ヨーロッパ漂流記

このブログは、ポーランドとイギリスでの生活を中心に、
私ナガシマが異国の地で感じたことなどを綴っていくものです。

締め切りのない日々

2007-02-24 11:56:40 | イギリス留学
2月最初の月曜日にレポートを提出して以来、
しばらく差し迫った締め切りがない時間が続いている。
締め切りに追われているときは、
もう少し時間があればもっといろいろ調べられて、
もっといいものが書けるはずなのに、
と思うものだが、
時間があったらあったで何かとのんびりしてしまうから、
結局時間がないときのほうが効率的に物事が進められるんじゃないか、
という気がする。

最近やってることは、
まず修士論文の題目提出に向けてテーマを練ること。
これが二転三転してなかなか決まらない。
先週はリーディングウイークで授業がなかったので、
いろんな論文を読んで考えていたのだが、なかなか難しい。
最初はタジキスタンの内戦について書こうと思っていたのだが、
どうもいろいろ読んでも、面白いテーマが見つからない気がして、
以前から気になっていた別のテーマを調べ始めた。
今週に入ってようやくちょっと絞れてきた気がするので、
来週頭には先生のところに相談に行きたいと思っている。
しかし、そのテーマで本当にいけるのかどうかわからないし、
ちょっと不安だ。

それから就活関係。
そろそろ本気やらないといけない時期で、
エントリーシートを書いて出したり、
何人か駐在員の人に会って話を聞いたりしている。
スーツを持ってなかったので、こっちで買ったのだが、
安物を買ったせいか、なんとこのスーツ、
ポケットがまったくない!
全部縫い付けられているのである(笑)
くそー、試着したときは全然気づかなかった。。
こういうスーツって日本でもあるんでしょうか笑?
ま、見た目はきちんとしたスーツだから、とりあえずよしとするか。

おとといからなんとなく読み始めた
Federico Vareseという人の書いたThe Russian Mafiaという本が面白い。
その名の通り、ロシアマフィアに関する本なのだが、
れっきとした学術書である。
実はロシアのマフィアについては、
この十年弱でかなり学術的研究が進んだらしい。
ロシア=マフィアというイメージはすごく氾濫しているけれど、
ロシアのマフィアが具体的に何をしていて、
ソ連崩壊後に激増したのはなぜか、
そして社会的にどういう役割を果たしているのか、
といった点は全然知らなかったので、
これはなかなか勉強になる。
ついでに日本のやくざについてはどうか、今日ちょっと調べてみたら、
いくつか論文が出てきたものの、
比較的研究が少ないような印象である。
まあもう少し深く調べてみれば面白いかもしれない。

というわけで、ここ数週間は色々なことに手をつけてきたのだが、
そろそろ締め切りがおしてきたので、
具体的にやるべきことをかたづけていかなければいけない。
エントリーシートをあと3つ仕上げる。
修士論文の題目を決める。
3月末提出のレポートを2本書く。
5月頭に出す論文の資料集めをはじめる。
。。。
頭が痛いですね。

帰国予定

2007-01-26 09:51:42 | イギリス留学
今日、日本に戻るための航空券を買いに行き、
3月27日(火)の朝に帰国することが決定!
4月下旬まで約1ヶ月間、日本に滞在します。

いやー、それにしても切符を買った途端、
早く日本に帰りたくなってきた。。
まだそれまでにやることがたくさんあって、
そんなこと考えてる場合じゃないんだけど。。
今書いてるレポートも明日までに仕上げないといけないし。
とりあえず、来月からはまたこのブログの更新を再開したいところです。
ではでは。。

パソコンが壊れて、しばらく休止

2007-01-18 05:18:17 | イギリス留学
しばらく更新していないのだが、
実は先週、僕のノートパソコンが壊れてしまったのである。
なんかウイルスに感染したらしく、
最初はインターネットがうまく動かなくなり、
次第に何もできなくなった。
ありゃー困った。
まあ大学のほか、寮にもコンピュータールームはあるので、
そこでレポート書いたり、ネットを使ったりすることはできるのだが、
何かと不便になりそうだ。

最近いろいろと面倒なことが多い。
特に、ビザが2月1日で切れるので更新しなきゃいけないのだが、
やたらと集めなきゃいけない書類が多く、
銀行口座に関する書類がなかなかそろわなくて、かなりイラついている。

