思考ダダ漏れ

なんとなく書こう

情報量

2017-10-19 17:40:47 | 文章
最近考えていたことが書かれていたりすると、すっきりしたり、やられたと思ったりする。今回はすっきりしたわけだが、それは文章中に出てくる情報量をコントロールすることで、作品における謎を高めるということだ。
  この謎の部分を制御しないで書いていく場合、読後に何も残らなくなる。開示した情報はその作品の致命的な一撃となって、作品全体を台無しにしてしまう可能性を秘めている。
  この謎は、最近読んでいる教科書の言葉を引用すると、叙法と態によって描かれるわけだが、とりあえず、簡潔にそれらが何を示すのかを説明した方が良いか。wikipediaより引用してみる。

〈叙法〉
  物語世界を構成する情報を全て提示することは不可能なので、情報を選別・加工して制御し、物語内容の「再現」の諸様態を扱う領域。

〈態〉
  語り手(および聞き手)に関すること、より具体的には、語り手と物語内容との関係、語り手と物語言説との関係を扱う領域。

  これでは少し分かりにくいか。〈叙法〉は視点人物と語り手の関係、〈態〉は語り手が語る上での問題、と書けばいいのか?  いや、分かりにくいかもしれない。小説は視点人物に近づいたり、離れたりしながら語るもので、その距離感を焦点化や言説と呼び、何種類かに分類することができる。こういう問題を〈叙法〉と呼ぶ。〈態〉はその作品を語っている人物は誰か?  という問題になる。過去形を用いる以上、この語り手はそれらを経験した後に語っていることになる。メタ視点等も〈態〉で扱う。
  こうした小説の構造は、大半の読者は気にする必要もないが、逆に書く上では知っておいた方が良いだろうし、書いていく中で自然と直面せざるを得ない問題だろう。上手く用いることで「謎」を生み出し、その想像の余地を読者に残すことができる。この想像の余地は、あらゆる媒体の作品における面白さの一つだろう。最近の「謎」と言えば、けものフレンズの舞台設定とかが分かりやすいだろうか?  考察しがいのあるものは、それだけ答えを知りたくなると同時に、また知りたくないものだ。進撃の巨人とか、壁の向こう側やら、巨人の設定やらが分からない頃は面白かったんじゃないの?  まあ一巻しか読んでないので分からんわ。
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