思考ダダ漏れ

なんとなく書こう

運動とは

2018-08-22 08:05:22 | 文章
最近はネットが普及しているので思想運動というのもSNSが用いられるようになった、と書いてみたが、ネット世代の自分が「最近」 と書くのはなんだかおかしいだろうし、変にボロが出かねないのでここで切り上げよう。
  しかし、僕はこの思想運動全般があまり気に入らない。というよりも、運動でなくとも、共通した思想・趣向・傾向の集団には警戒せざるを得ない。というのも、集団が同調圧力を有するのは自然なものだと思うからだ。
  現代は憂鬱にならざるを得ない事柄が多いように思うが、意外とそう考える人は少ないかもしれない。というのも、僕が思うにこの憂鬱の内訳の一つとして、商売と承認欲求の関係が含まれると思うのだが(誰もがスターになれる可能性がある以上、それを目指す層と商売にする層がいる。僕は承認欲求を満たしたい素人と、商品として成り立ちそうかを見極める商売人の関係が、ほぼほぼ上下で形成されていると思えてならない。その弊害として作品の無個性化(流行の意識、オマージュ、テンプレートの構成)が進んでいるのではないかと考える。実際、僕は現代の小説を読まないので想像でしかないが、これは小説だけでなく漫画やアニメ、あらゆる商品に共通した問題だろう)、意外とこの点を考慮しないで、純粋に優劣の世界を謳歌している人は多いように思う。
  商品はあくまでも飯を食うための道具でしかないので、この優劣の世界を特別否定するつもりはないが、しかし、同時に生きづらさを助長する要因の一つに違いないことは改めて考える必要があるように思う。
  僕が思うに、集団はどうしてもこの優劣の世界を形成しかねないような気がしてならない。この集団内でさえ、知識・容姿・位などで上下関係が形成され、「俺は偉い、偉いから正しい」なんて輩が出かねない。さらに集団同士の上下関係もあり得るだろう。例えば、大学の文芸部ならどうだ?  いや、止そう。グロテスクだ。
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