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阿部正弘の安政の改革

2017-07-08 | 入試問題+ゴロ合わせ

蛮行大半 大正解。

阿部正弘・海軍伝習所)(書調所・武所)(場・射炉・大船(たいせん)建造解禁)


[point]

1.阿部正弘は外圧に備え、長崎海軍伝習所、蕃書調所講武所反射炉台場を設置し、大船建造を解禁した。

[解説]

1.阿部正弘(1819~57)は、福山藩主(現広島県)で、老中首座(1845~55)。水野忠邦失脚後、25歳にして老中に就任、その死までの15年間幕政の中心にあって、日米和親条約など締結し開国に踏み切る。外圧への対抗策を進める一方、革新的な人材登用をおこない幕政を改革(安政の改革)。譜代大名・旗本による老中以下幕閣独裁政治を改め、保守的な譜代大名層を抑え、開明的な有力大名である水戸や薩摩藩などとの協調路線(雄藩連合策)を進める。改革途上の病死が惜しまれる。安政の改革は江戸時代3大改革に次ぐ大改革とされる。なお阿部正弘の引退後の老中首座は堀田正睦(ほったまさよし)。

2.海防参与に前水戸藩主徳川斉昭(なりあき)(1800~1860)を起用。斉昭の主張もあり、従来武家諸法度で禁止されていた500石以上の大船建造を解禁。なお、斉昭の腹心藤田東湖は安政の大地震で圧死した。


3.幕臣から、川路聖謨(かわじとしあきら)(勘定奉行)・岩瀬忠震(ただなり)(外国奉行)・勝海舟(かつかいしゅう)(軍艦奉行)・江川英龍(ひでたつ)(江川太郎左衛門)(伊豆韮山代官)などの優秀な人材を登用した。


4.江川英龍に命じて伊豆韮山反射炉建設(1854~57完成)。鉄製の大砲を製造するための溶鉱炉で、反射により一点に炎が集中し高温が発生する構造を持つ。なお同炉開発の先駆(1852年)は藩主鍋島直正肥前藩


5.異国船から江戸を守るための海上砲台である台場を設置。江川英龍が品川沖に築造したなど6カ所を建設。


6.海軍士官養成機関の海軍伝習所長崎に設置(1955)した。伝習生は勝海舟などの幕臣だけでなく雄藩を初め全国から選抜。五代友厚(薩摩)・佐野常民(肥前)など。


7.講武所(1856)は、旗本・御家人、およびその子弟を対象とする武術の訓練所。洋式の砲術や用兵を教えた。江戸築地(つきじ)に設置。のち神田に移転。


8.蕃書調所(1856)は、江戸に幕府天文方の一部局としてが設置された蛮書和解御用(ばんしょわげごよう)(1811)の後身で、蕃書(外国文書)の翻訳にあたる。勝海舟、長州藩村田蔵六(大村益次郎)などを登用。


2017早大・商:「
問J 下線部ヌ嘉永6年(1853)6月にアメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが浦賀沖に現れ、幕府に開国を求めていくを契機に実施された安政の改革について、誤っているものはどれか。

 1.阿部正弘が中心となって行われた。
 2.徳川斉昭が幕政に参加した。
 3.江戸湾に台場が築かれた。
 4.五品江戸廻送令が発令された。
 5.大船建造の禁が解かれた。

(答:4(1860年発令))〉

2016慶大・商AB方式:「

 洋学の分野では、幕府は西洋暦をとりいれた寛政暦を天文方の[ 28 ]に作らせたり、天文方に[ 29 ]を設けて、洋書の翻訳に当たらせたりした。[ 29 ]は、のちに洋学の教育研究機関である[ 30 ]になり、明治以降における大学の前身となった。またオランダ通詞であった[ 31 ]は『暦象新書』を著し、ニュートンの万有引力説やコペルニクスの地動説なども紹介した。」

(答:28高橋至時、29蛮書和解御用、30蕃書調所、31志筑忠雄 ※原問には65語の選択肢あり)〉


2013同志社大・全学部:「

 西洋の衝撃つまり黒船の脅威とは、直接具体的にはなによりもまず鉄製大砲とb蒸気機関だった。この2品は、18・19世紀西欧産業革命の産物だが、それを手にした西洋諸国はみるみる強大になり、全世界に覇を唱えるにいたった。非欧米地域は次々に植民地化され、資本主義世界市場が形成された。この荒波に見舞われたとき、c日本の先覚者は、民族の生存を賭して、「夷の術を以て夷を制す」、西洋文明に学んで自己強化に努め、外圧に対抗しようと図った。「夷の術」の中身は、理の当然として、なにはともあれ鉄製大砲と蒸気機関、なかんずく前者だった。その営みの延長線上に、士農工商の世から四民平等の世への大転換が起きる。これが明治維新史の本筋だ。

 したがって、鉄製大砲の製造と巡用の技術を本格的かつ組織的に導人し、定着させた人物こそ、明治維新の源流を拓いたキーパースンであり、維新史上に正当に位置づけられて然るべきだろう。それは一体誰か。以下の史実が教えてくれる。ペリー来航時の老中首座( d )は、日本開国を最終的に決断した人物だが、このときにある注目すべき手を打った。

