第287回配信です。
一、前回配信の補足
0286 桃崎説を超えて。(その47)─坂口太郎氏の書評に即して源義朝の立場を再考する。(その1)〔2025-04-16〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/467b7a9d558cc7b9c5a2ca06e7a49882
0286 桃崎説を超えて。(その47)─坂口太郎氏の書評に即して源義朝の立場を再考する。(その1)〔2025-04-16〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/467b7a9d558cc7b9c5a2ca06e7a49882
坂口太郎氏の「源義朝の「逆罪」と「王命」─ 平治の乱、二条天皇黒幕説の誤謬─」の第三章から始めてしまったが、前提として第一章・第二章をきちんと押さえておくべきだった。
二、『玉葉』建久元年十一月九日条の「逆罪」の意味
坂口氏は「逆罪」を仏教用語と解し、桃崎説を全面的に批判。
しかし、『玉葉』の同日条は、源頼朝と九条兼実という俗人の政治家同士の会話の記録。
二人は書状や使者を介しての交流はあったが、直接に会うのは初めて。
その会話は高度に政治的な配慮に満ちている。
この文脈で、坂口氏が言われるように、頼朝が仏教用語としての「逆罪」を用いて、父・祖父に対する複雑な感情を初対面の兼実に吐露するようなことがあり得るのか。
このような疑問を念頭に置きつつ、まずは坂口氏の見解を正確に読み取って行きたい。
資料:坂口太郎氏「源義朝の「逆罪」と「王命」─ 平治の乱、二条天皇黒幕説の誤謬─」〔2024-12-21〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9a7890c2d03f55dfdf51c8641d3fd1fc
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はじめに
Ⅰ 頼朝と兼実の対面
Ⅱ 桃崎氏による二条天皇黒幕説の提起
Ⅲ 源義朝の「逆罪」は平治の乱の挙兵を指すか?
Ⅳ 義朝の「逆罪」と頼朝
おわりに
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資料:坂口太郎氏「Ⅰ 頼朝と兼実の対面」〔2025-04-17〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/4cafc01ccf84793e5fcf6e2c0ab72ccf
資料:坂口太郎氏「Ⅱ 桃崎氏による二条天皇黒幕説の提起」〔2025-04-17〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/89e699ab3d5bc3216d04769e2bbcdad9
資料:坂口太郎氏「Ⅲ 源義朝の「逆罪」は平治の乱の挙兵を指すか?」〔2025-04-16〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/7441a29dafede740bcd85cf203e42465
資料:坂口太郎氏「Ⅳ 義朝の「逆罪」と頼朝」〔2025-04-16〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/23749dbf601187c3fb80c0b057f7ea10







坂口氏は、義朝は後白河天皇の命により父為義を斬った、として逆罪の仏教的解釈に入れ揚げて、いや、蘊蓄を傾けている。しかし、泣いて馬謖を斬る、ではないが、好き好んで patricide をする者などいるわけがなく、王命を畏んで父を斬らざるをえなかった義朝の胸底には、後白河および信西への深いルサンチマンがあったはずで、かかる義朝の内面への言及が全くないのはどうしたことか。人間理解として半端であろう。
頼朝と兼実が対談したのは「鬼間」(閑院内裏清涼殿)だけど、鬼の首を獲ったように浮かれて書評をする前に、もっと考えるべきことがあるんじゃないかしら。
坂口氏は、義朝の逆罪を論ずるに、浄蓮房御書(13世紀後半)だの、神皇正統記(14世紀前半)だの、日葡辞書(17世紀初頭)だの、あれこれ、後世の史料を以てするが、感想としては面白いものの、学問とも思われぬ。
保元物語や愚管抄ですら半世紀後の書にすぎず、まして況んやあれこれに於いてをや。
特定個人の内面を後世に作られた歴史物語で知ろうとするのは無理ですが、歴史物語に使い道がないかというとそんなことはなくて、特定の出来事(例えば義朝の父親殺し)が社会にどう受け取られたを判断する材料としては十分使えますね。
もちろん当該資料の成立時期、作者等は慎重に考慮する必要がありますが、義朝の父親殺しについては、やはり発生時から多くの人の感情を逆なでするものであったと想定できそうで、となると、『玉葉』の解釈ではなく、むしろ平治の乱の説明に使えそうです。
私は、轟轟たる非難を浴びた義朝が、自分の行為を反省するのではなく、それを命じた信西を逆恨みするようになったのではないか、と思っています。
「二条天皇黒幕説」は、大事件の首謀者としては二条があまりに若年に過ぎないか、という疑問が最後まで残りますが、未熟な二条の思い付きは、本来ならば周囲の大人に制止されるべきものであったのにも拘らず、二条の一時的感情を利用して信西への恨みを晴らそうとした人が二人(信頼・義朝)いたために実行に移されてしまった、しかし、現実に三条殿襲撃が引き起こした反響に驚いた二条は、周囲の大人の忠告に耳を傾けるようになり、全てを信頼・義朝に責任を押しつける形で収束させる妙案に飛びついた、ということで、二条の未熟さをそのまま認めた形で事件の全体の流れを説明できそうな感じがします。