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0284 桃崎説を超えて。(その45)─樋口健太郎氏『藤原頼長・師長』に描かれた藤原多子(その2)

2025-04-11 | 鈴木小太郎 channel 2025
第284回配信です。


一、前回配信の補足

0283 桃崎説を超えて。(その44)─樋口健太郎氏『藤原頼長・師長』に描かれた藤原多子(その1)〔2025-04-10〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/db98bb3cb444ea979a8142510287ad82

角田文衛氏が「麗子」を「よしこ」と読むことについて、きちんとした根拠があるとのコメントを頂いた。
私見は以下の通り。

-------
私も訓読みを意識して女性名を付けることはあるのだろうなとは考えています。
例えば、親の名前に「義」があるとき、「義子」ではなく「能子」にするようなケースです。

四条家歴代、そして隆親室「能子」と隆親女「近子」について
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/b00ceaddfb29cda1d297e2865a68055a

ただ、角田氏は何が何でも訓読みにしようと拘っている感じがして、それは行き過ぎなのでは、とも思っています。
-------


二、樋口健太郎氏『藤原頼長・師長』に描かれた藤原多子(続き)

資料:樋口健太郎氏「叡子と師子の死」〔2025-04-10〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d6749e609891d67175a792f94bc61498

久安四年(1148)、翌年の近衛天皇元服と多子入内の準備が始まったが、十二月に叡子内親王と源師子が相次いで亡くなったので、いずれも延期となった。

叡子内親王(1135‐48)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A1%E5%AD%90%E5%86%85%E8%A6%AA%E7%8E%8B

源師子(1070‐1148)は白河天皇との間に覚法法親王を産んだ後、忠実室となった。
忠実より八歳上。
忠通の実母であるが、頼長男で忠通の養子となった兼長(1138‐58)を後見。
「兼長は頼長の嫡男ではなく、忠通の嫡男であり、摂関家の家嫡というべき存在であった」(p126)
「師子は兼長と同居し、その後見人の立場にあった」(p127)
「実母である師子の命に従い、忠通は兼長を養子に迎え家嫡としたが、内心ではかれは自分の実の子が家嫡とならないことに不満を抱えていたのだろう」(同)
師子は最晩年に忠通と対立。

藤原忠実(1178‐1262)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%BF%A0%E5%AE%9F
藤原兼長(1138-58)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%85%BC%E9%95%B7

久安五年(1149)七月二十八日、頼長は左大臣に任ぜられ、従一位に叙せられる。
同年八月十九日、鳥羽院は翌年正月、当初予定より一年遅れで近衛天皇の元服を行うことにともない、多子の入内の準備を再開するように頼長に命ずる。

資料:樋口健太郎氏「藤氏長者の交代劇」(その1)(その2)〔2025-03-27〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3761602c9a7cb9775261977300ee9628
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/1a0250db1e1f013c5b3f2b33b6d988e6
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Unknown (筆綾丸)
2025-04-18 09:41:38
小太郎さん
御配慮、痛み入ります。
返信する
ブログの引っ越し (鈴木小太郎)
2025-04-17 20:23:37
>筆綾丸さん
>かおるこ
確かに。
話は変わりますが、gooブログ終了に伴い、別のブログに引っ越すことになります。
その際には頂いたコメントも移せるタイプのブログにします。
返信する
Unknown (筆綾丸)
2025-04-15 11:59:08
小太郎さん
別の字なんですね。

https://kotobank.jp/word/%E3%81%9B%E3%82%93%E3%81%9D%E3%82%93%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%82%E3%81%88-2788352#goog_rewarded
コトバンクによれば、「類聚名義抄」の訓は「カウバシ」、香草のことで、「楚辞」では巫祝の指導者を指す、とあって、格調の高い語なんですね。音はソンですか。
角田文衛風に訓じれば、かおるこ、とでもなりますね。
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「荃」と「筌」 (鈴木小太郎)
2025-04-14 10:27:13
>筆綾丸さん
>「筌子・多子・頌子」

もしかして私が写し間違えたのかと思って『藤原頼長・師長』を確認したところ、「荃子〔せんし〕・多子・頌子〔しょうし〕」となっていて(p131)、センは竹かんむりではなく草かんむりですね。

資料:樋口健太郎氏「入内の経営」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/bf7fc3e5fc4ee058afc58c3a266ae1bc

ご指摘のように、竹かんむりの方は「川の中にしずめて、魚を捕る竹製の道具」ですが、草かんむりの方は「かおりぐさ。香草の一種」という意味がありますね。


https://www.kanjipedia.jp/kanji/0004079300

https://kanji.jitenon.jp/kanjis/9447
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Unknown (筆綾丸)
2025-04-12 11:00:18
「筌子・多子・頌子」
筌(うけ・うえ)は、昔、琵琶湖の魞(えり)を調べたときに知った字ですが、なんでまた、こんな字を勘申したのか。性的暗喩か。
万葉集の相聞に、
「寄魚喩思
山川に筌を伏せて守りもあへず
年の八歳を我がぬすまひし」
とあるとか。
なお、忘筌は「荘子」に由来する語で、大徳寺孤蓬庵に忘筌という茶室があるとか。
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