思考ダダ漏れ

なんとなく書こう

不要な情報

2018-09-26 14:13:18 | 文章
小説の美しさが文章にあるならば、読者を捨てるほどの専門知識をひけらかすのは自慢気な印象しか与えないのかもしれない。
  この問題は『墨東奇譚』というより荷風作品に共通しているような気がしてならない。もちろん荷風だけでなく、現代作家の中にも同じような方がいるだろう。
  単純な話ではあるが、荷風の場合は地名を用いることで場所の説明を果たそうとする。それのせいで現代の私たちには全く想像できない場所での物語になってしまっている。辛うじて挿絵のおかげで想像しやすくなっているものの、どこどこと言われても中々想像が難しい。恐らくこれは地名だけの問題ではなく、その町の描写の問題もあるだろう。
  井伏鱒二の『夜ふけと梅の花』の「牛込弁天町」は、あまり「牛込弁天町」である必要はない。変な書き方をしてみたが、実際の話のように見せる効果以上には果たされていない。むしろ、重要なのは「くったくした気持ち」であり、「邸宅の高い塀の内側から白く梅の花が咲いていて、その時マントの襟を立てようとして、ちょっと空を仰いだ私の目を喜ばせた」ことだ。これが平然と街の描写になると、中々想像が追いつかないのかもしれない。というよりも、その街が下手に現実に即しているせいか。
  現代作家なんて読まないのだが、それにしても思ったのは過剰描写に読者はどう思うのだろうということだ。つまり、細かな知識を平然と披露されても、それは作者の自慢にしかならないのではないかということだ。
  一例を書いてみよう。
  ・相手は島二枚がアンタップしているのでcounter spellを警戒した。counter spellは青のインスタント代表で、"counter target spell"の美しい一文は今やcancelに置き換えられ、コストUUから1UUとなってしまった。クリーチャー強化、インスタント・ソーサリーの弱体化の波をモロに受けてしまったカードだろう。なおこの対戦はレガシーなのでcounter spellよりもForce of Willの方が有用に違いないが、彼のカード資産からするとcounter spellに頼らざるを得ないのである。つまり、この島二枚は全く見透かされていたのである。
  こう書いてみたが、これを分かる人はMTG経験者だろう。これを小説に用いるのはあまりにも読者を置いていかざるを得ない。ただ、僕はどうしても人は愚かな気がしてならないので、これがカードゲームだからヲタク臭いだのと流す人もいるように思う。ならこれはどうだ?
  ・彼はコンポジションを見て、その底流にある純粋なリアリズムを感じざるを得なかった。──人間の脳は縦線と横線の認識が強い。「冷たい象徴」はただそれだけのことを表したというのに、彼にはそれが何か不思議な真実のように思われてならなかった。最後の「ブローダウェイ・ブギウギ』を見た頃には、今すぐにもここを飛び出して筆を手にしたくてならなかった。とはいえ、彼は一度も絵を描いたことがない。君は子供の落書きより酷い絵を見たことがあるか?  彼はそれをキリンと言い張ったが、あれはどこからどう見ても奇形児だ。アウトサイダーアートだね、と言ったら心底喜びやがった。馬鹿なやつだよ。キリンすら書けない。書けるのは奇形児だけ。何を書いても奇形児。彼はそれを犬だの猫だの猿だのと言い張るのだ。猿はお前だと言いたくなったね。
  少し楽しくなってしまった。ともかく、コンポジションが何かも分からない場合、それの説明を入れた方が良いのだろうし、なんなら名称で説明せず、描写の結果そう見えるというのが理想的な気がする。
  ・黒い縦線と横線が何本か引かれ、その枠内の大半は白いものの、一部は赤、黄、青、黒にそれぞれ塗りつぶされている。線が全く出鱈目なせいで、それぞれの面は均一でも対称でもない。それでも調和が取れて見えるのは、全ての面が四角形で構成されているからだろう。
  絵画でも中々厳しいものがある。空想で絵を作ってしまった方が、余程細かくする必要がないだろうし、その絵画が持つ意味合いを強めやすいように思う。
  実際にあるものの知識を披露するというのは、自慢話以上の効果を持たせることはできるのだろうか。商売の話をするなら、愚かなファンは(というよりも、ファンは愚かだ)この自慢に酔いしれることができるだろうし、下手すれば尊敬の念を抱くかもしれない。カードゲーム知識程度ならそんな層もいないだろうが、ちょっと媚びようものなら日本酒よりウィスキー、クラシックやジャズまで持ち出すとちょっとキザたらしくて堪らない。それがただ、「ピアノを弾いている」だけで済むならまだしも「この空間には『G線上のアリア』が流れている」と書かれてもちんぷんかんぷんだ。Gはなんだ?  レコンギスタではないのか。
  小説にする以上、限界がある。音楽はどうも親和性が悪いように思う。描写が難しい以上、知識の披露で留まるかもしれない。まだまだ井伏鱒二から学べることは多い。Force of Will欲しかったよ。
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