思考ダダ漏れ

なんとなく書こう

要約1

2017-10-19 17:42:43 | 文章
大学院の講義で扱っている教科書の第4章を要約したもの。教科書名は忘れた。明日印刷しなければならないのだが、とりあえず、なかなか面白いので晒しておこうと思う。正直、要約は下手だ。その教科書を買うことをオススメする。名前は忘れた。

序文
学校教育等では『高瀬舟』において、安楽死や人間の有様を問題として扱うが、本章ではそれを扱わず、『物語のディスクール』で示された物語論の一部を用いて物語言説を点検しよう。

1.三種の言説の混在
『高瀬舟』は三人称の小説だと言えるが、語りそのものは決して安定していない。この不安定さ=複雑さの由来は、角谷有一の論を参考にする。
⑴〈語り手〉が小説の世界の外側からその世界のすべてを統括して語っている言説。
⑵〈語り手〉が語っていながら、庄兵衛その人の思いがそのまま地の文に現れている言説。
⑶庄兵衛と喜助の直接話法の言説。
この三つの語りが入り混じっていることが、『高瀬舟』の三人称が複雑であることの所以となっている。

2.焦点化
ジャネットは、「誰が見ているのか」という視点の問題を含む領域を、物語を構成する情報の制御の問題として捉え、叙法と総称した。また、「誰が語っているのか」という語り手の問題は態と呼ばれた。
『高瀬舟』の語り手は、庄兵衛の心中を語るが、一方で喜助の内面は語らない。加えて、「オオトリテエ」という言葉が登場する。この点から、時に庄兵衛と同一化して語り、時に庄兵衛の知る由もないことを語ってみせている。これは「誰が語っているのか」の態の問題ではなく、「誰の視点や感じ方で語っているのか」の叙法の問題であることが分かる。
ジャネットは叙法の下にパースペクティブという概念を設定し、焦点化という述語で分類している。この焦点化には三種類ある。
・焦点化ゼロ→全知の視点。
・内的焦点化→視点人物が知覚している情報の視点。
・外的焦点化→登場人物の思考・感情・感覚を描かず、外面しか描かない視点。
この三つの焦点化が『高瀬舟』にどのように描かれているかを確認する。ただし、外的焦点化に当てはまる表現は描かれていないので、今回は検討しない。

焦点化ゼロは次の場面が当てはまる。

“高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞をすることを許された。”

この箇所で、語られる物語世界が、語り手の存在する時代より過去のものと認識していることが分かる。

“同心を勤める人にも、種々の性質があるから、此時只うるさいと思つて、耳を掩ひたく思ふ冷淡な同心があるかと思へば、又しみじみと人の哀を身に引き受けて、役柄ゆゑ氣色には見せぬながら、無言の中に私かに胸を痛める同心もあつた”

語り手はこのように不特定多数の同心の心中まで知り得ている。このことから、これらの語りは全知の視点に属することが分かる。
庄兵衛の内的焦点化は次の場面にある。

“護送を命ぜられて、一しよに舟に乘り込んだ同心羽田庄兵衞は、只喜助が弟殺しの罪人だと云ふことだけを聞いてゐた。”

ここでは庄兵衛の心情が語られている。庄兵衛ではない語り手が、庄兵衛の内部(感覚・思考・心情)に焦点を当て、庄兵衛その人であるかのように語っている。これが庄兵衛への内的焦点化である。
最後に焦点化ゼロと内的焦点化が入り混じった部分を点検する。それは小説が閉じられる場面にある。

“庄兵衞の心の中には、いろ〳〵に考へて見た末に、自分より上のものの判斷に任す外ないと云ふ念、オオトリテエに從ふ外ないと云ふ念が生じた。庄兵衞はお奉行樣の判斷を、其儘自分の判斷にしようと思つたのである。さうは思つても、庄兵衞はまだどこやらに腑に落ちぬものが殘つてゐるので、なんだかお奉行樣に聞いて見たくてならなかつた。
次第に更けて行く朧夜に、沈默の人二人を載せた高瀬舟は、黒い水の面をすべつて行つた。”

第1から第3文までは庄兵衛の内的焦点化であるが、「オトトリテエ(authority)」という表現があることから、語り手が庄兵衛の思考を語り直していることが分かる。だとすれば、この箇所は焦点化ゼロとも判断できる。最後の一文は登場人物以外の視線によって語られており、焦点化ゼロである。
このように『高瀬舟』は決して単純な語り方/見え方から物語世界が表現されているのではない。

3.直接話法
直接話法は焦点化とは異なるレベルで物語言説を捉えたものである。叙法の中でも距離に属する。距離とは、語る言葉と語られる対象との間の埋めようのない大きな違いのことである。ジャネットはこれを三種に分類している。
・物語化された言説→再現性が低い。語り手によって語られた出来事の叙述。
・転記された言説→再現性は中程度。語り手が会話文等を溶け込ませるようにした間接的な叙述。自由間接話法。(例.彼は早く起きなくてはいけないと言った。)
・再現された言説→再現性が高い。直接話法。(例.「早く起きなくてはいけない」)

物語化された言説は次の箇所に現れる。

“此舟の中で、罪人と其親類の者とは夜どほし身の上を語り合ふ。いつもいつも悔やんでも還らぬ繰言である。”

この箇所ではここの具体的な会話が描かれるわけではなく、「悔やんでも還らぬ繰言」という共通する特徴に集約されて語られている。語り手が出来事をまとめていることから、再現性は低いことが分かる。
転記された言説は次の場面にある。

“庄兵衞は今喜助の話を聞いて、喜助の身の上をわが”身の上に引き比べて見た。喜助は爲事をして給料を取つても、右から左へ人手に渡して亡くしてしまふと云つた。”

庄兵衛が内省する場面である。喜助の発話は、庄兵衛の叙述の中で間接的に表現されていることが分かる。
最後に直接話法を確認する。

“庄兵衞は少し間の惡いのをこらへて云つた。「色々の事を聞くやうだが、お前が今度島へ遣られるのは、人をあやめたからだと云ふ事だ。己に序にそのわけを話して聞せてくれぬか。”

第1文は物語化された言説によって叙述され、第2文以降のカギ括弧でくくられた文章は、一字一句削られることなく完璧に再現されている。これが直接話法である。

4.謎/主題の設定
『高瀬舟』の特徴を改めてまとめると次のようになる。
・焦点化ゼロによる叙述がある。
・内的焦点化は、庄兵衛に対してだけ行われている。
したがって、喜助の心情や思考を推測する手がかりは、喜助の直接話法だけである。『高瀬舟』は場面2以降(「いつの頃であつたか。」から始まる以降)は喜助の内面を探ることに失敗する庄兵衛の物語になっている。喜助は解けない「謎」として描かれ、体現される知足(自ら分をわきまえて、それ以上のものを求めないこと)と安楽死という問題が、いかに効果的に描かれるのか、その表現に焦点化と直接話法が一つの仕掛けとなって効いている。
「謎」とは空所のことである。焦点化も直接話法も語る対象の存在を再現する際の情報量のコントロールに関わっている。『高瀬舟』における謎とは、庄兵衛の省察を追いかけても、結局、知足や安楽死についての解決はない点である。読者には喜助の謎ーー知足と安楽死が投げ出されるだけなのである。

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