那須温泉で民宿しながら猫の里親奮闘中💦

那須温泉の日常や裏方の紹介や奮闘記・・・ん。。。猫の里親奮闘中に変化?

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芭蕉の足湯

2007年03月31日 09時08分59秒 | 足湯
殺生石から民宿街へ石畳を下ると、町内会の集会場「長寿館」脇に御影石を彫った小さな足湯が現れる。1689年、松尾芭蕉が「奥の細道」で宿泊したという宿跡地でもある。那須町商工会の青年部が主体となって昨年4月末に開設しました。
御影石の浴槽2つと地元芦野石のいす。一度に6人ぐらいしか入れない小さな足湯である。お湯は、共同浴場「滝の湯」のオーバーブロー分を利用している。
石畳に沿って流れる湯川のせせらぎを聞きながら時間を忘れ、情緒を楽しんでいただきたいと思います。
冬場は積雪などの影響で4月中旬まで閉鎖。もちろん無料です。
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鹿の湯湯治法(今昔)

2007年03月30日 19時29分40秒 | 温泉
風呂の管理責任者である湯長は絶対権限を持っていた。入湯には湯長の命令に従わなければならない。湯治客は、まず最初に湯長に挨拶に行く。そして、自分の病状を話し、自分の入浴する風呂、順番、回数を決めてもらう。湯治客は自分の入浴時間が来るまで茶亭で待っている。茶亭には、囲碁、将棋等が用意され、団子や飲み物も売っていた。午前8時は最初の入浴時間である。湯長は十分湯揉みをし、適温にしたところで最初の客を入浴させる。「一番」「番外一番」と呼んだのである。
「一番」とは熱い湯に最初に入浴する人、「番外一番」とはぬるい湯に最初に入浴する人である。まず「かぶり湯」で後頭部に手ぬぐいを掛け、柄杓(竹製のもの)で200から300回湯を頭にかけるのである。次に、下半身まで入浴し、二分間じっとしている。それから首まで一分間浸る。これで終了である。
湯が熱いのでこれで十分であり、「一番」「番外一番」の人たちがかぶり湯を終えて入浴すると、「二番」「番外二番」の客がかぶり湯を始めるという具合で定められた順番に従って入浴するのである。順番が後になると湯の温度が下がるので、熱い湯に入る人は早い順に入浴することになる。
午前8時に入浴した「一番」「番外一番」の客の次の入浴は、午前11時である。その間、客は茶亭で囲碁や将棋、芸者の三味線に合わせて歌ったり、散歩をしたりして時間を過ごす。午前中2回入浴して昼食となる。
午後2時になると、お客さんが湯揉みをして入浴する。お客が湯揉みをするのはこの1回で、湯揉み唄を歌いながら板で湯をかき混ぜるのである。
湯治は初めぬるい湯からはいり、湯長と相談しながら徐々に熱い湯に入るが、1、2週間続けると股下や脇の下に「ただれ」ができてくる。ただれができると熱い湯に入浴するようになり、ただれが止まると再びぬるい湯、または「仕上げの湯」(喜楽湯、弁天湯)に入る客もいたということである。
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温泉小話 2話【那須温泉史から】

2007年03月29日 18時44分17秒 | 温泉
那須温泉が文献や信仰の上から盛んになるのは江戸期に入ってからである。
大名の参勤交代が定着すると、江戸詰めの大名がしばしば湯治に出かけたという記録がある。
正保2年(1265年)南部藩主南部重直が「湯治願い」を幕府に出した記録に
「殿様 重直公 今九時那須御湯治御暇被候 御奉書 阿部対馬守殿ヨリ 参候」
とある。阿部対馬守とは、時の老中阿部重次(武蔵国岩槻5万9千石余)である。
南部重直は陸奥南部藩10万石の第三代当主で、南部家第28代目にあたる。
このように大名などの支配層から下は農民、商人、職人などの庶民を問わず、講などの信仰の見地と生活の安定化が進み、温泉地での湯治が全国的に行われるようになると、各藩の領内での経済活動も活発化となり、かつての小屋掛け程度の浴場が改修され、その周辺に温泉宿ができるなど、温泉地が整備されてくる。秩序を守るために浴中に守るべき掟が定められ、反面漢方を中心とする医療技術の元で、温泉効能が宣伝され、湯治が一般化されてきた。
温泉を江戸へ運ぶ「御汲湯」は1600年頃から始まり、特に「将軍御汲湯」が盛んになったのは、8代将軍 徳川吉宗 の時で、毎年冬季を中心に合計3634個の湯樽が運ばれたという。温泉一樽の値段は船賃を含めて銀五匁であったという。
自家風呂のない一般庶民には縁のない話であるが、江戸在府中の大名が塩原や那須の湯を江戸まで運ばせていた記録が残っている。
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プチ大工

2007年03月28日 07時34分50秒 | プチ大工
天気も安定してきましたので、プチ大工をはじめました。
男性浴室までの通路が、前々から「雨がかかる」とか「給湯枡のふたがへこんで危ない」等のご要望がありましたので着工しました。
基本は木造軸組工法で、写真はやっとほぞ穴を一部掘り終えたところです。これから組んでいきますが、なにせ「プチ大工」空いた時間で作業しているものですからいつまでかかるやら・・・
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温泉小話1話【那須温泉史】から

2007年03月27日 09時01分28秒 | 温泉
温泉の発見伝説には鳥や獣の入浴から由来するものが多く、温泉に入浴して病気を治す温泉療養湯治は遠く原始の時代より行われ、同時に神仏への信仰につながり、多くの温泉地には温泉関係の深い神話や少彦名命を祀った温泉神社が多い。
那須温泉神社の祭神も同じであり、その起源といわれる「鹿の湯」については、天平10年(738年)聖武天皇の御代、正倉院文書に「病ニ依リ下野国那須ノ湯ニ下ル従四位下小野朝臣」とあり、「那須の湯」とは那須温泉と考えられている。
当時、平城京まで知られていた名湯であったと考えられる。この後の那須は、役の行者小角の他高湯山大権現開基や天長元年(824年)4月8日の弘法大師の再興説があり、建久4年(1193年)には、源 頼朝の那須野巻狩が行われ、文永2年(1265)
日蓮上人、病気療養のため那須温泉に来湯。文安元年(1444年)「殺生石伝説」ができるなど文献、口碑に登場してくるが、専ら那須温泉が文献や信仰のうえから盛んになるのは江戸期に入ってからである。

つづく
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春かもね

2007年03月26日 11時10分49秒 | 山歩き
昨日は雨が降りまして、その後は冬の名物「那須おろし」に変わってしまった。
お客様は「那須おろし」にびっくりされますが、この時期は雪や雨がやんだ後は
必ず風がでますので覚悟してください。たまに建物が風の影響でゆれますが、気にしないでください。
さて宿の前の水仙が、2輪ほど花を咲かせました。暖冬の影響で例年より半月程はやいかも・・・。目が出て2回ほど雪をかぶりましたが、しっかりと咲いています。普段なら遅い那須の春も、今年は早くやってきそうです。
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ウォーキングin那須高原

2007年03月24日 07時14分08秒 | イベント

ウォーキングin那須高原(那須観光協会主催)が6月3日(日)に開催されます。
昨日はその試歩にいってきました。今回は湯煙コースということで、那須小学校を出発し、別荘地の中、那須温泉神社、殺生石、民宿街等下見チェックしてきました。
その他、八幡のつつじコースや八幡の自然研究路を歩いて弁天温泉のつり橋まで行く3つのコースがあります。約7キロから12キロのコースをご用意していますので、お客様が3つのコースからお好きなコースを選べるシステムです。是非ご参加ください。
問い合わせ先 0287-76-2619 那須観光協会まで

 

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鹿の湯の下駄

2007年03月23日 07時54分08秒 | 温泉
昨日は少し暖かくなったと思ったら、今朝はまた少し冷えています。
少しだけ雪もチラホラ落ちてくる。
昨日は 鹿の湯から名前入りの下駄をいただきました。男性用の下駄と女性用の下駄を14件の民宿すべてに配っていただきました。

民宿街の通りは、平成16年より那須町の事業で石畳化されております。平成18年度で3期目の工事が終わり、鹿の湯通りの約半分350mがアスファルトから御影石の石畳にかわりました。19年は予算の都合もありさらに石畳が続くかどうかわかりませんが、町長の「裏通りはすべて石畳化したい」との言に期待しましょう。

みなさんも石畳を下駄と浴衣で、カランコロンと外湯に入りにきませんか。
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足湯 その3

2007年03月22日 08時02分12秒 | 足湯
本日も晴れました。気温は-1℃(8時現在)。
今日は足湯の進行状況をお知らせします。
建物自体は完成している様です。昨日は、外側の階段や路面に石を加工していました。足湯は建物内だけではなく、源泉口がら小川の様に流す予定だそうです。
もちろん無料です。営業期間や営業時間は4月にならないとまだわかりません。
あ、そうそう那須観光協会で足湯の名前の募集していました。興味がありましたら
0287-76-2619に電話してみて下さい。
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お初新道

2007年03月21日 10時58分37秒 | 温泉
路線バスを終点那須湯本で降りると、県営駐車場がありその上側に鹿の湯と民宿街に下りていく遊歩道があります。今日はその遊歩道のお話。
【那須温泉史を編集】
戦前の鹿の湯は湯川を挟んで、東元湯、西元湯、清水亭の三軒の浴場がありこれが元湯である。ここは療養専門の浴場で休憩所があり、那須湯本温泉の旅館に宿泊した客だけが、毎日歩いて此処に通って入浴するものであった。
しかし旅館から鹿の湯まで通う道が時間を要したので、湯治客の負担を軽くするため、初代松川屋旅館のお内儀、室井はつ氏が私財をなげうって厳しい崖を削り、人力車も通れるほどの道を造成した。浴客の利便を図ったことからその業績を謝し、その名の通り「お初新道」と呼ばれるようになった。
奥那須道路改修と湯川の改修により、現在の様な段々の細い道に変わってしまったが、今も鹿の湯を利用する方の利用は多い。
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かぶり湯と柄杓

