思考ダダ漏れ

なんとなく書こう

短文感想⑩『南京の基督』

2017-12-06 20:19:18 | 短文感想
僕は芥川のキリシタンものをあまり好みではないが、この好めない要素は三島由紀夫の『海と夕焼け』だっけか?  あれと似たものがある。要するに奇跡が起こるか、起こらないかという話だ。
  海と夕焼けの場合も、素材にはキリスト教が用いられ、海が割れるかどうかという話になるわけだが、割れるかどうかに限定すればこれはキリスト教かどうかも分からないのかもしれない。モーセは旧約だからね。ともかく、割れなかったわけだが、割れなかったことで奇跡が起きなかったわけではない。記憶が確かなら子供たちが次々に参列していったこと自体が一つの奇跡に違いない。
  まあ三島は本当に読まないのでこのぐらいにしておくとして、南京の基督のあらすじはざっと言えばどんなもんか?  言えるのか?  金花という売春婦が梅毒になるものの、キリストに抱かれることで梅毒が治った。そのキリストというのは実は日本とアメリカのハーフで性悪な人間なことを、一通り聴き終えた日本の旅行家は思ったのだが、真実は明かさないでおくことにした。
  ややこしいから、もう少しまとめようか。1、日本の旅行家が金花のもとに訪れる。
2、金花は熱心なカトリックであるという説明。
3、金花は梅毒となる。同業者に人にうつせば治るという迷信を伝えられるが、金花は身体を売らなくなる。4、ある夜にやってきたハーフ男に言い寄られてその気になって抱かれる。5、その日の夢で天国を見る。6、翌朝に男はいないものの梅毒が治っている。7、一連の出来事を再び訪れた日本の旅行家に伝える。  こんな感じだ。語り手の調子からすると本当に梅毒は治ったのだ、という形を取っているが、その点をいじられた結果、芥川は梅毒の潜伏期間についての知識があることを書簡で伝えてしまった。
  キリシタンものを書く上で何が大切なのかは分からないが、無神論的でない場合は奇跡を起こした方が都合が良いことには違いないはずだ。ただ、この金花が治ったのではなく潜伏期間というだけ、の状態だとすればなんとも救いようのない話だろうし、語り手はその点を仄めかす影をつけているわけでもないのだからーー奇跡など起きないのだーーというテーマ設定と読み取る方が違和感がある。
  この点をテクスト論的に見ると(これはテクスト論の教科書で取り扱われた作品だ)その語り方から推察するに、日本の旅行家ないしはその旅行家から聞いた話を再構築した物語であることが考えられるそうだ。語り手の視点は全知的な視点を取り入れつつ、度々金花の視点を借りる形を取っている。これは恐らく、金花の過去回想の舞台は日本の旅行家が聞いた後で脚色した世界となるのではなかろうか、となると、金花の印象操作が日本の旅行家の語りに反映されているのではないか、だそうだ。金花悪女説だ。
  ただ、その読み方は少し無理を感じる。仮にその設定なら、もう少し読者をそう読ませるように誘導するんじゃないかと思う。深読みしないとここまで考えないだろうし、当時の読者はともかく、少なくとも今の読者は語り手が誰かということを気にする人の方が少ないだろう。仮に悪女に仕立てようとしたなら、技巧が細かすぎたように思う。
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