一方で、就活をネットなどでちょくちょくはじめて、
エントリーシートも、わずかながら書き始めている。
本業の勉強のほうでも、
レポートにプレゼンと、相変わらず忙しい。

というわけで、少し落ち着いたら、
また更新を再開します。

さまざまな差異

2007-01-08 12:32:43 | イギリス留学
今日で冬休みは終わり。
明日からいよいよ2学期である。
僕の場合、取っている授業がすべて通年なので、一週間の予定は以前と同じ。
授業は火曜に2コマ、金曜1コマ、
そして水曜日の昼に軽いセミナーがあることになる。
冬休みはなんだかんだ言って、だらだらと過ごしてしまったので、
明日からは気合を入れていきたい。
とりあえず、3週間後と4週間後に3000語のレポートの締め切りが。
早くも締め切りに追われる生活になります。。

冬休み最後の更新になるので、今日は、こっちに来てから知った
僕にとってちょっと意外だった文化の違いについて書きたい。
ヨーロッパの人にとって、たとえば日本と韓国などというのは、
ほとんど同じ文化圏の国であって、
違いなんかよく知らない、という人は多いと思う。
実際には、たしかに似ているところもあれば、かなり違うところもあり、
たとえば食べ物の味付けなどは、全然違うのは一目瞭然であるが、
概して、遠い地域に対する認識なんていうのはそんなものである。
日本人にとってはどうかというと、たとえば「欧米」という言葉があるように、
ヨーロッパとアメリカというのは、文化的にかなり近いというイメージがあると思う。
とくにイギリスとアメリカは同じ英語圏の国だし、
どこまで文化が違うのか、というのはちょっとよくわからない。
言葉という面から言えば、イギリス英語、アメリカ英語という言葉があるように、
発音や単語、綴りなどの面で多少の差はあるものの、
もちろん意思疎通に困るというようなことはなく、その違いはごくわずかである。

では実際の話、イギリスとアメリカ、どんな違いがあるのだろう。
僕はアメリカに住んだことがないので、実体験としてはわからないが、
こっちに住んでいるアメリカ人に話を聞くと、
よく出てくる話がいくつかある。
まずイギリス人はアメリカ人に比べて、はるかに礼儀正しく、
物事を遠まわしに言うことが多い、ということ。
たとえば、道を歩いていて、明らかに相手からぶつかられた場合でも、
イギリス人にはつい「すみません」と言ってしまう人が多い。
アメリカではこういう人はほとんどいないので、
アメリカ人の耳には、こういう発言はかなり奇異に聞こえるらしい。
それから、イギリス人は、人に何かを要求する場合でも、
かなり丁寧に遠まわしに言うことが多い。
この前アメリカ人の知り合いから聞いた話で笑えたのは、
ちょっと前にその人がロンドンでスケートをしに行った時の話。
そこではスケートリンクに入るところで
入場料を払って切符を買うシステムになっていたらしいのだが、
その人が切符の列に並んでいると、
突然ある男が切符を買わずにリンクに入り、滑り出してしまった。
と、そのとき係りの人が、
「すみません、切符を買っていただけませんか。」
と声を掛けたのを聞いて、そのアメリカ人はひどく驚いたという。
彼曰く、アメリカだったら絶対あんなふうに丁寧には言わない。
「ストップ!切符を買いなさい!」
と言うに決まっている、というのである。
日本では、日本語に比べて、物事を何でもストレートに表現するのが英語、
という画一的なイメージがあるように思うが、
こういう話を聞くと、イギリス人のしゃべり方というのは、
比較的日本人に近いのかな、と思う。

もう一つ、アメリカの学生がイギリス社会で感じる決定的な違いは、
アメリカの方が、若者がはるかに自立している、ということらしい。
アメリカでは、若者は18歳になったら家を出るもの、ということになっているようで、
大学生で自宅から学校に通っている人など、ほとんどいない。
さらに学費も自力でバイトなどして払うか、
あるいは教育ローンで借りてあとから自分で払う人が多いようで、
アメリカでは基本的に、成人したら自力で生きていくもの、という社会通念が強いようだ。
それに対して、イギリスや、あるいは僕が以前ちょっと住んでいたポーランドでも、
親に学費を払ってもらって、自宅から通っている大学生はかなり多いので、
アメリカの学生からすると、こっちの学生は非常にコドモに見えるようである。
まあこういう点からしても、日本はヨーロッパ寄りと言えそうである。

イギリスとアメリカの話を書いてきたが、もう一つ、香港と中国の話をしよう。
香港は、イギリスから中国に返還されて今年で早10年が経ち、
もはや香港は中国でしょ、というイメージを僕は持っていたが、
実は香港人と中国人は、ものすごくアイデンティティが違う、ということに気づかされた。
そもそも香港の人に、
「アー・ユー・フロム・チャイナ?」と聞けば、ほぼ間違いなく、
「ノー。ホンコン!」
と答えが返ってくる。
香港の人は、自分が中国出身ではなく、香港出身であると自己紹介するのである。
社会のシステムが、香港と中国本土とでは全然違うということもあってか、
香港と中国本土の人々が出会うと、互いにかなりの文化的ギャップを感じるらしい。
僕の一階下に住んでいる香港人の女の子は、
「中国人の会話にはついて行けないことが多い。
 ギャグもよくわからなくて、笑えない。」
と言っていた。
そして、中国人と香港人は概してお互いにあまりいい印象を持っていないようで、
中国人グループが食事会などをするときも、香港人は呼ばれないなど、
心理的にかなり壁があるようである。
以前、中国の「関係」というしきたりについて、少しだけ書いたことがあったと思うが、
中国は長い社会主義の影響で、非常にコネが蔓延した社会であり、
そのことが一般の人間関係にもかなり影響しているらしい。
たとえばクラスメイトというのは、将来のコネになりうる関係として、
非常に重要視されているようなので、そういうことからも中国の学生同士は
外部の人にはなかなか入り込めない絆で結ばれているのかもしれない。
香港は、社会の構造がまったく別なので、
中国人のそのような関係からははじかれてしまうのだ、と言っていた。
まあこれについては、中国人の側の言い分はどうなのか、
今のところ聞いたことがないのでわからないのが、残念なところである。



正月三箇日はどこ行った?

2007-01-03 12:05:17 | イギリス留学
以前にも書いたように、ヨーロッパでは「正月」という感覚がないようである。
12月31日から翌1日にかけて遊び、2日からは通常通り働く、
というのが慣習のようで、
今日1月2日は、寮の受付や銀行など、すべてが通常通り機能していた。
うーん、この怠惰なイギリスが2日から動いているとは!(失礼)
まあ正月特有のかったるさが無くていい、と言えば、いいような気もする。
でも日本人としては、あのかったるさを経ないと、
何か年が明けた気がしない!(爆)
僕は日本にいるときは、正月って嫌いなんだけど、
それでもこう思ってしまうのは、人間ってのは贅沢なもんなんですなあ。

で、僕は今日から予定通り、勉強を再開しました!
先学期書いたレポートは3本だったのだが、
来学期は4本書かなければいけないので、ちょっと忙しい。
早速今日は図書館で、汚職のゼミの次のレポートに向けて論文を読み始める。
冬休み、僕はいつもより時間をかけてBBCなどのニュースをネットで見ていたのだが、
そこでたまたま見た、アフガニスタンの阿片の栽培と密輸に関する話が
面白そうだと思ったので、これを次のレポートのテーマにすることにした。
日本の新聞をネットで見ている限りでは、
アフガニスタンなど、日本のマスコミにはもう忘れ去られたように思われるが、
ここイギリスのBBCでは、アフガンの話題が今でもかなり頻繁に取り上げられている。
というのも、最近タリバンの残党が各地で勢いを盛り返してきて、
現地に展開するイギリス軍などと頻繁に交戦し、
イギリス兵が少なからず死んでいるからである。
昨今は、アメリカのイラク政策がどうも失敗だったというのが明らかになってきたようだが、
アフガニスタンも、未だに中央政府が全土を掌握している状況とは程遠いようだ。
で、最近見たBBCのニュースで、アフガンの阿片栽培がとりあげられていて、
その中で記者が、現地の人がイラン国境へ阿片を密輸しに行くところまでを
同行取材していたのだが、それが結構面白かったので、
ぜひこれを深く調べてみたいと思ったのである。
こうして今日は、早速2本論文を読み、
僕の2007年は、アフガンの阿片とともに始まった(笑)
これから読んでいく中で面白い論文があったら、いずれここでも紹介したいと思う。

夜は、台湾人、日本人の友達と三人で、僕の部屋で新年会。
僕が作ったお好み焼きを肴に、酒を飲む。
パブで飲むのもいいけど、
家で、自分で料理を作って飲むってのもいいですな。
だいぶ酔った。
やっぱり新年は新年で、ちゃんと祝わないと。
何だかんだ言って、僕は日本人だから。
お好み焼きとビールに元気をもらって、
この調子で明日からも勉強します!

