思考ダダ漏れ

なんとなく書こう

宗教観

2017-11-24 18:37:37 | 文章
神の存在に否定的になったのはいつ頃か分からないものの、少なくとも中学の頃から怪しんでいたことは確かだ。カラマーゾフのイヴァンなんかは、世の中が不条理なんだから、もし、神がいるとすれば、そんな世の中を作り出した罪は重いと考えていたとかなんとか。要再読。
  不条理な世の中なのだから神は存在しないのだ、という考え方は、アルベール・カミュなんかもそうらしいが、これが典型的な無神論者の考え方かもしれない。僕もそんな理由で神の存在を信じていない。
  考えてみると、多神教的な考え方をしたことがないのかもしれない。川だの山だのに神々がいるとして、それが何をするのだろうか?  泉鏡花の作品を読む限り、神々というのは結構気まぐれな印象を受ける。これだけではないが、何となく多神教における神々というのはコミカルな印象がある。僕自身妖怪との区別があまりできていないせいかもしれない。
  カミュがどう考えていたかは分からないが、僕は無神論とはいえ、教会は必要だと考えている。弱きを助けるだとか、非を認めるとか、ってのものは何を信仰していなくとも必要なものだ。そうした道徳心というものを教会から学ぶ必要はないものの、ある方が機会は生まれるのだろうし、ある分にはあって良いと思う。ただ、何事もはまりすぎてはいけない。ファンがバンドやアイドルの発言を鵜呑みにして、物を買うとか、批判するだとかのように(事実戦争すら起こしているわけだから、宗教はそれ以上に危険なのかもしれない)盲信するのは危険だ。

  しかし、色々振り返るとやはり僕は元来キリスト教徒なのかもしれない。前の恋人と別れた理由も相手方の宗教の胡散臭さに嫌気がさしていたのもあるし、それを告白するまでの期間が長いこと(言いづらかったのだろうが、僕はその言いづらいことも言えないなら恋人たる意味はないと思うのだ)に興醒めしたのもある。しかし、同時に自分が改宗することを考えるのも恐ろしかった。降霊術をするような宗教だったのだが、僕は全くそうしたものを信用できないどころか、不愉快だ。死者が過去以上に出しゃばるな。と考えていたかどうかははっきり言えないが(土台、生きていること瞬間から連続的に過去は発生している。僕たちはどうやっても過去に生きているとしか言いようがない)降霊術が不愉快なことは確かだ。土台、無神論者なわけで。
  そんなことを考えると将来的に不仲になることは目に見えていたわけで(付け加えておくと、その為に熊本の方まで引っ越す可能性もあった。それが面倒くさいというのも大いにある。冗談のように聞こえるだろうが、虫の多い地方なんて本当に行きたくないのだ)。別れた理由はそんなあたりにもなる。ただ同時に、相談相手が今の恋人でもあるので、気移りしたのもある。この辺りややこしいのだが、興醒めしたから気移りしたのか、気移りしたから興醒めしたのか、僕自身もよく分からないのだが、現状も続いていることを考えると、気移りしたから興醒めしたような気がする。そう書くとそれまで書いたことが言い訳がましくなるが、まあそれでもいいんじゃねえかな。愛するは神より人間よ。
  
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