人形たちに癒されて♪(新)

フェルトで可愛い人形を作っています♪
私の作った人形たちが少しでも心を癒やす
お手伝いが出来たら幸いです。

骨折大惨劇1-(5)

2012-05-02 17:56:10 | お宝☆原稿
早急に救急車がきていただいた事には感謝させていただくが私は内心はらはらしていた男性二人が去った後救急車が来たということはその救急車に私は乗せられるということなのだとすると担架に載せられる際にまた先ほどのようにあの激痛で悲鳴をあげなければならないということなのだあんな痛い思いをしなければならないならいっそ救急車に乗るのを辞退させていただこうかと思案していたのである


・・・・・・・・・・・・・

事故や病気で救急車のサイレンは昼夜に限らずひっきりなしに聞こえては来るがそれでも現実には救急車に乗った経験のない人の方が多いのではあるまいか?
私も救急車に乗るのは
今日が初めての経験である


・・・・・・・・・・・・・

よくで救急車に乗るシーンをみたことがあるが2本の棒に白い切れが巻いてあるだけのような担架を地面に置きさきほどの男性同様その病人の脇と足を持ち担架に載せるイメージしか私にはないとするとまたあの激痛を経験しなくてはならぬのだしかしまさかこんな状況で隊員の人に「担架はどんなものか」と聞くのもひんしゅくものである仕方がない土壇場になって同じ状況になればその時は直ちに辞退せねばならぬ先の状況を起こりもしないうちに悩んでも仕方がないではないかそう思い直し構えて待っていたのだがやはり文明は少しずつ進歩しているようである

うまく説明できないが真ん中がみごとに両サイドに開き人間を載せてまた閉じるようになっていたのだきっと過去に私のように担架に載せられる際に文句を言った人間がいたか余りの痛さに暴れたか何らかの問題が生じたに違いないでいつしか改良したに違いない何にしても改良された後に載せていただいてよかったと安堵した私であった

そうこうしてる中救急車は走り出しなんとかに到着したようであるに入ってしまえば後はもう「まな板の鯉」同然ましてや足がこんな状態では逃げるにも逃げられない愛用のおばちゃんカッパも衣類もはさみでことごとく切られ裸にされそしておもちゃのようにレントゲンの台の上をゴロゴロぐるぐる右やら左やらその度に余りの痛さに顔をゆがめ一刻も早く終わるように祈るしかない私であったしかしその時点では正直言って足の骨が折れていようとは夢にも思わなかったのである


無事レントゲンが終わり安堵したのも
つかの間今度は処置室に運ばれたどうやらどこか怪我をしているようであるもはやこんな状態では観念するしかない「まな板の鯉」同然の私に先生は「今から麻酔をして手を縫わないといかん」と微笑みながら言うのだ思わずその言葉に耳を疑った私である



知る人ぞ知る私は極度の注射ぎらいである実はが好きでない理由は一番にそこにあるのだもう観念しきっている私に「麻酔」なんてあまりにむごい仕打ちではないかしかも医師はそういいいながらすでに看護婦の持ち込んだ注射器を手に持っているではないか「麻酔をして縫わせていただくがどうだろうか?」というお伺いではなく「麻酔して縫うぞ」という有無も言わさぬ一言だったのである


「先生!麻酔なしでやってください」と叫ぶ私と
「麻酔しなかったらもっと痛いわ
と言い返す医師であった


結局はどう叫ぼうがわめこうが否応なしに麻酔は打たれ手は縫われるはめになるのは分かっていてもこちらにも心の準備というものがある医師は患者の状態から次にどうするのか分かってはいるが患者は全くの未知の世界意識不明で何にもわからなければメスで切られようが針で何針縫われようが何をされてても分からないが変に意識があれば「次に何をされるのか」と不安ばかりなのであるせめて「麻酔をする」と宣告してから注射器を準備するなり小さな配慮をお願いしたいものである


そして・・・「大腿骨骨折

これがレントゲンの結果である
レントゲン写真に写る私の足の骨はみごとに太ももの1本の太い骨が真っぷたつ
折れていたのだ


見せられた骨が2つに分かれている様を現実のものとしてなかなか受け止められなかったのは事実であるそして「骨を折る」とあんな激痛が走るものであるということを身を持って実感した私であったのだこうして長い長い私の入院生活は始まってしまうのである


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする