思考ダダ漏れ

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2018-02-15 11:08:30 | 短文感想
ここ数日の間、授業中に本を読んでいる。『ガラスの靴』、モーパッサンの短編を三つほど、『冬の日』といったものだ。それぞれの感想を書こうと思っても、そう何か浮かぶわけでもないので、軽く流していこう。

  『ガラスの靴』は『質屋の女房』以来久しぶりに読んだ安岡章太郎の作品だが、ちょっと痴呆じみた女性との果たされない恋愛を描いたものだ。ほとんど流し読みなのでどうだったという感想もあまり湧いてこないのだが、「僕」という人物の若さを感じた。面白いのは、この若さがあくまでもリアリティな(このリアリティとは作家自身と重ねてみるような、という意味合いで捉えてほしい)ものではなく、一つの作品内で作り上げられたものと感じさせるところだ。一人称の作品は作者と語り手を混合させやすいが、この作品はあまりそのようには見せてこなかった。これは恐らく、この「僕」の情報が意外と公開されないからだろう。「僕」の心の動きは描かれているし、本好きの学生ということは分かるが、逆に言えばそれぐらいの情報しか与えられない。
  何となく、内面描写は梶井基次郎に似ているような気もするが、それは勘違いというほどでもないのだろう。

  モーパッサンの短編はいずれも素朴な香りがした。特別面白いというほどではなくとも、丁寧に作り上げられたもの、という印象を受けた。短編を作るときの教科書になりそうな作品で、内容もそれなりの毒があるが、基本的にはその翻訳のせいか、原文がそうなのか、穏やかに流れる調子を感じた。落ちで締める、というのをきっちり決めてくれる作家なんだろう。子供を売らなかったせいで貧困になりぐれた子供が家を出て行く家庭と、売ったおかげで裕福に暮らした上で紳士的な息子との対面を果たす家庭などは面白い。特に売らなかったことを誇って住民に言いふらし、それだけが見栄となっている母などは見事だ。

  『冬の日』は梶井基次郎の中でもとりわけ重い、退屈な、辛い作品の一つだろうが、僕はこの重さの心地良さに浸りたくなることがある。ただ、大体3章辺りから少し飽きてきて、最終章で盛り返してくる。商売上で考えるなら、これほど全く売れそうにない作品もないだろう。だが、その表現の心地良さは一字一句を見逃さない緊張感を伴わせる。ある意味、絵画作品を見ているようなもので、漫画やドラマのようなものに期待していると、この静止した世界には飽き飽きとしてくるだろう。
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