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葉上太郎氏の記事

2012-05-04 | 大川小学校
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 5月 4日(金)09時56分26秒

『文藝春秋』2012年5月号、p334以下より引用。

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(前略)辺りは一面、土の原になっていて、民家があった痕跡すらない。
 そこは「釜谷(かまや)」という地区で、百十三世帯が住んでいた。郵便局や駐在所、診療所もあった。かつて大川村だった頃の中心地で、役場や登記所も設けられていた。昭和大合併で河北町になり、さらに平成大合併で石巻市になったが、津波で根こそぎさらわれてしまうまでは、家々が軒を連ねるまちだった。今は二階建ての校舎跡が無残な姿をさらすだけだ。
 市役所の河北総合支所の調べでは、釜谷に住んでいた三百九十三人のうち、百七十二人が津波で亡くなり、十五人が行方不明になった(三月十五日時点)。ほぼ半数が犠牲になったことになる。
(中略)
 これほど生存率の低かった地区は、今回の津波被災地でもそれほどない。なのに釜谷の惨状は、大川小学校の悲劇の陰に隠れてほとんど伝えられてこなかった。
 災害は「点」では起きない。大川小学校の悲劇も、釜谷の惨事という「面」での出来事だ。なのに小学校だけが切り取られて語られるのは適切なのか。面の中の点としてとらえ直すことで、小学校は新たな教訓を示してくれるのではなかろうか。私にはそうした問題意識があった。
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>筆綾丸さん
葉上太郎氏の記事、読んでみました。
著者の問題意識は適切であり、住民への取材の丁寧さを見てもジャーナリストとして信頼できる人だと思います。
ただ、残念なのは、地形の把握が正確ではないことですね。
例えば「釜谷から釜谷峠に向かうには、三角地帯を山側に折れた後、富士川という北上川の支流沿いに走った後で、山肌を駆け上がる」(p336)とありますが、富士川は富士沼という有名な白鳥飛来地から流れているから富士川なのであって、釜谷峠沿いにあるのは富士川ではなく、富士川の支流ですね。
他にも不正確な記述がいくつかある上、「五人の家族は車二台で神社をめざした」という具合に、どの神社なのかを特定していないため、証言自体は明確な内容のはずなのに記述が曖昧になってしまっている例も多いですね。
「裏山」の分析が弱い点も、以前に述べたとおりです。
更に「大川小の事例を対照化して見るため」(p342)、岩手県山田町の船越小を選択したセンスも、率直に言って、あまり良くないように思います。
そんな遠くまで行かなくても、比較の対象として適切な場所はいくらでもありますね。
私だったら、直線距離で大川小学校とわずか8キロメートルほどしか離れていない南三陸町の戸倉小学校を選びますね。

http://chingokokka.sblo.jp/article/54486582.html
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