思考ダダ漏れ

なんとなく書こう

短文感想⑧『件』

2017-11-01 10:04:30 | 短文感想
最近、ある講義で内田百閒の件を取り扱っている。一見、不条理とか、夢とか、幻想とかって言い方で片付けられそうな本作だが、これはどうも『件』という役割の話となっているようだ。
  初めに主人公の『私』は生まれたての件となる。語り手は元々人間で、それまでの記憶を残している。この語り手は件を知っている。予言をすることと、予言をしたら三日後に死ぬこと。死ぬのは構わないが、予言ができないのは困ったなぁと思っているところに人間どもが集まってくるわけだ。この人間どもの中には、人間のころの知り合いがいくらかいるものの、彼らは見覚えはあっても思い出せないらしい。
  なんだかあらすじが面倒になったので、もっと簡略化しよう。件になっていた『私』は人間たちに取り囲まれ、予言に期待されるものの、できないからいじめられたら困るということで隙をみて逃げ出したいと思っている。なんだかんだ我慢比べになり、件が初めて喋り出した以降は人間たちが怖がって離れていく。『私』こと件は安心してあくびをする。
  多分こんな感じだ。ここで大事なのは『私』という人間の頃と、件の違いだ。この作品における件は「予言をすることと、三日後に死ぬこと」の役割を与えられている。この知識は『私』から発せられる。「件になってしまった以上、予言をして三日で死ななければならない」という構図となっている。それに対して人間たちは「件からの予言を聞きたい」為に集まる。
  私が初めこそ死んでもいいと思っていたものの、死にたくないと考え始めるのは、役割の放棄と見た。もちろんその前文の予言ができないと考えていることも役割の放棄だろう。
  人間達は「私」を思い出せず、『件』という記号と接している為に、「予言をする」という前提は揺るがない。例えるなら、風邪をひいて病院に行けば「医者」がいるわけで、この「医者」は病を治してくれるはずなのだ。「はず」と書いたが、より確信をもって治してくれるものと思っているだろう。昔の人ほど「お医者様」と呼ぶわけで。
  さて、話は戻るが「予言をする」という前提が揺るがない為に、人間達は件の内面まで踏み込むつもりがない。この「私」は嫌そうな顔をしていただろうと思うが、人間達はその顔について触れるわけではない。初めて件が喋って以降、周りが怖れ始めるのは、喋るという行為が予言の前段階と思っているからだろう。
  主題は「ある役割を与えられた時、他人はその役割のみを見る」みたいなところか?

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