今年の雑感

2006-12-31 12:54:00 | イギリス留学
冬休みに入って、2週間が過ぎた。
今日は大晦日。
2006年が終わる。

以前書いたように、冬休みにやろうと思っていたことはいくつかあったが、
結局今のところやったのは、リスニングの練習のために
いつもより多めに英語のニュースを聞いた程度である。
『雪』は3分の2ほど読んだところで止まっており、
その他、学術論文などはほとんど読まなかった。
で、この2週間何をしていたのかと言えば、
同じ学部の学生などと映画に行ったり、食事をしたりして、
ロンドンをぶらぶらしながら過ごしていた。
ここでは特に書かなかったが、新たな知り合いも結構増えて、
特別なことはなかったものの、なかなか楽しい時間だった。
大晦日の夜は、ギリシア人のフラットメイトをはじめとした友人達と、
レストランで新年のパーティをやることになっている。
そのあとは、クラブにでも行って、夜遅くまで騒ぐのかもしれないが、
まあこれはどうなるかはわからない。
年が明けたら、新学期に向けて勉強を再開しようと思う。

今年2006年は、5月3日に日本を出て以来、
ポーランドで2ヶ月、ウクライナとその他東欧3カ国で1ヶ月、
そしてここロンドンで5ヶ月を過ごし、
まさにこのブログのタイトルどおり、ヨーロッパを「漂流」した一年だった。
もうだいぶ昔のことになってしまったが、
ポーランドでホームステイしながら地元の高校生や大学生たちと交流したことは、
今の東欧の社会を垣間見るという意味でも、なかなか得難い経験だった。
イギリスでは、英語の壁に苦しみ続けたが、無理やりにでも
ネイティブと同じ土台に立って勉強するという状況に自分を追い込んだことは、
外国人と議論をすることのハードルの高さを知ることができたという点で、
意義は大きかったと思う。
そして、日本の大学ではなかなか勉強できない現代ロシアの政治経済に
焦点を当てて勉強できていることは、僕には非常に有意義なことである。

人とのかかわり、という点から言うと、
これまでのブログを読み返せば、
今年の僕が、色々なところで色々な人々と出会い、
それまで知らなかったものを見てきた軌跡が、ある程度見てとれるかもしれない。
しかしその一方で、どの土地にも短期間しか滞在せず、
どこで出会った人たちとも一時的な付き合いにしかならない、
という寂しさを感じるのも、事実ではある。
海外に友達ができるというのは、一見素晴らしいことのように聞こえるが、
実際には、一度別れれば次に会うのは何年後か知れない、
という寂しさがつきまとうものである。
そして、言葉や文化が違っても人は分かり合える、とは口で言うのは簡単でも、
付き合いが深くなっていくほど、母語や育った文化の違いは、
短期間ではそうは簡単に乗り越えられないことに、気づいていく。
そういう風に感じるときは、
結局、人はローカルに生きる方が幸せなのではないか、と思うことすらある。

日本を出る前の今年3月、僕は高校の同級生を一人亡くした。
彼とは高校時代、結構仲が良くて、
高校2年のときには、僕の家に泊まりに来たこともあった。
大学に入ってからは、しばらく疎遠になっていたのだが、
たまたま去年の秋、大学のキャンパスでばったり出会った。
そのとき、「また昔みたいに酒を飲もう」と言って、
僕たちは携帯の番号を交換した。
その後一度、ほかの高校時代の友達も含めて
大学の食堂で昼ごはんを食べたのだが、
結局それ以降、僕は彼に連絡を取らなかった。
そして今年の3月、彼は突然死んでしまった。
その葬式で初めて、
あの食堂で一緒に食事をしたときから
彼はすでに病気であったことを、僕は知った。

遠い国に住む人のことを知るには、多くの時間と労力を要するのかもしれない。
でも、こんなに近くにいたはずの同級生のことも、
僕は結局、何も知らなかったのではないか。
限られた時間の中で、どれだけ相手のことを理解できるかというのは、
結局のところ、距離ではなくて自分の意思と行動に拠っているのだろう。
結論じみたことは言えないけれど、
今年を振り返ってみれば、そんな思いが心に残る。


