Kanedaiのブログ

ぼくの きょうみのあること おもったこと

引用 天声人語より(11月26日付け)

2010年11月27日 | Weblog
最近感じていたことが
天声人語に書かれていたので
掲載させて頂きます。

国会は言論の府のはずが、
このところ口論の府になり下がっていないか。
そんな趣旨の投書が東京で読む声欄に相次いでいる。
たしかに実のある議論は少なく、ののしりの声ばかり大きい。
憂える人は投書氏以外にも少なくあるまい。
テレビの国会中継は質問者のパフォーマンス会場みたいだと、投書氏らは嘆く。
とりわけ野党の若手に目立つようだ。
「ヒステリック症候群とでも称すべき態度」で
「大げさな物言いや、汚い言動で罵倒」する。
そうした場面が続くことに、「これでは一種の低俗番組」と厳しい。
わが印象も相似たりだ。
こき下ろすのに力が入り、度を超す人を散見する。
言葉は魔物だから、自ら言い募るほど自ら酔っぱらう。
ゆえに言葉はますます尖って、盛大になるが、
言っている当人の人望は下がるばかりだ。
一問一答の委員会だけでなく、
昨今は若手の代表質問にもその手の言葉が紛れ込む。
政権への失望は言うまでもなく大きい。
一方で自民党に人心が戻らないのは、そのあたりに一因がありはしないか。
清水幾太郎の名著『論文の書き方』に次の一節がある。
「無闇に烈しい言葉を用いると、
言葉が相手の心の内部へ入り込む前に爆発してしまう。
言葉は相手の心の内部へ静かに入って、
入ってから爆発を遂げた方がよいのである」。
言葉は慎ましいものにかぎると、この碩学は言う。
ネズミ花火ではなく、静かで確かな言葉を聞く耳を、人はちゃんと持っている。
与野党とも見くびるなかれ。
丁々発止と口げんかの違いぐらいは、先刻お見通しである。

…口喧嘩に税金が使われている
政治家は自分たちの存在理由を考えて欲しい
いや そもそも
彼らの存在理由などないのかもしれない
だから 腐った討論にしかならないのだろうか
であれば 内閣 政治家そのものを
今こそ仕分け対象とすべきである
極端な話 アナーキズムでいい
と思う瞬間がある



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