時系列でみると、ペリー艦隊が浦賀沖に現れたのが嘉永6年(1853)6月3日、黒船の威嚇に屈した幕府が国禁を枉(ま)げてアメリカ合衆国大統領国書を受け取ったのが9日、そして3日後の12日に米艦隊は再来を予告して退去した。その興奮が醒めやらぬ22日、( d )は佐賀藩江戸留守居の田中善右衛門を緊急に召し出し、「鉄製石火矢二百挺程の鋳立仰付けらるるに差支は之なきや」、すなわち江戸品川( e )配備用の鉄製大砲200門を佐賀藩で大至急に製造してくれないかと尋ねた。文字通り泥縄そのものだったが、幕府はアメリカの脅威に対抗する軍事的手段を大急ぎで整えようとしたのである。

【設問b】幕府が、オランダから外輪式蒸気船「観光丸(スンビン号)」の寄贈を受け、長崎に設けた海軍教育機関は何か。その機関名を漢字で記せ。」


【設問c】先覚者のうち、吉田松陰の密航事件に連座して蟄居し、赦免後、公武合体・開国進取を力説して「東洋道徳・西洋芸術(技術)」を説いたが、京都で攘夷派に暗殺された人物は誰か。その人物名を漢字で記せ。


【設問d】空欄( d )には、安政の改革と呼ばれる幕政改革を主導した人物が入る。その人物名を漢字で記せ。


【設問e】空欄( e )には、ペリー来航を機に、幕府が江戸湾防備のために品川沖に築造した砲台が入る。その施設名を漢字2字で記せ。

(答:b長崎海軍伝習所、c佐久間象山、d阿部正弘、e台場)〉

2013学習院大・法:「

 1862年、西・津田と同じくオランダに留学した幕臣の一人に、榎本武揚がいる。勝海舟らが集ったことで知られる長崎の[ 3 ]で、彼も学んでいた。」

(答:海軍伝習所)〉


2013関西学院大学・済総合国際:「(関東大震災と政治・社会)

問1.下線部a東京、横浜などの都市に関する記述として、誤っているものを下記より選びなさい。
 ア.明治初期に東京・横浜間で電信線が実用化された。
 イ.明治中期に施行された市制・町村制に基づき、東京府下に束京市が設けられた。
 ウ.横浜には幕末、海軍伝習所が設けられた。
 エ.日本で初めて開通した鉄道は、東京の新橋駅と横浜駅の間を結んだ。」

(答:ウ×長崎海軍伝習所)〉


2013青山学院・経営:「日本の近代的製鉄業は、その初めは国際的に著しい後進国で、ごく小規模の生産でのスタートであった。在来の製鉄法は、砂鉄を原料とする伝統的な[ b ]法であり、中国地方などで盛んであった。近代的な製鉄法としては、幕末の1850年、[ c ]が反射炉を築いたのが最初であり、ついで幕府も[ d ]に命じて韮山に反射炉を建設させた。


問3.空欄[ b ]に入る適切な語句を次の1~4のなかから選び、マークしなさい。


 1南蛮吹き  2灰吹き

 3たたら吹き 4真吹き

問4.空欄[ c ]に入る適切な藩名を次の1~4のなかから選び、マークしなさい。


 1佐賀藩 2薩摩藩

 3南部藩 4肥前藩

問5.空欄[ d ]に入る適切な人物名を次の、1)~4)のなかから選び、マークしなさい。


 1渡辺華山 2佐久間象山

 3高島秋帆 4江川太郎左衛門」

(答:問3b3、問4c1,問5d4)


2010センター試験:「

B 1842年に清国が[ ウ ]で敗れ、その情報が伝わると、幕府は列強諸国との軍事衝突を回避する一方で、海防の強化をはかった。
 ペリーの来航後、幕府は、本格的な軍事力の強化を余儀なくされ、それまで禁止していた大船の建造を許可し、江戸湾に防御施設を築いた。さらに、長崎に海軍伝習所、江戸に[ エ ]を設置し、実技を中心とした軍事教育を進めた。また蕃書調所を設置し、c西洋の情報の収集、洋学の教育、外交文書の翻訳にあたらせた。

問4 空欄[ウ・エ]に入る語句の組合せとして正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。

 1.ウ  アロー戦争  エ  開成所
 2.ウ  アロー戦争  エ  講武所
 3.ウ  アヘン戦争  エ  開成所
 4.ウ  アヘン戦争  エ  講武所

問5 下線部cに関連して、西洋の情報の摂取に関して述べた次の文I~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の1~6のうちから一つ選べ。

 
 I 新井白石が、イタリア人宣教師シドッチを尋問した。

 Ⅱ 幕府の天文方に、翻訳のための蛮書和解御用がおかれた。
 Ⅲ 漢訳洋書のうち、キリスト教にかかわらないものの輸入が認められた。

 1.I→Ⅱ→Ⅲ 2.Ⅰ→Ⅲ→Ⅱ

 3.Ⅱ→Ⅰ→Ⅲ 4.Ⅱ→Ⅲ→I
 5.Ⅲ→Ⅰ→Ⅱ 6.Ⅲ→Ⅱ→Ⅰ」

(答:問4→4、問5→2)〉


2010明大・政経:「

設問2 下線部(ア)蕃書調所はその後、名称を洋書調所、開成所と変えていくが、津山藩士でオランダ留学後、開成所の教授となり、のちに明六社に参加した啓蒙思想家は誰か。A~Dからひとつ選べ。

 A福沢諭吉 B森有礼

 C津田真道 D加藤弘之」

(答:C津田真道)

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