投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 4月21日(土)13時50分37秒
それでは『増鏡』に戻ります。(井上宗雄『増鏡(中)全訳注』、p258以下)
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六条殿の長講堂も、焼けにしを造られて、その頃御移徙し給ふ。卯月の初めつ方なり。院の上、庇の御車にて、上達部・殿上人・御随身、えもいはずきよらなり。女院の御車に、姫宮も奉る。出車〔いだしぐるま〕あまたみな白きあはせの五つ衣、濃き袴、同じひとへにて、三日過ぎてぞ、色々の衣ども、藤・つつじ・なでしこなど着かへられける。
しばしこの院に渡らせ給へば、人々絶えず参り集ふ。西園寺の殿原なども日ごとに参り給ふ。御壺分かたせ給ひて、前栽合はせありしにも、をかしう珍しき事ども多かりき。なにがしの朝臣の槙の島のけしきを造りて侍りけるを、平大納言経親、いまだ下臈にて兵衛佐などいひける程にや、その宇治川の橋を盗みて、わがつくろひたる方に渡して侍りける、いと恐ろしく心かしこくぞ侍りける。
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【私訳】六条殿の長講堂も、先年焼失したのを造営されて、このころ御移徙の儀があった。四月の初め頃である。後深草院は庇の御車に乗られ、随行の公卿・殿上人や御随身は、何とも言えないほど美々しかった。女院(東二条院)の御車には姫宮(れい子内親王)もお乗りになる。女房の出車も多く、みな白い袷の五つ衣、濃い(紅の)袴、同じ白の単で、(移転の慎みの)三日が過ぎてから、色々の衣や、藤・つつじ・なでしこがさねの衣に着かえられた。
後深草院はしばらくこの御所にいらっしゃるので、人々が絶えず参集する。西園寺家の公達も毎日伺候される。(ある日)中庭を区分されて、前栽合があったのも、風流で珍しいことなどが多かった。某朝臣が槇の島の風景を造ったのを、平大納言経親がまだ身分が低く、兵衛佐などといった頃であったか、その宇治川の橋を盗んで、自分の作った前栽の方に架け渡したのは、実に恐るべく、利口なことであった。
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ということで、この部分も明らかに『とはずがたり』に依拠しています。
しかし、『とはずがたり』とは一箇所、実に奇妙な違いがあって、それは橋を盗んだのが『とはずがたり』では後深草院二条の叔父、善勝寺大納言隆顕であるのに対し、『増鏡』では平経親となっていることです。
そこで、『とはずがたり』の方も見てから、四条隆顕が平経親に変わってしまった理由を考えてみたいと思います。
なお、「六条殿の長講堂」については後深草院の血写経のエピソードとの関係で、既に若干の検討を行っています。
「巻九 草枕」(その2)─後深草院の血写経
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9efdd135944be1585591ae9c0b27084c
私はこの血写経のエピソードを史実とすることに懐疑的であり、『とはずがたり』に描かれた後深草院の血写経とその後続記事についても検討しました。
『とはずがたり』に描かれた後深草院の血写経とその後日談(その1)~(その5)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e583bdc4c266e2837533878b21347e89
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d5cb8c13e3b3fb094370454107892e1b
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/02fbb58a7d13441c9d8e2525d0322323
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c8008f774ba426dff2ee007bf04da725
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/7630942f4d47a35fc023c3ce48457dfc
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