だいぢのEasyBassing

初めはバス釣行記のブログだったんですが…。
関東を中心に釣りや散策に出掛けていましたが…。
熊本県民になりました。

馬場楠井手の鼻ぐり (熊本県菊陽町)

2021年10月23日 | 散策記
「竹迫城跡公園」に行った後は、熊本県菊陽市にある「馬場楠井手の鼻ぐり(ばばぐすいでのはなぐり)」に行ってみた。

 
「馬場楠井手の鼻ぐり」に隣接して「鼻ぐり井手公園」が整備されている。

(現地解説板)
  馬場楠井手の鼻ぐり     菊陽町指定文化財  昭和五十四年二月二十三日指定
 肥後の武将、加藤清正は多くの土木事業を行いましたが、 慶長十三年(1608)に完成した馬場楠井手もその一つです。
 馬場楠井手はここから約1800m上流の白川に築かれた馬場楠堰から取水する灌漑用水路で、白川左岸台地を潤していますが、
他の灌漑用水井手と違いこの井手には、「鼻ぐり」と呼ばれる全国に類がない独特な工法が用いられています。
 阿蘇に源を発する白川にはヨナ(火山灰土砂)が多く含まれており、各灌漑用井手にはヨナが蓄積し、維持管理が大変でした。
 さらに、この区間(曲手〜辛川)は、 厚くて固い岩盤が、400mも続く所で、もし、井手を掘削した場合、
地上から井手の底までの深さは約20mになり、井手の底に堆積するヨナを人力で排出するのは困難と予想されました。
 そこで、加藤清正は水の力と岩盤を利用してヨナの堆積を防ぐ「鼻ぐり」と呼ばれる、独特の構造物を考案しました。
 その構造は、岩盤を掘削するときに壁(約2~5mおきに厚さ約1m、高さ約4~10m)を残し、
その下に半円型の径約2mの水流穴をくり抜いたものです。そして、ここを流れるヨナを含んだ水は、壁の影響で流れが変化し、
うずを巻いて水流穴からヨナとともに流されていきます。
 この「鼻ぐり」は当初約80ヶ所設けられ、江戸時代末期に水理を知らない役人によって約50ヶ所が破壊されたと伝えられています。
また、自然災害などで壊れてしまったものもあり、現在では24ヶ所を残すのみですが、昔と変わらずその役目を果たしています。
 なお、「鼻ぐり」の名前の由来については、牛の鼻ぐり(鼻輪)に似ていることからこの名が付いたと思われ、
この区間のみ通称「鼻ぐり井手」と呼ばれています。

 
馬場楠井手の鼻ぐり  加藤清正が整備した独特の構造を持った用水路である。

「馬場楠井手の鼻ぐり」に隣接して「鼻ぐり井手公園」が整備されている。
公園内には「馬場楠井手の鼻ぐり」を上から覗き込める展望所をはじめ、
映像や展示パネルで「馬場楠井手の鼻ぐり」の仕組みや歴史などが学べる交流センターのほか、
広い芝生広場、滑り台やジャングルジムなどの複合遊具がある。
子供連れの家族で賑わう公園になっている。

 
展望所の前には「馬場楠井手の鼻ぐり」の実物大の模型がある。  交流センター内には解説コーナーが設置されている。


帰路途中では、遠くに噴煙を上げる阿蘇山の姿を確認できた。


分かりずらいが、写真中央付近に白い噴煙が上がっているのが確認できる。

【文化財データ】
名称:熊本県指定史跡「馬場楠井手の鼻ぐり(ばばぐすいでのはなぐり)」
所在地:熊本県菊池郡菊陽町曲手から辛川
時代区分:1608年(慶長13年)
形態:農業土木施設
見学可能時間:常時開放
※鼻ぐり井手公園交流センターの開館時間は8:30~17:00、休館日は火曜日・年末年始
駐車場:有(無料)
コメント

竹迫城跡公園 (熊本県合志市)

