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尊氏周辺の「新しい女」たち(その1)

2021-03-19 | 尊氏周辺の「新しい女」たち

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 3月19日(金)12時56分9秒

2月5日の投稿で、私は、

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例えば、『臨永集』という鎮西探題を中心とした「北九州歌壇」の歌集があるのですが、これに入集している尊氏を含む武家歌人を分析すると、佐藤和彦氏やその周辺の人々には見えなかった「足利氏がもつ情報ネットワーク」の一端が見えてくるのではないか、などと思っています。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/33840f0de304fea204b7155b8464491e

と書きましたが、ずいぶん時間はかかったものの、一応、この課題はクリアーできたのではないかと思います。
ただ、「足利氏がもつ情報ネットワーク」というよりは、むしろ足利尊氏周辺の女性たちを手掛かりに、尊氏が歴史に登場した知的背景を探るとの方向に進みました。
現段階での一応の成果を整理しておくと、まず、尊氏の異母兄・高義を産んだ釈迦堂殿の周辺では、釈迦堂殿の母で無学祖元の弟子でもあった無着は極めて興味深い存在ですね。
安達泰盛の娘で夫も北条一門の金沢顕時という恵まれた環境が霜月騒動で一変し、恐らく夫とともに逼塞の日々を送った後、京都に移って資寿院を創建した無着は、単なる個人的な信仰を超えた目的を持ち、それを実現する強い意志を持った知的な女性と考えてよいと思います。
三十代頃に苦難の時期があったけれども、それを乗り越えて五十歳を超えて新天地である京都に向かい、無学祖元の弟子という誇りを胸に理想の禅院を作ろうとした極めて知的な女性、というのが私の想定する無着像です。
無着と比較すると釈迦堂殿の思想を探る材料は乏しいものの、安達泰盛に関する知識や安達泰盛の理念が、娘の無着と孫の釈迦堂娘によって、多少理想化されていたかもしれない形で尊氏や直義に伝わった可能性もあるのでは、と考えることも、一応の合理的な推論の範囲ではないかと思います。

高義母・釈迦堂殿の立場(その1)~(その5)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/527766e220012abaa4256eeda165cde2
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/2fb8e6cb191446e60c5d99d36ef82f44
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ecabae37040d6be7bb9b3abb3fce8908
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/353124b361d535704d03c1411784328b
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/52f9da2097054b4ec4fd6deb482074c9

ついで尊氏の正室・赤橋登子について検討してみましたが、先行研究が極めて乏しいことにまず驚きました。
清水克行氏の場合、「上杉氏を中心として、家中で北条氏に特別な恩義を感じることなく、北条氏の風下に立つことを潔しとしないグループに背中を押されるかたちで、尊氏は叛逆に踏み切った」とされ、登子の存在は「叛逆を躊躇させる要因」に過ぎません。
そして「たしかに中世社会において正妻のもつ権限(主婦権)は、私たちが思っている以上に強かったが、それ以上に強かったのが、母のもつ権限(母権)であった。二つの利害が相反したとき、当時の社会では当主の母方の利害(母権)が優先されるのが最も一般的であった。妻と母との板ばさみのなかで、尊氏は最終的に母方の血筋を優先させてしまったわけだが、中世社会においては、それは何ら不思議なところのない、必然的な選択だったといえる」などと言われるのですが、「主婦権」と「母権」に関する一般論はともかくとして、それの尊氏への当て嵌めは登子の立場を緻密に分析した結果とも思えません。
また、清水氏は、妻子を人質に取られた以上「幕府に叛逆するということは、彼女らを見殺しにするということを意味していた」と言われますが、人質といっても別に拘禁されている訳ではなく、足利邸に普通に住んでいただけですから、適当な時期に鎌倉を脱出すればよいだけの話で、実際に登子と義詮はそうしています。
そうである以上、尊氏は別に「母の実家をとるか、妻の実家をとるか。現代人の感覚からすれば尊氏は身を切られるような重大な決断を迫られていた」などということは全くありません。
そして妻を保護することと「妻の実家をとる」ことは全く別の話で、実際に尊氏は登子は保護したものの、「妻の実家」の人々は皆殺しにしていますね。
別に清水氏だけではありませんが、多くの研究者は尊氏と登子の関係を根本的に誤解していて、それが登子の存在を矮小化させ、研究の対象とする価値が乏しい女性のように思わせる原因になっているように思われます。

謎の女・赤橋登子(その1)~(その4)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8b901592028106caf3b245b1f2373781
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c4a66157b85d1860818a48f1708b0fd3
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/371e3fdbeeefccc7a8ad219311d75f7f
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/2b878e24056e3a1c120263f82ca51606

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