振るベッキーを切り捨てて。
フルベッキオランダキリスト教
[point]
1.明治初期キリスト教布教活動は、英和辞典のヘボンとフルベッキが開始。
[解説]
1.ヘボン(Hepburn)(1815~1911)は、アメリカ人の医師・宣教師。幕末に来日して医療や伝道に従事。ヘボン式ローマ字を考案して日本最初の和英辞典を完成させたことでも知られる。現地発音ではヘプバーンが近い。夫人と始めたヘボン塾がフェリス女学院や明治学院の始まりとなる。
2.フルベッキ(Verbeck)(1830~98)は、オランダ出身のアメリカ移民で法学者・神学者、宣教師。宣教師として1859年来日。英語など数カ国語を教授。そのかたわら禁教がまだ解けない中でひそかに伝道を開始。のち政府顧問として法整備に携わる。その門下から、大隈重信、伊藤博文、横井小楠(しょうなん)などを輩出。現地発音ではフェルベックが近い。
〈2017早大・人間
問4 下線部c明治初期に、外国人教師の多くを占めていたのはcイギリス人であったに関連して、工部省で技師として勤務したイギリス人をl人選べ。もし該当するものがなければ、カをマークせよ。
ア グリフィス イ ケーベル
ウ コンドル エ フルベッキ
オ ラグーザ」
(答:ウ ※「コ」ア.グリフィスはアメリカ人。
ラトガース大学で福井藩からの留学生であった日下部太郎と出会い、親交を結ぶ。その縁により明治4年(1871年)に日本に渡り、福井藩の藩校明新館で同年3月7日から翌年1月20日まで理科(化学と物理)を教えた。天窓のついた理科室と大窓のある化学実験室を設計したが、これは日本最初の米国式理科実験室であったらしい。
明治4年(1871年)7月、廃藩置県により契約者の福井藩が無くなった。明治5年(1872年)、フルベッキや由利公正らの要請により10ヶ月滞在した福井を離れて大学南校(東京大学の前身)に移り、明治7年(1874年)7月まで物理と化学、精神科学など教えた。
イ.ラファエル・フォン・ケーベル(ドイツ語: Raphael von Koeber, 1848年1月15日 - 1923年6月14日)は、ロシア出身(ドイツ系ロシア人)の哲学者、音楽家。明治政府のお雇い外国人として東京帝国大学で哲学、西洋古典学を講じた。
エ×フルベッキはオランダ人
ラグーザ 1876年(明治9年)に明治政府に招かれて来日し、1882年(明治15年)まで工部美術学校で彫刻指導にあたった。教え子に大熊氏廣(1856年-1934年)や藤田文蔵(1861年-1934年)がいる。
〈2017早大・人間
問5 下線部d開国と幕末の動乱に関連して、この時期に起こったできごとに関する記述として、誤っているものはどれか、1つ選べ。
ア アメリカ人宣教師のヘボンが、日本初の和英辞書を出版した。
イ 伊勢神宮への御蔭参りが流行した。
ウ 黒住宗忠が神人合一の境地を悟り、宗教活動を始めた。
エ 「ええじゃないか」とよばれる民衆の集団乱舞が、東海・近畿地方を中心に広まった。
オ 後に教派神道とよばれる民衆宗教が普及した。」
(答:ウ× ※黒住教は、幕末ではなく江戸時代後期の文化11年(1814年)に布教を開始した)
〈2016慶大・文:「
(ハ)近代には、プロテスタントの宣教師たちが来日している。日本で最初の和英辞書を出版した( K )は医師でもあり、横浜で医療と宣教に携わっていた。( L )出身のグイド・フルベッキは長崎で英学を教授し、大学南校でも教授したが、プロテスタントの宣教にも努めた。」
(答:Kヘボン、Lオランダ )〉
〈2010明大・政経
日本には。幕末になると、再び外国人宣教師が渡来して活動を開始した。1859年にはアメリカ人の[ 1 ]が訪れ、1867年に和英辞典『和英語林集成』を刊行した。また、ロシア人のニコライは、1861年に来日している。
設問1 空欄[ 1 ]にあてはまる人物は誰か。A~Eからひとつ選べ。
Aフェノロサ Bヘボン
Cフルベッキ
Dジェーンズ Eケーベル」
(答:B)
〈2004センター試験・日本史B
下線部近代的学校制度の確立をめざしたものであった、に関連して、19世紀後半の教育・思想について述べた文として誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
①中江兆民は、『民約訳解』でヘボンの思想を紹介した。
②福沢諭吉は、慶応義塾を創立した。
③人間の自由・平等を説いた天賦人権思想が導入された。
④新島襄は、同志社同志社英学校を創立した。」
(答:1×、※中江兆民は『民約訳解』でルソーの思想(『社会契約論』)を紹介。)〉