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「慶応大学の速水融教授は日本での私の最初の助言者」(by スーザン・B・ハンレー)

2017-07-17 | 渡辺浩『東アジアの王権と思想』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 7月17日(月)11時19分5秒

『江戸時代の遺産─庶民の生活文化』(中公叢書、1990)は、ウィキペディアには対応する英文著書がないので、あれれ、と思ったのですが、指昭博氏の「訳者あとがき」によれば「本書は著者が日本の読者を対象として新たにまとめられたもの」(p233)だそうですね。
同書「あとがき」には、日米の歴史研究者間の交流が具体的にどのように展開されたのかを知る上で、なかなか興味深い記述が続きます。(p230以下)

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 著者というものは、だれしも自分自身の作品は独力で作り上げたものだと考えたいものです。しかし、実際にはだれであれ他の多くの人々に負うところがかなりあります。本書もその性格上、日本の多くの方々の助力がなければ完成することはできなかったでしょう。一〇年以上親しくしていただいている京都の歴史学者のご夫妻にいちばん初めにお礼を述べたいと思いますが、どちらの御一方に先に感謝すべきか決めかねますので、西洋流に「レディ・ファースト」で、まず鳴門教育大学の脇田晴子教授に謝意を表したいと思います。そして、大阪大学の脇田修教授にお礼申し上げます。ご夫妻には生活史研究の最初から助けていただきました。さまざまな史料をお示しいただき、その解読を助けていただいたばかりか、西日本各地の案内もしていただきました。それに、お宅に泊めていただいた回数も数えきれません。ご夫妻は私にとって「良き助言者」以上の存在です。
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ということで、脇田晴子・修氏への謝辞が最初に挙がっています。
脇田晴子氏は去年亡くなられましたね。

「女性史研究の歴史学者、脇田晴子さん死去 文化勲章受章」(朝日新聞、2016.9.28)
http://www.asahi.com/articles/ASJ9X3FT0J9XPTFC006.html

ついで、翻訳者と編集者への謝辞の後、速水融氏の名前が出てきます。

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 慶応大学の速水融教授は日本での私の最初の助言者で、先生のもとで歴史人口学と宗門改帳を読むことを学びました。生活史を研究するうえで、慶応大学の速水教授を中心とするグループから受けた影響の大きさをいまさらながらに認識しています。というのも、当時は、生活史の研究は自分自身の考えで決めたことだと思っていたのです。大阪大学の安場保吉教授には前近代の生活水準について、公での、しかし温かい学問的議論を通じて、私が自分の立場を形成し、練り上げるのを助けていただきました。金沢大学の中野節子さんは江戸時代の原史料、とくに他人に読ませようとして書かれたのではない─ましてや二〇世紀のアメリカ人が読むようには書かれていない─日記類を通じて、私の研究の進展を助けて下さいました。
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「エール大学のいくぶん生意気な大学院生であった一九六〇年代」の若手アメリカ人研究者にとって、「マルクス主義の枠組みを用いている日本の歴史家たち」が作り上げた「封建的な江戸時代の後進性や停滞、さらにこの封建制度のもとでの農民の苦労や搾取を強調する」歴史像は本当に息苦しいものに感じられたでしょうが、その息苦しさを突破する上で先ず参考になったのは、やはり速水融氏の歴史人口学なんですね。
速水氏は1929年生まれでスーザン・ハンレー氏より10歳上ですが、速水氏自身も若い頃は自らが進むべき学問的方向がなかなか見つからず、三十代半ばでの留学を契機に歴史人口学に目覚めるまではけっこう苦労されたようなので、時期的にはそれほど先行していた訳でもなさそうですね。

【復活!慶應義塾の名講義】
「苦しかった講義、楽しかった講義~歴史人口学・勤勉革命・経済社会~」
http://keio-ocw.sfc.keio.ac.jp/j/meikougi_5.html
http://keio-ocw.sfc.keio.ac.jp/j/meikougi/Prof_Hayami_lec.pdf

さて、著者は「特に次の方々にはお礼申し上げたいと思います」として、生活史研究に助力してくれた石毛直道・平井聖・大河直躬・鬼頭宏・桑原稔・白木小三郎・小泉和子・田中綾子氏の名前を挙げた後、アメリカの研究者へも謝辞を述べます。

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 また、アメリカ合衆国の何人かの人々にも感謝しなくてはなりません。エール大学名誉教授ジョン・W・ホール先生には、最初に人口研究を勧めていただき、物質文化についての論文を書くように求めていただいたのも最初でした。『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・スタディーズ』編集部のマーサ・レインからいろいろ有意義な論争をふっかけられてきたことにも謝意を表したいと思います。最後に、夫のコーゾー・ヤマムラについて一言。彼はもっとも厳しい批判者で、おかげで私の仕事の進展は何度もスピード・ダウンすることになりました。しかし、結局は、その批判によってさらに良い作品を生み出すことができました。
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ということで、日本の研究者夫妻への謝辞に始まった「あとがき」は「夫のコーゾー・ヤマムラ」への謝辞で大団円を迎えており、なかなか均整美がとれていますね。
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