、危惧する声も大きかった一戦ですが、驚くなかれマスケが明白な判定勝利。ライバルに借りを返したマスケは、試合前の公言通りに再び引退。現在は55歳という年齢なだけに、もうリング復帰はないでしょう。

(宿敵ヒルに10年ぶりの借りを返すマスケ)

リング上でのパフォーマンスはつまらなかったマスケですが、1990年代中盤から2010年代前半まで栄えたドイツのボクシング熱の火付け役となった点では非常な貢献度をもたらしました。ドイツ出身のボクサーだけでなく、旧東欧諸国出身者の活躍の場となった大ドイツ帝国。マスケの活躍後、ダリウス ミハエルゾウスキー(ポーランド/ライトヘビー級)、スベン オットケ(独/スーパーミドル級)、ビタリ、ウラジミールのクリチコ兄弟(ウクライナ/ヘビー級)等、その時代を代表する名ボクサーを数多く輩出してきました。ヘンリー マスケ、リング内での欠伸の出るようなボクシングと同時に、リング外での影響力もあり、印象に残るボクサーとして選出させていただきました。


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