トルクメンバシの死

2006-12-22 07:55:29 | イギリス留学
「偉大なるトルクメンの長、トルクメンバシ」こと、
ニヤゾフ・トルクメニスタン大統領が死亡したようである。
ニヤゾフは、ソ連時代にトルクメニスタンの共産党第一書記に就任、
ソ連からの独立後に大統領になり、最後は終身大統領の地位まで得て、
この地に20年以上君臨し続けてきた人である。
トルクメニスタンでのニヤゾフの個人崇拝、独裁ぶりは有名で、
傍目にはかなり滑稽なエピソードも豊富なので、いろいろなところで語られている。
メディアはもちろんすべて国営、
教科書には大統領の書いた文章がたくさん載り、
街を歩けば巨大な大統領の銅像と肖像画が並ぶ。
怖いもの見たさ?で、僕も2003年の夏に行ってみたのだが、
首都の中心部にある巨大な広場と、その中心にそびえ立つ黄金のトルクメンバシ像、
そして門から入り口まで歩くのに10分以上もかかる国立博物館(だったかな?)
が特に印象に残っている。
それだけ豪華絢爛な施設なのに、どこもほとんど人がいなくて、
真夏の太陽の下、立派な噴水の水の音だけが響きわたる、
なんとも奇妙な空間だった。

そんなわけで、ときに「中央アジアの北朝鮮」と揶揄されるほどの
独裁制を築いてきた大統領の死だけあって、
僕が見た限り、日英露多くのメディアが、
今後の国内の混乱が心配、と伝えている。
旧ソ連諸国の中では、数年前にアゼルバイジャンで、
やはり権威主義体制を固めてきたアリエフ大統領が死んだが、
そのときは、死の少し前に、うまく息子のイルハムを大統領選に当選させたため、
特に混乱なく権力が譲渡された。
ただ今回のトルクメニスタンの場合は、そのような有力な後継者がいないようなので、
これから誰にどういう形で、権力が移るかが注目されているのだろう。
だいぶ前に読んだ論文(出典忘れたが、日本語の論文だった)によれば、
トルクメニスタンは、民族的には比較的均質だが、部族の影響力が強い社会で、
いくつかの有力な部族間での利害対立が紛争に発展する可能性があったが、
ニヤゾフがそれらのバランスをうまく取って、国をまとめることに成功してきた、
とのことだった。
そうだとすれば、今後ニヤゾフの強権をうまく受け継いで、
部族間の利害を調整できる後継者が現れないと、
部族対立が激化して国内が混乱する可能性があると言えるかもしれない。

トルクメニスタンは天然ガスの産地なので、
国内が混乱すると、周辺諸国への影響力がそれなりに大きいと言われる。
さらにそれ以外にも、他の中央アジア諸国には、トルクメニスタンと同じく
ソ連崩壊後ずっと一人の大統領が強権を握ってきたところが多いので、
これからトルクメニスタンの体制がどうなっていくかは、
そういった他の中央アジア諸国の国内政治にも影響を与える可能性がある。
まあ実際どうなるのかはよくわからないけれど、
しばらくはトルクメニスタンに注目!ですね。


異文化混淆

2006-12-20 09:41:55 | イギリス留学
なんか最近恐ろしく生活のリズムが狂っている。
レポートは終わったのに、
やることがないと昼間寝てしまうから良くないようだ。
今日は朝7時くらいにようやく寝て、
昼12時に起きた。

