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蟹缶史

2009-01-27 | 近現代史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年 1月27日(火)00時11分48秒    

このところ金融関係の地味な本を読んでいたので、今日は気分転換に猪木武徳著『文芸にあらわれた日本の近代 社会科学と文学のあいだ』(有斐閣、2004)をパラパラ見ていました。
同書の「第7章 急成長と過当競争の歪み」は小林多喜二『蟹工船』を扱ったもので、そこに次のような記述があります。

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 そもそもカニ漁業はタラバガニの缶詰に対する欧米からの需要によって発展した。カニ缶詰は、いわば日本の特産品で、輸出によって成長を遂げ、日本の国際収支に大きく貢献した商品であった。カニ缶詰の輸出が盛んになるのは日露戦争が終わった頃からであるが、一部の海域での禁漁措置が下されたため、漁獲量は一時減少し始めた。ところが1920年代に、富山県立水産講習所の練習船が、西カムチャッカの洋上で、「海水処理の缶詰製造」に成功、船内缶詰の有望性を確認した。翌年には小型汽船による母船式漁業が始まる。この技術的成功が、それ以後の蟹工船漁業の本格的展開を可能にした(岡本[1965])。
 1920年代前半は母船式カニ漁業がまさに「急激に」発達した時期であった。1921年(大正10)には母船数わずか2艘であったのが、2年後の23年には許可艘数18艘、うち稼動15艘(内帆船8艘)、カニ缶生産高3万3000箱と、大飛躍を遂げている。(中略)
 1927(昭和2)年、工船蟹漁業水産組合の東京の総会で、組員の労働条件に関する統一協定を作る働きかけがあり、覚書が締結されている(井出『船員社会の変遷と労働運動』)。そこでは、給料(水夫長60円から水夫見習い26円まで、職種・階層別に定められている)九一金と配分方式などが規定されている。九一金とは歩合給をさす名称で、もとは収入の9割を船主が取り、1割を乗組員の給料に当てるという意味から出たようだ。(中略)
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急成長した産業だから無理が多かったのでしょうが、ただ、

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小林多喜二の未発表ノートには「昨年英航丸や博愛丸のリンチ事件が暴露されてから、カニ工船が、労働者虐待の『模範工場』であるかの如く取沙汰されて、床続きの長屋の火事みたいに、飛んでもなく社会の耳目を聳動させたが、実際には案外良いのだ。"九一金”という特別手当制度があって、何ポンド缶一箱で漁夫がいくら、雑夫がいくらいくらと収入があることになっている」という一節も残されている。
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のだそうで、あるいは『蟹工船』には脚色されている部分が相当あるんですかね。
ま、『蟹工船』の研究史を紐解けば、誰かが詳しく分析しているのでしょうが。


>Akiさん
東野英心著『私説父(オド)物語』(1996)のp19には、東野酒店の豪壮な蔵の前で従業員一同(22名)を撮った集合写真が載っていますね。
なかなか繁盛していたようです。
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