2007年03月20日 07時53分37秒 | 温泉
鹿の湯には浴室にはいるとすぐに、底の浅い浴槽がまず目に飛び込んできます。
これは「かぶり湯」と称し以下【那須温泉史】参照。
柄杓で数百回の湯を頭部にあび、これを「かぶり湯」といって全国でも数少ない温泉療法で温泉浴として体内吸収の効率を高めるのである。したがって柄杓は、湯治中の必携品でタオルと柄杓を下げて元湯に行く光景が当時の湯治場の象徴であった。

現在も、My柄杓をもって入浴する湯治客を目にすることができます。鹿の湯通りの各民宿も柄杓をご用意してお待ちしております。
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囲炉裏で暖をとる

2007年03月19日 07時59分04秒 | 山歩き
ここ2.3日は朝夕の冷え込みが激しくなっています。今朝の外気温は、-6℃でした。
こういう日は、囲炉裏に火をくべます。この囲炉裏は改築する時に解体した古けやき材で作ってもらいました。
昔は、建築屋兼旅館をしていたそうなので、建物は古いが結構いい材料(けやき、くり)をつかっています。ただ最近の改築は
新建材なので、ちょっと面白味がないですね。
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源泉 行人の湯

2007年03月18日 08時13分09秒 | 温泉
ここ数日冷え込んでおります。温泉気持ちいいですよ~
さて文献を読みますと、江戸時代には大名の参勤交代による江戸詰めの大名が湯治に来ている記録がある。そして鹿の湯を中心に湯川をはさんで両岸に6つの風呂場とそれを結ぶ6つの橋が景観をなしていた事がうかがえる。
6つの浴場とは、「行人の湯」「鹿の湯」「中の湯」「御所の湯」「川原の湯」「新湯」である。行人の湯は山岳信仰もあいまって、夏季登山期になるとこれに水を入れて水垢離を取る水行に共した。
現在「行人の湯」の浴場はなくなりましたが、12件のホテル・旅館・民宿が鹿の湯と行人の湯の混合泉という形で使用しております。
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元湯鹿の湯 縁起

2007年03月17日 08時51分42秒 | 温泉
今日はみなさんもご存知かと思いますが、初心に帰って「鹿の湯」の由来を一つ。
【那須温泉史抜粋】
人皇34代舒明天皇の2年(630)、狩野三郎行広という武士、勅宣をうけ「郡司」となりて、茗ヶ沢村に住み狩を行っていた。
ある時体毛が白く子牛程の鹿を射損じ逃げる鹿を追いつつ山奥に入り霧雨が谷で見失ってしまった呆然としていると白髪の老翁が現れ、三郎に告げて曰く『我は温泉の神なり汝のたづねる鹿は、向こうの谷間の温泉に居れり、此の温泉は萬病を治す、取立て萬人の病苦を救うべし、ゆめゆめ疑うべからず、鹿の入りしも其の矢傷を癒さんが為なり、早く射留むべし』と姿を消したという。三郎其の処に行き谷を望めば、彼の白鹿は温泉に浸っていたという。神託の如く温泉を開き「鹿の湯」と称し白髪の老翁を温泉神として温泉の社を建立し、射留めた鹿角を奉納した。
その鹿は春日大名神の愛した獣なので、此の大名神と同体であると見立て「見立神社」と名づけられたという。
鹿の湯は温泉発見で全国で32番目。栃木県で一番早く、関東では熱海、修善寺、草津、伊香保と共に源泉発見の歴史は古いものである。
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湯の素採集場と引湯

2007年03月16日 08時35分24秒 | 温泉
元湯「鹿の湯」には、湯の花と呼ばれる湯の元の
採集場があります。
草津温泉みたいに大規模なものではありませんが、
湯川の上に架かる橋のたもとにひっそりと存在しております。
【以下那須温泉史抜粋】
温泉の引湯について記すると、鹿の湯より直径30cm程度、長さ180㎝の松の木の中心部をくり抜いて、一本一本はめ込み接合部分を「ひなわ」(檜の皮)を丸めて押し込み、さらに粘土を塗りつけた木管(松)にて誘導していた。
途中には100m毎位にタンクをつくり、分湯場まで通す。
途中のタンクは温泉から沈殿する粘土状のものを取り出し乾燥して「湯の素」を採集するためである。
松の木は土の中では大変腐れ難く、長持ちするため材料として使用されていたが、戦中戦後にかけ、軍需物資として供出されるなど松の木の供給が不足したため、代用として竹を使用した時期があったが、割れるなど耐久面での不完全さのため浴槽まで十分に誘導されなかったようである。
現在では、ビニール管を使用し完全誘導されている。

引湯誘導管にて湯の素採集場(写真)に引湯して、その沈殿した結晶物を「湯の素」と称し、副産物として採集、販売しています。
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