で、今日は昼ご飯(朝ご飯?)を、
こないだの記事で、ロシア語で話そうとしてうまく話せなくて凹んだと書いた
カザフ人の友達と食べた。
食べながら、その人の家族やら友達の写真を見せてもらっていたのだが、
うーん、カザフスタン、なんて魅力的なんだ(笑)。
なんていうか、中央アジアって、
ちょっと日本人の僕らには想像ができない世界なんですよね。
民族がものすごくまじっていて、
人の顔なんかが、果たしてどこから来たのか、なんとも言いがたい、
僕らから見ると「不思議な」人たちがたくさんいる。
いわゆる「純粋な」カザフ人以外に、
ロシア人が多いのは当然としても、朝鮮系、ドイツ系、他のトルコ系民族、など
ほんとうに東西南北から来た多くの民族が交じり合っているのである。
ただ、これには、この地域の不幸な歴史が背景にあって、
たとえば朝鮮系とかドイツ系の人たちというのは、
主に第二次世界大戦前とその最中に、
スターリンによって強制移住させられてこの地にやってきた人たちである。
だから、安易にこういうのを「面白い」とは言えない。
ただ僕としては、昔2002年の春に、中国を東から西へ横断したとき、
莫高窟で有名な敦煌を越えて、新疆ウイグル自治区最初のハミという町に入ったら、
とたんに街を行く人々の顔つきが変った、
アジア系の顔つきなのに、たとえば目が青いとか、
どこかヨーロッパ的要素が混じっている人たちがたくさん街を歩いていて、
なんとも不思議な感覚を覚えたときのことを、この友達の写真を見ていて思い出した。
まあ、そこに生まれ育った人からすれば当たり前なことで、
別に面白くもないのかもしれないが、
こういう文化の交差路ならではの風景というのは、
中央アジアの魅力の一つであろうと思う。
ただ、同時に、写真を見ていたら、
旅行中にいつも抱えていた猛烈な腹痛も同時に思い出して、
ちょっと複雑な気持ちだった(笑)。
中央アジアの食べ物は、羊料理にしてもなんにしても、
動物性の脂を大量に使うから、
毎日食べているとすぐにおなかをこわす。
ウズベキスタンを旅した10日目の夜に、
食べた夕食を、宿に帰って一気にもどしたのを思い出すと、
ちょっとああいうところには住めないなあ、と思う。
でも、カザフスタン、
一度は行ってみたい!

さて、夜はすでにおなじみの
ドイツ人のヤコブと飲む。
彼は明日、ドイツに帰る。
ヨーロッパでは、クリスマスが、日本で言う新年みたいな感じで、
家族みんながそろって一緒に祝う日という位置づけなので、
クリスマス前の今の時期に母国に帰るという学生は多い。
逆にいわゆる「新年」は、日本ほど重要視されていないようで、
大抵の人たちが12月の終わりごろにロンドンに戻ってきて、
大晦日から元旦にかけては友達と適当に飲み明かす予定を立てている。
さらに、日本では、元日をはじめとした三ヶ日が、
初詣をしたり、年始の挨拶をしたりと、重要な意味を持っているが、
こっちでは新年を祝うのは大晦日から元旦にかけての夜だけで、
1月1日は昼まで寝て、2日からは通常通り、というの慣習らしい。
現に、僕の学部の図書館も、1月は2日から開館するとのことだ。
こういうのはたしかロシアでも同じだったと思う。
(ただしロシアでは、クリスマスは1月7日である。
 僕はロシア留学中は、新年はカフカス地方を旅行して過ごした。
 いずれこの時のことも書きたいと思う。)

ヤコブとは今日もいろいろな話をしたが、いつも思うのは、
ヨーロッパの人は、(大抵がヨーロッパ内限定ではあるものの)
日本人に比べて他文化と接触するのにはるかに慣れている、ということだ。
ロンドンは特に多文化な町なようなので例外にしても、
たとえばヨーロッパ内での交換留学制度は、非常に充実しているようで、
大学生はかなり気軽に、1年とか半年とか他のヨーロッパの国の大学に行って
学ぶことができるシステムが整えられているらしい。
ヤコブも、大学の学部時代、このような交換留学制度を利用して、
パリに1年行っていたという。
こういうのは、日本、あるいは東アジアが、
ヨーロッパに比べて圧倒的に弱い部分だと思う。
日本ではよく、
「ヨーロッパの言葉はどれも似ているから、
ヨーロッパ人がたくさんの言葉を話せるのは当たり前」
というようなことが安易に言われるけれど、
僕は、こういう状況は、ヨーロッパの国々の間で学生の行き来が
はるかに低いハードルでなされているからこそ、
達成できていることなんじゃないかと思う。
これは、単に語学の能力という面だけではなく、
他文化をどれだけ抵抗なく受け入れられるかという部分に関わってくると思う。
そういう意味では、日本はまだまだ閉鎖的で、
僕としては、わけのわからない小学生に英語教育を導入する手間やお金をかけるなら、
高校とか大学で、もっと他のアジア諸国とか、ヨーロッパの国々との学生の交換を
活発にした方が、よっぽどいいのではないかと、つくづく思っている。
言葉というスキルにばかり注目するのではなくて、
もっと別の国とか文化に属する人同士が、どれだけ個人的な関係を結ぼうとするかが、
重要なんじゃないかと思うのだが。

