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「『増鏡』を読む会」、今月は4(金)・11(金)・18日(金)・25日(金)に行います。

資料:坂口太郎氏「Ⅱ 桃崎氏による二条天皇黒幕説の提起」

2025-04-17 | 鈴木小太郎 channel 2025
※傍点部を太字としました。

p85以下
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   Ⅱ 桃崎氏による二条天皇黒幕説の提起 

 さて、この著名な史料で、桃崎氏が注目したのは、やはり④であった。これについて桃崎氏は、著作で再三にわたって言及している。次に、桃崎氏による訓読・直訳と合わせて、その主張が端的に示されたプロローグの一節を引こう。

【以下二字下げ】
義朝の逆罪〔ぎゃくざい〕、是〔こ〕れ王命を恐〔かしこま〕るに依〔より〕てなり。逆に依て其〔そ〕の身は亡ぶと雖〔いえど〕も、彼〔か〕の忠 又〔ま〕た空〔むな〕しからず。仍〔よつ〕て頼朝已〔すで〕に「朝〔ちょう〕の大将軍」為〔た〕るなり。
【以下三字下げ】
父義朝が反逆罪を犯したのは、「王命」を恐った結果です。反逆行為によって父義朝の生命は滅ぼされましたが、その振る舞いには忠誠心が満ちていました。だからこそ、私頼朝は父の跡を継いで「朝の大将軍」になれて、今もその地位にあるのです。
(331頁。訓読のみ、ルビをとどめた)

【以下二字下げ】
 源頼朝は、こう語った。「父の義朝は忠義の心で、天皇の命令通り挙兵したが、天皇の裏切りで反逆扱いされ、殺された」と。二人きりの密室で、摂政の九条兼実は確かにそう聞いた。
 建久元年(一一九〇)冬、京都で一つの完全犯罪が暴かれようとしていた。その犯罪は、日本の歴史上でそれなりに有名な、しかし小さな一つの戦争の中でなされた。平安時代の末、平治元年(一一五九)に勃発した"平治の乱"である。その真相はこれまで、誰にも気づかれなかった。今日まで犯罪の隠蔽は成功したのであり、"完全犯罪"と呼んでいい。(6頁)

【以下二字下げ】
 朝廷は義朝の冤罪に連座させて、二〇年も頼朝の自由を奪った。頼朝は完全犯罪の被害者であり、冤罪の被害者だ。恨んでいて当然だった。朝廷は、その頼朝を京都に招き寄せてしまった。冤罪で父の命と名誉を奪った、という朝廷の負い目は、頼朝にとって最高の切り札となるはずだ。しかも、天皇の犯罪という大スキャンダルであり、それを暴けば朝廷の現体制を崩壊させることも可能だ。逆にいえば、暴かない代わりに朝廷にどんな要求でもできる。その切り札を頼朝はいつ切り、どう使うのか。
 頼朝は頼朝で、朝廷の外に独立した武家政権、すなわち"幕府"を史上初めて樹立する大仕事の総仕上げに入っていた。このカードをどう切るかで、幕府の朝廷に対する立ち位置が変わる。つまり、〈幕府とは何か〉の定義が変わる。政治家頼朝にとっても正念場だった。
 どのような形にせよ、このカードを切った時、平治の乱は最終決着する。頼朝はそのカードをどう使い、何を勝ち取ったのか。それを語って初めて、平治の乱の結末を語ったことになる。(10~11頁)

 すなわち、桃崎氏によれば、平治の乱の黒幕が天皇であったという衝撃の事実を、建久元年の頼朝が政治的な「カード」として利用できたという。その天皇が、乱の当時に在位していた二条天皇であることは、該書の第8章・第9章で詳論されるが、証拠とする直接史料は、後年における頼朝の発言ただ一つである。桃崎氏は、これを以て「平治の乱の真相究明を可能にする決定的な史料」(166頁)と見込み、立論の根底に据えたのである。
 また、桃崎氏は、頼朝が〈「朝の大将軍」たる今の私は、平治の乱の「王命」の結末だ〉という自覚を、兼実に(そして恐らく後白河院にも)語り、何ら反論を受けなかった時、"鎌倉幕府の社会的定位"が達成されたと述べる。そして、「それは、平治の乱で「王命」に使い捨てられた義朝の無念の清算であり、源氏の朝廷に対する"貸し"の清算だった」(333頁)と論じるのである。
 仮にこれが正しければ、院政期から鎌倉初期にいたる政治史の理解は抜本的な修正を余儀なくされるし、頼朝の人物像にも大きな刷新が迫られることになる。まさに先人未発の見解といえよう。また、頼朝の発言のうち、「義朝の逆罪、是れ王命を恐るに依てなり」の「恐」は、従来「おそる」と訓まれてきたが、「王命を恐れる」では意味が判然としなかった。これに対して、桃崎氏が「恐」を「かしこまる」と訓み、

【以下二字下げ】
この「王命を恐る」は〈帝王の命令に逆らった場合に蒙る罰を恐れて、命令に従う〉という意味に解釈する以外にない。(167頁)

と述べたのは、『類聚名義抄』や『字鏡集』(およびその祖本『字鏡鈔(抄)』といった、古辞書の古訓にも適う的確な指摘である。これは、文意の正確な把握を一歩前進させたものとして評価できよう。
 とはいえ、「恐」の訓読は、所詮枝葉の問題である。肝心の「頼朝が暴いた「完全犯罪」」という斬新な解釈は、筆者の見るところ、実は史料の誤読に起因した他愛のない空想に過ぎない。『玉葉』の一文、決して桃崎氏のようには読解できないのである。次に、筆者の疑問を示し、桃崎説が砂の上の楼閣であることを簡潔に考証しよう。
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