2021年10月23日 | 散策記
今回は、熊本県合志市(こうしし)にある竹迫城(たかばじょう)跡公園に行ってみた。

 
中世の城跡のようだ                        本丸跡

(現地解説板)
合志町指定文化財
  竹迫城跡 (別称 合志城・上庄城・蛇尾城)
竹迫城は、建久年中(1190~1199)に合志郡の地頭職となった中原師員(竹迫氏初代)によって築城されたといわれ、
永正7年(1510)に15代竹迫公種(久種)が大友氏に従い豊後に移るまでの約320年にわたり竹迫氏の本城でした。
その後、永正8年(1511)には、合志高岑が池上城(泗水町)から竹迫城に移り、名称を合志城と改め、5代約80年間城主をつとめました。
この竹迫氏・合志氏時代の約400年を通じ竹迫城は肥後北部の政治・軍事上の拠点として重要な位置にあり、
南北朝時代には菊池氏・阿蘇氏と対立、戦国時代には 大友氏・龍造寺氏・島津氏の争点となりました。
このように中世の全期間を通して重要視された竹迫城でしたが、天正13年(1585)9月に、薩摩の島津氏の侵攻により落城しました。
現在は城跡を残すのみの竹迫城ですが、当時は東西方向に延びる丘陵の背を巧みに利用した要塞堅固なものであったようです。
また、 城跡の中心地と伝えられる城山の最高所には楕円形の平坦地(直径54メートル・短径28メートル) があり、
周囲には大規模な土塁と空堀が確認でき、県下でも有数の中世城跡として高い評価を得ています。
平成2年にはこのような中世城の特色である土塁や空堀を残して整備がなされ公園化されました。
                                              合志町教育委員会 平成10年3月建立

 
城跡は竹迫城跡公園として整備されている。

現在、竹迫城跡は合志市の史跡に指定され、地形を生かした竹迫城跡公園として整備されている。
高低差のある園内は芝生が一面に広がり、その美しい景色のほか、草スキーができ、子供連れの家族で賑わう。
初夏には、公園北側を流れる東谷川でホタルが鑑賞できるようだ。

 
石垣などはなく、芝生が広がるきれいな公園になっている。

【城郭データ】
名称:熊本県合志市指定史跡「竹迫城跡」
所在地:熊本県合志市上庄227
城郭構造:連郭式平山城
築造主:中原師員(なかはら もろかず)
築造年:1190年~1198年(建久年間)
主要城主:竹迫氏、合志氏
廃城年:1585年(天正13年)
遺構:曲輪、土塁、空堀
見学可能時間:常時開放
駐車場:あり (無料)
コメント

豊岡宮本横穴群 (熊本県合志市)

2021年10月23日 | 散策記
今回は熊本県合志市にある竹迫城跡公園に行く途中にあった「豊岡宮本横穴群」に寄ってみた。

 

(現地解説板)
  豊岡宮本橫穴群
 豊岡宮本横穴群は、平成15年10月、塩浸川(苧扱川)の法面保護工事の際に発見されました。
 横穴とは崖面に横から掘ってつくられた有力者の家族墓で、この豊岡宮本横穴群は約9万年前の阿蘇山噴火による火砕流で
できた凝灰岩につくられています。
 発掘調査の結果12基の横穴が確認され、古墳時代後期(約1500年前)のものであることがわかりました。
横穴12基のうち3基を公開し、残り9基は穴の存在が見えるかたちで埋め戻して保存しています。
この横穴群は未盗掘であったと判 断され、保存状態が良好で、多くの人骨や副葬品が出土しました。
 人骨は全部で31体分が確認されました。なかでも11号墓からは最も多い9体分が出土し、
9号墓では骨を置き直した痕跡があることもわかりました。
 副葬品は南島(奄美諸島以南)でとれるイモガイ製の貝輪(腕輪)や耳環(耳飾り)、
ガラス玉・勾玉(首飾りの材料)などの装身具類、武器である鉄鏃(やじり)、馬具などがあり、
これらの出土品は、現在合志市の歴史資料館で展示しています。
 豊岡宮本横穴群は、古墳時代後期におけるこの地域の葬送儀礼の形態や風習などがわかる、
学術的に貴重な遺跡として、合志市の指定史跡となっています。
                                             平成十九年三月 合志市教育委員会

 
見学路や説明看板が整備されている。        12基中9基が穴の存在がわかるかたちで埋め戻して保存されている

 
3基が公開され、写真付きの説明看板が設置されている。  7号墓

【文化財データ】
名称:熊本県合志市指定史跡「豊岡宮本横穴群」
所在地:熊本県合志市豊岡312-2
時代区分:古墳時代後期(6世紀初~7世紀中頃)
形態:横穴墓群
見学可能時間:常時開放
駐車場:有(無料)
コメント