学校化したSNS は安藤昌益の死をまたマリアマグダレナの死をもたらした。 いや彼らはどこかで生きている。笑い
— 大川白鳳大検な (@daiken_gakkou) 2019年1月19日 - 13:36
sNS 批判) page.mixi.jp/view_page_feed…
— 大川白鳳大検な (@daiken_gakkou) 2019年1月19日 - 13:45
— 大川白鳳大検な (@daiken_gakkou) 2019年1月19日 - 14:20
丸山健二@maruyamakenji人生の醍醐味、この世を生き抜くことの面白さは、弱いに決まっている個人の立場を冷静に見極めたうえで、そこから強い方向をめざし、悪戦苦闘の長い時間を費やしてじりじりと強者をめざして突き進み、挫折と失敗をくり返してもなお、その姿勢を崩さないとい...
— 大川白鳳大検な (@daiken_gakkou) 2019年1月19日 - 15:03
陰険な気質が遺伝子に組み込まれているかのごとき日本人は、子どもの頃から横行させているイジメを、おとなになってからも当然のように引き継ぎ、ありとあらゆる職場において、こんな言い回しは本意ではないが、一人前の大人の男が「女の腐ったような」イジメに明け暮れ、それが死ぬまでなおらない。
— 大川白鳳大検な (@daiken_gakkou) 2019年1月19日 - 17:55
ただいまのコピーは 丸山健二@maruyamakenji
— 大川白鳳大検な (@daiken_gakkou) 2019年1月19日 - 17:57
脱学校bot 「学校化」(schooled)されると、生徒は教授されることと学習されることとを混同するようになり、(中略)彼の想像力も「学校化」されて、価値の代わりに制度によるサービスを受け入れるようになる。『脱学校の社会』
— 大川白鳳大検な (@daiken_gakkou) 2019年1月19日 - 19:25
若者に、彼がまだ幼い頃から他の人に出会い、その人を評価し、あるいはまた他の人を探し出すなどの魅力を感じさせるならば、彼らに新しいことをするために新しい相手を見つけるということへの関心を一生涯、持ち続けさせる準備とならろう。『脱学校の社会』@datsugakkobot
— 大川白鳳大検な (@daiken_gakkou) 2019年1月19日 - 20:26
丸山健二@maruyamakenji 実在しない、弱さと狡さの産物である、万能たる神仏とその御威光を餌にして愚民を魂ごと釣り上げきた各種の宗教が、インチキの最たるものである証拠として、その多種多様性が挙げられ、結局のところ信者は教祖なるペテン師のふところを肥やすための奴隷で...
— 大川白鳳大検な (@daiken_gakkou) 2019年1月19日 - 20:31
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