弁護士ふくふくの今日が出発点

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一番大切なこと(6) 殺人事件の弁護の中で考えたこと(その3)

2009-07-27 23:11:42 | 一番大切なこと

 私は、1984年(昭和59年)に司法試験に合格しました。1985(昭和60年)年4月から1987年(昭和62年)3月までの2年間、最高裁判所の司法研修所というところで、司法修習生という身分で、弁護士、裁判官、検察官になるための研修を受けました。

 その期間中、司法修習生が自主的に研究会や催しをしたりしていましたが、横川和夫さんというジャーナリストが書いた「荒廃のカルテ」というノンフィクションの本をもとに企画をしたことがありました。オウム真理教によって殺害された坂元弁護士がその企画の中心を担った事とともに、その本の内容を今でも覚えています。

 強盗や、婦女暴行を犯し、殺人も犯して無期懲役の判決を受けたある犯罪者(青年)について、そのおいたち―刑務所に服役中の母親から生まれ、その後、乳児院や養護施設等で普通の人間的な愛情を受けずに、それどころか上級生や職員から虐待を受け、人間らしい扱いをほとんど受けないまま成人になり、普通の人が有する人間に対する信頼や思いやり等を身につける機会がなかった―を取材して書いた本で、犯罪者を作り出す社会の現状を無視して、犯罪者を非難するだけでよいのかということを訴えた本でした。(ネットで検索しても大体の内容がわかりますので、詳細は省略します)。

 殺人等の凶悪の犯罪が発生し、その犯人が捕まると、多くの場合その犯人は怠惰で、自分勝手で、利己的で、気が短くて、思慮が浅く、凶暴で、他人を害しても平気でいられる、そういうような人であったと報じられ、「ああ、なるほど、日ごろから、こういう性格で、こういう行動をしているから……凶悪な犯罪に至るのももっともだ。」と思える場合は少なくありません。それで、多くの人は、「こんな悪い奴は厳しく罰すべきだ、できれば死刑だ。そうしないと、また同じような犯罪を犯す」と考えます。確かにそう思うのは普通で自然な発想と思います。まして被害者の側からすれば、ごくごく自然だと思います。

 しかし、少なくとも、先ほど述べた「荒廃のカルテ」に出てきた青年の場合、この犯罪者に同情し、また、この犯罪者だけを非難することが的外れではないかという気持ちを抱く方も少なくないのではないかと思います。人は、どこの誰の子として産まれてくるのか、その環境を全く選べません。もし、自分が、荒廃のカルテのような境遇で育ってきた場合、逆境に打ち勝って、健全な人間に育つことができるかどうかは何とも言えないような気がします。

 そして、私は、凶悪犯人となるに至った人は、出生後に遡って見た場合、恐らく、多かれ少なかれ、「荒廃のカルテ」の青年と同じように、凶悪犯的な人格の原因となるいろいろな悪環境が積み重なったものであって、ただ、その過程事実自体やその持つ意味が解明されず、結果としての反社会的で凶悪な人格だけしか報道されていないだけに過ぎないのではないかと思うのです。

 なぜ、そのように考えるかというのは実に単純なことです。生まれたばかりの赤ちゃん、あるいは1歳、2歳、3歳といった乳幼児を見る機会は、私だけでなく誰にでもあると思いますが、話しかけたり、笑いかけると、みな、天真爛漫、無邪気に笑います。こうした、乳幼児が、それ以降、親や家族、周囲の人たちから豊かな愛情を注がれ、健全な社会性を持った人間として育てられてきたと仮定するなら、反社会的な犯罪的な人格を形成することはほとんどありえないのではないかと思うのは恐らく私だけではないでしょう。

 実際には、物心がつく前から放置され、無視されたり、虐待されたり、いじめられたり、あるいは、本人の気持ちや個性を無視されて、他人(親)の理想を押し付けられ無理に勉強させられたり、兄弟や他人と不当に比較されたりして、傷付いたり歪められたりしながら、自分自身や他人に対する自信や信頼の気持が育たず、他人との関わり方や自分の気持ちや要求のコントロールの仕方も分からず、あるいは他人を思いやる感性が大きく欠如し、さらには、そうした中で、ますます他人からは嫌がられ孤立し、自分の気持ちや要求の不満状態が爆発する程度に増大して、被害妄想も出て正常な思考や生活ができない精神病あるいは人格障害のような状態にまで至り、また引き金となる出来事もあって、凶悪な犯罪に至るものと思われるのです。

 凶悪犯罪が発生する経過(凶悪犯罪を犯す人間ができる経過)は恐らくいくつかの類型があると思いますが、以上に述べた一つのパターンは、自分自身が刑事弁護という仕事の中で、実際に重大犯罪を犯した被告人と接する中で感じ取った実感に基づくものです。

 ちょうど、以上のような内容を書いていた数日前、本屋で偶然、一冊の本が目に飛び込んできました。

 それは、片田珠美さんという精神科医として臨床にも携わり、精神分析的な視点から犯罪病理を研究しているという方が書いたばかりの(2009年5月25日発行)、「無差別殺人の精神分析」(新潮選書、新潮社発行)という本でした。

 この本では、秋葉原無差別殺傷事件(2008年6月)、池袋通り魔殺人事件(1999年9月)、下関通り魔殺人事件(1999年9月)、大阪教育大学池田小事件(2001年6月)、アメリカコロンバイン高校銃乱射事件(1999年4月)、ヴァージニア工科大学銃乱射事件(2007年4月16日)が取り上げられていますが、裁判記録や本人、関係者の手記等の具体的な資料に基づいて、犯罪者の生育過程が具体的に詳しく述べられていて、そうした事実を基に分析がなされている点が、新聞や週刊誌等のマスコミのニュース報道や世論と言われる国民一般のインタビューの声と根本的に異なります。

 この本の中で述べられているこれらの犯罪者の生育歴そして犯罪を犯すまでの経過は、私が自分自身の限られた体験の中から想像した上述の内容とかなり一致していたことに自分自身驚きました。

(次号に続く)



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