うーん、いずれにしても、僕が日本を出てはや半年以上過ぎてしまった。
世界は広いが、一定時間内に吸収できることは少ない。
限られた時間内で、何を、どれだけ学びとるか。


そしてついに、冬休み

2006-12-19 02:01:44 | イギリス留学
先週で1学期が終わり、今週から1月の第1週まで3週間、冬休み。
レポートは、かなりギリギリだったものの、
もちろん先週木曜日の期日までに提出しました。
そのあと金曜は、午前中授業で、夜は友達と飲み。
ただ、そのあとどっと疲れが出たらしく、
土曜日曜月曜と、ほとんど廃人状態(笑)
もはや何もする気なし。
予想していたこととはいえ、
やっぱり今学期はかなりハードだった。
精神的にもなかなか辛かったような気がする。
来学期はもう少し余裕を持って授業に参加できるようになるといいのだが。

冬休みは、とくにどこにも行く予定はないのだが、
とりあえずロンドン市内をいろいろ歩き回ってみたいと思う。
で、僕が冬休みになったら真っ先に行こうと思っていた、
漱石記念館(漱石が留学中に住んでいたアパート)のホームページを見たら、
11月から1月までは休館、と。
ちょっと、休み長すぎないすか笑?
幸先が悪いなあ。。
まあまだまだロンドンにいる時間は長いので、
いずれ行けばいいって話なんだけど。

このままだと、結局冬休みはだらだら過ごして終わりそうなので、
一応冬にやることを考えてみた。
英語のリスニング強化、2学期のレポートのための資料を読み始める、
修士論文のテーマを考える、就活の準備。
うーん、これは大変だ。
大変そうだから、とりあえずこれらは脇に置いておいて、
今は、今年ノーベル文学賞を取ったトルコ人作家の
オルハン・パムク氏が書いた『雪』という小説の英訳を読んでます(笑)。
トルコ東部の田舎町での、世俗主義、西欧化された価値観と、
貧困を背景として支持を集めるイスラム急進派との葛藤。
舞台となった町カルスは、一度バスで通ったことがあるので、
なんとなく親近感を持って読める。
トルコは、西部の町を観光などで巡ると、すごく開けていていい国だと感じるが、
東部と西部の経済格差は非常に大きく、文化とか思想の面でも、
内部に軋轢を抱える複雑な国のようである。

結構長い本だが、途中で挫折しないで最後まで読み通したい。


あれもできない、これもできない

2006-12-13 12:34:41 | イギリス留学
時間がない~。
レポート提出期限(木曜午後4時)まであと36時間半。。
まだ半分くらいしか書いてないけど、
内容はほぼできてるから、頑張ればなんとかなる範囲だと思う。
タタールスタン相手に、予想以上に苦戦中。。

今週で、今年の授業は終わる。
今日は今学期最後のロシア政治と汚職のゼミだった。
相変わらず議論についていくのが難しい。
とくに今日は予習してる暇がなかったから、なかなか厳しかった。
ロシアに関する知識の面、英語力の面の両方にかんして、
僕はこの2ヶ月半でどの程度進歩したのだろうか。
なんか言葉の壁のせいで、
ネイティブの半分も吸収できてないんじゃないかって気がする。
やはり、本から知識を得るのは得意でも、
口頭のやりとりから吸収していくのが苦手ってのが、
典型的日本人だなあ、って気がする。。

昨日は、レポートに追われつつも、
汚職の先生が新しく出版した本のお祝いパーティみたいのに行ってきた。
僕たち学生は、ボランティアでパーティの手伝い役をやっていたのだが、
ロシアや東欧にかかわるジャーナリストとか外交官とか、
かなりの大物がたくさん来ていたようだった。
そんな中、僕はカザフ人の女の子とかなり久しぶりにロシア語で話してたのだが、
そこで気づいたのは、
ロシア語が恐ろしく話せなくなっている!ということだった。
何しろ出てこない単語が多いし、活用もすぐ間違える。
そして、英語の文法に引きずられる!
ロシア語をしばらく話さなかったこと自体より、
英語をたくさん話したことが、ロシア語を阻害してるんじゃないかと思う。

そんなわけで、あれもできない、これもできない。
あ~、もう師走も半ば!